在日琉球人の王政復古日記

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追悼★昇り竜のお銀姐さん「大映 #江波杏子 #女賭博師 =ロッキー」VS「東映 #藤純子 #緋牡丹博徒 =ランボー」


女賭博師 お銀さん

 

江波杏子さん急死 5日前まで仕事も緊急入院翌日…さらば昇り竜のお銀/芸能/デイリースポーツ online

2018.11.03.
 映画「女賭博師」シリーズなどで知られる女優の江波杏子(えなみ・きょうこ、本名野平香純=のひら・かすみ)さんが、10月27日午後9時6分、肺気腫慢性閉塞性肺疾患)の急性増悪のため、都内の病院で亡くなったことが2日、分かった。76歳。(略)
 1959年に大映に入社し、翌年映画デビュー。66年に「女の賭場」で初主演した。その後、「女賭博師」の「昇り竜のお銀」が評判となり、一躍スターに。シリーズは17作にも及ぶヒットとなった。その後はドラマや舞台にも活動の幅を広げ、多くの作品で凛とした存在感を発揮した。
(略)

 

嗚呼。「オレの大映」が終わった。

大映ではなく、あくまでも、「オレの大映」である。

 

昭和の日本には「大映」という映画会社があった。

今は角川に買い取られている。

 

東宝東映、松竹が生き残って、日活や大映が潰れたのは、作品の優劣よりは、配給網つまり映画館の数の多い少ないが分水嶺だった。

製造業で言えば、生産工場は頑張っていたが、営業部が弱かった。売り上げが少なかったのである。

裏社会ともつながっていたワンマン社長の横暴も、好調の時はプラスに働いたが、落ち目になると会社の致命傷となった。

 

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大映映画の評価は、
まずは王道である「羅生門」「雨月物語」だろうし、
長谷川一夫山本富士子若尾文子京マチ子などが本筋なんだろう。

 

しかし「オレの大映」は、そっちではない。

大予算、名優出演の大作、芸術作品、文芸作品、女優映画ではなく、
娯楽作品、低予算、粗製乱造、B級、プログラムピクチャー好きとしては、

市川雷蔵眠狂四郎」「陸軍中野学校」「若親分」「ある殺し屋」、
勝新太郎座頭市」「兵隊やくざ」「悪名」、
田宮二郎「犬」、
そして江波杏子「女賭博師」シリーズである。

 

これらは、時代劇、サスペンス、アクション、ヤクザ映画であり、サスペンス以外のジャンルはそれらを専門にしていた東映とマーケットが重なるライバルに当たる。

根っからの東映ボンクラ小僧である私も、東映の次に好きな映画は(この系統の)大映だった。

 

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女性主役のヤクザ映画として一番有名なのは、

藤純子主演・東映「緋牡丹博徒」シリーズ(1968年~1972年)となる。

作品の知名度、会社の規模からみると、

東映「緋牡丹博徒」が先駆者で、大映「女賭博師」が後追いのパクリ、みたいに感じるが、実はサカサマで、

江波杏子主演・大映「女賭博師」シリーズ(1966年~1971年)の方が先駆者、東映「緋牡丹博徒」の方が、当時大当たりだった「女賭博師」の二匹目のドジョウを狙った後追いのパクリなのだ。

 

東映は時代劇なので、チャンバラをやる男が主役、美空ひばりみたいなバケモノ(笑)は例外として、女優は添え物であり、完全な男尊女卑の世界(笑)なのだが、

大映は女優が売りの会社だったので、女性主役の映画が作りやすい環境だったのだろう。

 

「緋牡丹博徒」の大当たりで、藤純子東映の誇るドル箱スタアになる。

もし「女賭博師」が作られなければ、「緋牡丹博徒」も作られず、藤純子東映にたくさんいた「脇役・お姫様女優」で終わって、スタアになってなければ、七代目尾上菊五郎と結婚するはずもなかった。

 

つまり寺島しのぶがこの世に生まれ出たのは、江波杏子のお陰なのだ(笑)。

 

江波杏子主演・大映「女賭博師」シリーズ(1966年~1971年)

藤純子主演・東映「緋牡丹博徒」シリーズ(1968年~1972年) 

 

ジャンルも、会社も、時代も、ぴったり重なり、ライバル関係の2シリーズだが、会社のスタンス、そしてなにより、江波杏子藤純子、主演女優の持ち味が、このシリーズのテイストをかなり変えている。

 

両者の雰囲気の違いを見てもらおうかと思ったが、ここでまた、東映VS大映、会社の「格差」を痛感することになる。

 

