言葉というのはややこしいもので、同じ言葉でも、意味が180度正反対の場合もある。
酒に弱い日本人が増えるよう「進化」 遺伝情報から判明:朝日新聞デジタル
2018年4月26日
日本人の遺伝情報を調べたところ、お酒に弱い体質の人が増えるよう数千年かけて「進化」してきたことが、理化学研究所などの分析でわかった。詳しい原因は不明だが、アルコールに弱い体質が何らかの理由で環境への適応に有利に働いたとみられるという。24日付の英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに発表した。
体内でのアルコール分解には、「ADH1B」と「ALDH2」という2種類の代謝酵素が関わる。それぞれの酵素には、働きが強いタイプと弱いタイプがあり、日本人ではADH1Bの75%、ALDH2の25%が弱いタイプ。一方、欧米人などは、大半が2種類ともに強いタイプをもつことが知られている。
日本人2200人の全遺伝情報を解析すると、弱いタイプの酵素をつくる遺伝子のそばに、まれにしか見られない多数の変異が集まっていることが判明した。子孫に遺伝情報が受け継がれる際に、変異がこの遺伝子と共に失われずに蓄積してきたことを示しており、弱いタイプの酵素をもつことが有利に働いた証拠の一つとみられる。弱いタイプの酵素をもつ日本人は、過去100世代ほどかけて増えてきたこともわかったという。
研究チームの岡田随象(ゆきのり)・大阪大教授(遺伝統計学)は「似たような集団の進化には、アフリカ人がマラリアに感染しにくい形の赤血球を持つ例などが知られているが、アルコールに弱いことが日本人にとってなぜ有利だったのかはわからない」と話す。
酒に弱い。この「弱い」には、サカサマの2つの意味がある。
朝日新聞の記事の「酒に弱い」は、「酒が嫌い」の意味である。
医学的に酒が飲めない。少量飲むだけで体調不良になる。
要は「酒に弱い=下戸」だ。
しかし、日刊スポーツの記事も「酒に弱い」のだ。意味はサカサマだけど。
山口達也の再入院「根本的解決のため」事務所認めた - ジャニーズ : 日刊スポーツ
2018年4月30日
今年2月の女子高生への強制わいせつ容疑で警視庁から書類送検され、無期限の謹慎処分となったTOKIO山口達也(46)が今月26日の謝罪会見後に再入院していたことが日刊スポーツの報道で明らかになった29日、ジャニーズ事務所は山口の再入院を認めた。
ジャニーズ事務所は入院の理由について「アルコールの問題含め、ストレスによる生活の乱れが健康面や精神面に影響を与えている」と説明。「事務所として責任を持って、根本的解決のために入院させました。そこからは親族の方にサポートをお願いしました」と話した。
親しい関係者によると、今回の事件を受け山口は精神的にとても不安定なため自宅などで1人にはしておけない状態だという。当面は病院で過ごす見込みだ。
山口は今年2月12日の事件当日まで、肝臓を休ませるため約1カ月間病院に入院しており、それ以前にも同様の理由で入院したことがあった。
こっちの「酒に弱い」は、「酒が好き」という意味なのだ。
つまり表現はサカサマだが「酒に強い」のだ。
酒が大好き。いくらでも飲める。酒の魅力に弱い。酒に理性を支配される。
要は「酒に強い=酒に弱い=酒乱」である。
アルコール依存症は、人間の責任感、意思、努力、根性の問題ではない。
脳の病気である。患者の責任感、意思、努力、根性では対抗できない。
食中毒の下痢を努力で止めたり、インフルエンザの高熱を根性で下げたり、エボラ出血熱ウイルスを意思で排除したり、骨折した手足を責任感で元に戻したりすることが、人間には不可能なのと同じである。
アルコール依存症は不治の病。家族を失っても止まらない。今すぐ強制入院しかない。 #TOKIO #山口達也 - 在日琉球人の王政復古日記
殺さなかったのは不幸中の幸い。元凶は酒=アルコールではない。#吉澤ひとみ に殺人許可証を発行した自動車社会である。 - 在日琉球人の王政復古日記
アルコール依存症は、逆説的だが、「酒に強い」からこそ、病気になる。
「酒に弱い=下戸」の人は、アルコール依存症にほとんど縁がない。そもそも飲まないからだ。
「酒に強い=酒に弱い=酒乱」の人は、大好きで、大量に飲むから、アルコール依存症になるのだ。
朝日新聞の記事で、日本人は「酒に弱い=下戸」とあるが、強い・弱いは比較の話だ。
日本人は、誰に比べて、「酒に弱い=下戸」なのか? 欧米人≒白人コーカソイドである。
日本人だけが「酒に弱い=下戸」のではない。支那人=漢民族も「酒に弱い=下戸」。
黄色人種モンゴロイドは、白人コーカソイドに比べて、相対的に「酒に弱い=下戸」である。
逆に言えば白人コーカソイドは「酒に強い=酒に弱い=酒乱」傾向がある。
つまり白人コーカソイドの方がアルコール依存症の症例が多く、昔から社会問題になってきた。