「緋牡丹博徒」の予告編はyoutubeにいくらでも転がっている、

しかし、「女賭博師」の予告編はyoutubeでは見つけられなかった。

 

これは他の作品も同じで、「昭和残侠伝」や「仁義なき戦い」は山ほどあるのに、「眠狂四郎」や「座頭市」はまだしも、「悪名」「犬」「兵隊やくざ」となると、動画はほとんどない。

今でも時代劇やヤクザ映画のファンが残って、生き残った東映と、

もはやファンも絶滅、潰れた大映の「格差」がここにある。

 

動画であったのは、冒頭の1シーンと、別サイトのこれくらいだった。

 

女賭博師尼寺開帳(1968年)

www.dailymotion.com

 

これはこれで非常に味わい深い。

 

まず何より、一番重要なのは、江波杏子ダイナマイトボディ(喜喜喜)。

 

東映城のお姫様・ライバル藤純子も、この、日本版ソフィア・ローレンわがままボディ」には敵わない。

親の代から栄養状態が良い平成なら、グラドルでも一般人でも珍しくないが、戦中戦後の飢餓時代を経験してる女性で、平成でも十分通用するこの巨乳は破格なのだ。

 

役者の格が高すぎて、なんとなく場違いな(笑)「七人の侍」の志村喬

 

(平成の皆さんでもかろうじて知ってるだろう)欽ちゃんこと萩本欽一の「コント55号」と「唄子啓助」の掛け合い。

「東京喜劇」コント55号と「上方漫才」唄子啓助という「東西お笑い対決」なのである。

昔のプログラムピクチャーは、話の本筋にはあんまり絡まない、息抜きタイムというか、こういうお笑い芸人のコメディリリーフが多い。

 

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そして、これを見ただけで、「女賭博師」が抱えていた「弱点」も判る。

比較として、「緋牡丹博徒」。

 


緋牡丹博徒 一宿一飯(プレビュー)

 

「緋牡丹博徒」と「女賭博師」の違いは、時代設定である。

「緋牡丹博徒」は戦前、「女賭博師」は戦後。

実はこれがかなり大きな要素だ。

「緋牡丹博徒」は任侠映画を量産していた東映のインフラ(戦前のセット)をそのまま使える強みがある。

「女賭博師」は予算もかかるので、セットが必要な戦前=時代劇ではなく、戦後=当時の現在を舞台にした。

 

それはそれで、公開当時の現代風俗を取り入れることもできて(例えば、当時流行りのグループサウンズとか)、強味にもなるのだが、

「女賭博師」は、出て来る登場人物が戦前風の和服、着流しのヤクザで、舞台が戦後まる出しの街の風景や洋風ホテルとなって、それはそれで「戦後高度経済成長」という時代の大転換点として、現実にあり得なかった風景ではないのだが、やはり時代風俗の「ちゃんぽん」「ごった煮」状態に見えてしまう。

「緋牡丹博徒」は戦前の設定なので、和服、着流しが当たり前で違和感がない。

 

両者の時代設定、そして東映大映のインフラの違いが、映画の見せ場・クライマックスも変えていく。

 

東映「緋牡丹博徒」は戦前舞台の任侠映画だ。

ポン刀やドスが飛び交うチャンバラシーンも当たり前。そもそも東映こそ日本一(つまり世界一)チャンバラを得意とする会社なので、それこそが見せ場。

藤純子も、当時超一流の殺陣師の元で修業を積んでいる。

クライマックスも敵の本拠地への殴り込みで、大乱闘、大流血(=実は大量殺人)である。警察力の弱い戦前だから、それに違和感はない。

つまり「緋牡丹博徒」はチャンバラ映画なのだ。

 

対して、大映「女賭博師」は戦後舞台の、ある意味「スポーツ映画」なのだ。

戦後の今、刃物で乱闘したらタダでは済まない。すぐに警察が飛んでくる。というか、戦後のヤクザが相手を殺すなら、刃物じゃなく、拳銃だろう。 

「女賭博師」戦後を舞台にしたせいで、チャンバラシーンが使えなくなってしまう。

というか、大映自体に時代劇のノウハウはあるのだが、大映東京で現代劇ばっかりだった江波杏子自身が殺陣ができたかどうか、かなり怪しい(笑)。

じゃあ、チャンバラなしで、どういうクライマックスを作るのか? それが博打の勝負なのだ。つまり、殺し合いではなく、ギャンブルの腕で戦う、一種のゲーム対決、スポーツ対決になる。

よって、博打のテクニックを修練する特訓シーンも出て来る。どんどんスポーツに近くなる。

 