インドで生まれた仏教には「五戒」がある。中にちゃんと「禁酒」がある。
不殺生戒:人間だけでなく、生物全般を故意に殺してはならない。
不偸盗戒:他人の所有物を故意に盗んではいけない。
不邪婬戒:男女問わず不道徳な性行為を行ってはならない。
不妄語戒:嘘をついてはいけない。
不飲酒戒:酒を飲んではいけない。
酒の危険性は釈迦にも判っていた。
仏教は、東=アジアに広まり、黄色人種モンゴロイドで優勢にはなったが、
西=中東、ヨーロッパ、アフリカには、イスラムという強力なライバルの登場で、広まらなかった。
東の東、世界の果ての日本も仏教を受け入れたが、五戒は徐々にナアナアになってしまい、「不飲酒戒」は軽視・無視されるようになり、さらにあえて戒律を不可能・無意味とする浄土信仰が流行し、「般若湯」とかいって、坊主も凡俗もやりたい放題・呑みたい放題になった。
日本で呑みたい放題になってしまったのは、日本人の意思の脆弱というよりは、飲酒の害悪が、比較的、深刻にはならなかったせいだろう。
つまり、日本人はもともと「酒に弱い=下戸」なので、アルコール依存症になってしまう「酒に強い=酒に弱い=酒乱」の個体数が少なかったのだ。
しかし、西=中東、ヨーロッパは、白人コーカソイドは「酒に強い=酒に弱い=酒乱」なので、酒の害悪が深刻になりやすい。
イスラムが禁酒に厳格になったのは、中東地域は人種的にアルコール依存症の危険性が高かったからだろう。
キリスト教も同じで、昔ながらの、ウオッカがぶ飲みスラブの東方正教会、ワインがぶ飲みラテンのカトリックは、飲酒にズブズブだが、
盗んだバイクで尾崎豊VS盗んだ装甲車でロシア人~ウォッカ→密造酒→オーデコロン→消毒液→殺虫剤→靴墨。 - 在日琉球人の王政復古日記
近代の出発点となったプロテスタント、特にアングロサクソン、イギリス聖公会の分派活動から始まったピューリタン、バプテスト、メソジスト、ペンテコステあたりは厳格な禁酒を唱えるようになった。
昔ながらのスラブやラテンの村落共同体ならば、村人同士の相互監視や、村のオキテで、過度の飲酒を抑制できた。
しかし、イギリス近代社会になると、都市住民の行動は自由になり、飲酒の監視なんか誰もしなくなる。ストッパーがいなくなった都市住民は一気にアルコール依存症が急増する。
その社会問題へのカウンターとして、ピューリタンやメソジストなんかの宗教活動が禁酒を前面に出したわけだ。
同性愛、中絶、ダーウィン進化論なんか認めない!と叫んで、トランプさんに投票した、政治的にはかなり厄介な福音派の皆さん(笑)も、こと飲酒に関しては、悪魔の所業と見なして禁酒を守る、アルコール依存症にはなりにくい健全な人々なのだ。
アルコール依存症の患者の脳みそ=意思は、もはや本人のモノではない。
患者を動かす意思はアルコールが支配している。
だから自助努力では治らない。
アルコール依存症の治療には、もちろん医学も必須だが、他人との助け合い=相互監視が非常に有効である。
アメリカなんかにはアルコール依存症患者同士の互助会がたくさんある。
しかし、おそらくアルコールが原因で離婚して、奥さんも子供もいなくなった。
アルコール依存症は、独身の一人暮らしが一番危険なのだ。
ご両親が健在かどうかは知らないが、同居することをお勧めしたい。
そしてジャニーズ事務所もサポートできるだろう。
しかし、やはり、人間には限界がある。
だからこその、病院=科学だが、もう一つ、宗教=神学も、強力な選択肢だ。
できるのなら、TOKIO山口達也メンバーは、禁酒を旨とする宗派に入信すべきである。
メソジストやバプテストは日本にも教会がある。ただ、日本は極端にキリスト教勢力が脆弱である。また牧師さんも日本人であり、戒律に寛容な傾向があるだろう。
戒律に寛容なのは日本人の美徳でもあるのだが、いま必要なのは戒律に厳格な宗教である。
冗談ではなく、かなり本気で、いっそ、ムスリムになるのはどうか?
そもそも酒に溺れる理由の一つは、精神的な不安が根本にある。
本気でアラーを信じれば、精神的な不安はなくなる。
さらにイスラム共同体は、信徒同士の相互扶助=相互監視が非常に強い。
ムスリムになれば、礼拝などで日常的に神の目を意識するようになり、モスクに通うようになれば、同じ信徒に会うわけで、酒の匂いをさせるわけにいかず、飲酒はまず不可能になる。
よくよく考えてみれば、アルコール依存症を救うのに、キリスト教もイスラムもちゃんと役に立つのに、
日本仏教には、これだけ色んな宗派がありながら、不飲酒戒もあるのに、この宗派なら禁酒できる!という宗派が1つもない(笑)。
本願寺も創価学会も、阿弥陀如来も法華経も、読経も座禅も護摩も、アルコール依存症は救済できないのだ。
「酒に弱い=下戸」が多い人種だからこそ、「酒に強い=酒に弱い=酒乱」への対応が下手糞、というのも、因果な話である。