クライマックスの爽快感は、派手なアクションの「緋牡丹博徒」の方が作りやすく、座ったまんまの「女賭博師」はカタルシスの点で難しいのである。

  

「緋牡丹博徒」緋牡丹お竜=藤純子は、刃物で相手を殺して勝負をつける、アクション映画。

「女賭博師」昇り竜のお銀=江波杏子は、サイコロや手本引きで勝負をつける、スポーツ映画。

 

シルベスター・スタローンでいえば、

東映・緋牡丹お竜=藤純子は、戦場で銃をぶっ放す「ランボー」であり、

大映・昇り竜のお銀=江波杏子は、リングでパンチを繰り出す「ロッキー」だ(笑)。

  

そして、主演女優の持ち味の違いも大きい。

 

もちろん、両者の共通点もある。

お二人とも美人(^^)。そしてお二人とも歌が下手(笑)。

当時の映画俳優は、スタアであり、アイドルなので、歌を歌わせていた。

ただ本職ではないので、日活なら、小林旭石原裕次郎みたいに上手い人も、赤木圭一郎みたいに下手な人もいるわけで、東映藤純子大映江波杏子、共に日活赤木圭一郎タイプであった。まあ、その下手さが逆に味わい(笑)ではあるのだが。

 

しかし、他の部分はかなり異なる。 

藤純子は超大物プロディーサーの実娘にして「東映城のお姫様」。映画の中も、撮影所の中でも、東映の男たちに守られてる籠の鳥、か弱い女の子、つまりアイドルなのだ。

江波杏子は、男たちから大事にもされてない、そして女性からも男に頼らない、孤立無援で勝負するプロフェッショナルなのだ。

 

その江波杏子の持ち味が、逆に判りやすいのが、この失敗作だ。

 


Modern Lady Gambler 昭和おんな博徒 Trailer

 

さっきも言った通り、大映は潰れる。 

ライバル東映は、早速、金看板・昇り竜のお銀をスカウトして主演映画を作る。

東映のインフラとノウハウならば、もっとスゴイ昇り竜のお銀を撮れる!、東映も、映画ファンも、江波本人も、そう思っただろう。・

しかし、そうはならなかった。

東映は根本的に男尊女卑・女性蔑視なので、「お姫様」は得意でも、スケバン、スッポン芸者(笑)は得意でも、「自立した女性」は表現できなかった。

東映「昭和おんな博徒」の江波杏子は、まんま藤純子の真似てるだけ。

純情可憐、男一途に命を懸ける。まさに藤純子の独壇場だが、それが江波杏子には全く似合わない(笑)。

江波杏子が、賽の目に命は張っても、男ごときに命を張るわけがない(笑)。

 

藤純子が惚れた男にナヨナヨしなだれかかるシーンは簡単に想像できる。

しかし、江波杏子が惚れた男にメロメロになるなんて想像できない。

藤純子が台所に立てば、夫の帰りを待つ新婚さんだが、

江波杏子が台所に立てば、それは台所ではなく厨房であり、プロの料理人にしか見えない。下手をしたら手術台を前にした女性外科医である(笑)。

藤純子のエプロン姿は可愛いだろう。

しかし、あの(笑)江波杏子がエプロン付けたら失敗したハロウィンである。

 

藤純子がチワワみたいな愛玩動物ならば、江波杏子は肉食獣である。

それもライオンみたいな、同じ哺乳類としてまだ意思疎通ができそうなタイプではなく、フロリダの湿地帯に巣食う、何を考えてるのが全く理解不能な体長4メートル・体重500キロのアメリカン・アリゲーターだ。

 

下世話な言い方をすれば、

藤純子は恥ずかしそうに顔を隠して、上の男にしがみつく正常位しかできないが、

江波杏子が男に下でただ寝ているだけんなんて、物理法則(笑)としてあり得ない。

騎乗位、いや、顔面 騎乗(^^)しかあえない。そして哀れな男は、姐さんのバキュームパワーで内蔵ごと根こそぎ吸い取られて、真空パックの布団のように圧死する。

 

そこが、アイドル藤純子の素晴らしさ、江波杏子姐さんの素晴らしさである。

 

もちろん「銀幕の中」のお二人である。

「銀幕の外」の現実世界のお二人ではない。誤解の無いように(汗)。

私は映画が好きなのであって、現実世界のお二人にあんまり興味はない。

 

姐さんの、壺さばき、札さばき、そしてダイナマイト巨乳(喜)は、忘れない。

 

あの世では、雷蔵勝新、田宮、成田三樹夫も待っている。冥福を祈る。