在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

佐世保殺人少女の父親を殺したのは【この私】である。

親鸞唯円は私の言を信ずるか?言に背かぬか?」
唯円「お師匠を信じます。背きません」
親鸞「しからば唯円、今から人を千人殺してもらおう。そうすれば往生を保障する」
唯円「・・・仰せではありますが、私の才では、たった一人といえど、人を殺せそうにございません」
親鸞「おまえは師匠の命に背くか? ならば、なぜ、私の言に従う、などと虚言を弄した?」
唯円「・・・」
親鸞唯円よ、分かるか。
もし人間が《自己決定》《自由意志》でのみ何事も可能ならば、目的にため必要のため合理的に千人でも殺せるはずなのだ。
しかし《業縁》(=外的条件=人間の外からやって来る「何か」)が無ければ、たった一人も殺せない。
人間は自己が善人だから正義だから殺さないのではない。
逆に、殺そうなんて夢にも思ってなくても、《業縁》があれば、あっけなく千人でも殺してしまう可能性があるのだ」
歎異抄

 

インドの釈迦の創始したあの仏教と同じ仏教と呼んでいいものかどうか?、かなり疑問のある(笑)、鎌倉時代の坊主・親鸞とその弟子の唯円の会話である。

 

容疑の少女、母に「人を殺したい」 佐世保殺害の直前 :日本経済新聞

2014/8/5
 長崎県佐世保市の同級生殺害事件で、殺人容疑で逮捕された高校1年の少女(16)が事件の3日前、父親と再婚した新しい母親に「人を殺したい」という趣旨の話をし、両親が事件前日に精神科に入院を頼んだが実現しなかったことが4日、分かった。父親が弁護士を通じて明らかにした。
 弁護士によると、7月23日、少女は通院中の精神科に母親と向かう途中、ネコを殺すのが楽しいという趣旨の話をした後、真剣な様子で「人を殺したい」などと打ち明けた。
(略)
 弁護士によると、少女は3月、父親を金属バットで殴打したため、父親が精神科に通院させていた。父親は医師から「同じ家で寝ていると、命の危険がある」と助言されたため、少女を事件現場となったマンションで4月から一人暮らしをさせていた。〔共同〕

 

時事ドットコム:加害少女の父親が自殺か=自宅で首つる、佐世保高1殺害−長崎

2014年10月06日

弁護士によると、父親に8月2日に会った際、「私は生きていていいのでしょうか」と悩んでいたという。事件後父親は、弁護士を通じて「娘の行為は決して許されるべきものではない。おわびの言葉さえ見つかりません」との謝罪文を発表していた。

 

私は生きていていいのでしょうか」・・・皆さんはどう思いますか?

 

ネットでは、この父親の自殺に批判が少なくない。

曰く「被害者への賠償もせず、殺人を犯したわが娘の将来からも逃げた、無責任な行為だ」

曰く「自殺するなら、ついでに狂った殺人鬼である娘を道連れにしろ」

誠におっしゃる通りである。

 

性格の弱さや臆病さは、人として許されない犯罪である。

心労による感情の錯乱や発作的自殺も、人として許されない極悪非道である。

 

どんなに理由があってもどうしても自分の手で他人を殺せない、

たとえ相手が殺人鬼でも麻原彰晃でもヒトラーでもどうしても他人の命を奪えない、

そんな根性ナシの弱い人間は生きてるだけで社会の迷惑である。

「正義の殺人」も実行できないようでは社会の役に立つ人間にはなれない。

 

できれば隠しておきたい秘密だが、私は先日mixiでこう書いた。

 

2014年08月03日

 『せめて卑劣な悪党なら、この悲劇は避けられたかもしれない』

 

中途半端な凡人が、中途半端なカネと、中途半端な社会的地位を、持っていたのが、悔やまれる。

 

せめて父親が貧乏だったら、娘に一人暮らしマンションは与えられない。同居の父親は危険だったかもしれなかったが、あかの他人の娘を誘い込む殺人部屋は確保できなかっただろう。

 

せめて父親が社会的地位が高くなければ、異物混入事件の時点で警察の介入を阻止できなかったし、そうなれば父親をバットで殴ったのが2度目の異常行動だから、精神鑑定されて、すでに娑婆には居られなかっただろう。

 

そして、せめて父親が、自分のコトしか考えない人間のクズで、若い後妻との生活を守るために、カネと社会的地位を駆使して、狂った娘をその手の施設に半永久的に「幽閉」して知らん顔するような、エゴイスティックで冷血な悪党ならば、まだマシだった。少なくとも娘は人を殺せなかった。

 

高1殺害 父親への暴力で別居
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2994459
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 長崎県佐世保市の高1同級生殺害事件で、少女(16)が殺人容疑で逮捕されて1週間となった3日、少女の父親の代理人弁護士が報道陣の取材に応じた。代理人は少女が今年4月から1人暮らしを始めたきっかけが、少女による父親への暴力だったと説明した。
 代理人によると、父親は50代。少女は今年3月、寝ていた父親の頭部を金属バットで殴り、負傷させた。この後、少女は二つの精神科にかかり、医師が「同じ屋根の下で寝ていると(父の)命の危険がある」と助言したという。
 父親の再婚は少女が1人暮らしを始めた後の5月で、少女は実家で新しい母親と料理を作ったり、ピアノを演奏したりしたこともあったという。
 代理人は「父親は再婚した妻と共に、医師、カウンセラーなどの指導に基づく対処をしてきた」と述べた。
 関係者によると、少女を診察した精神科医は事件前の6月、県佐世保こども・女性・障害者支援センター(児童相談所)に「人を殺しかねない」という趣旨の相談をした。センターの助言を受け、7月に少女の入院や警察への相談について、両親と協議していたという。
 また、少女が小学校6年生の時、同級生の給食に洗剤などを薄めた液を混入させた件で、当時市教委がスクールカウンセラーを学校に派遣し、カウンセラーが少女の両親に継続的なカウンセリングを勧めていたことが関係者への取材で分かった。父親は「子供のいたずらだから」と拒んだという
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なぜ、少女があんな残虐な事件を!?・・・・・とはもはや言えない状況である。
彼女が危険なのは、父親も、医師も、関係機関も、みんな了解していたのである。
彼女は「やらかすだろう」と予測されたことを「やらかした」だけで、予想外でもなんでもなかったのだ。

 

父親は知っていた。知っていながら、自由にさせていた。この罪は重すぎる。

 

もちろん、我が娘がそんな状態だなんて信じたくない気持ちは判らんではない。
しかし、医者の意見が正しいことも、娘がいつか爆発する時限爆弾だということを、本当は、判っていたんだと思う。

 

狂った娘を真正面から見つめる勇気はなく、
かといって邪魔者を闇から闇に葬るほど卑劣にもなれず、
中途半端に目の届かない場所において、
中途半端に世話を焼いて関係を続け、
中途半端に忘れようとして、
中途半端に心配してたんだろう。

 

父親が死ぬ気で狂った娘と向き合う人格者だったら、なんて無茶を求めてもしょうがない。人間はそんなに強くない。

 

善良になろうとせず、もっと卑劣でもっとエゴイストな手段を取っていれば、少なくとも、娘の刃は被害者には届かなかったはずだ。

 

彼にはそうできるくらいのカネと社会的地位はあったのに。 

 

ここだけの話にして、他の人には広言しないでもらいたいのだが、

加害少女の父親を殺したのは【この私】である。

私は、私の文章で、彼を死に追いやった。私には彼を殺した罪がある。

 

少女の殺人事件を報道したテレビや新聞には、罪が無い。

少女の家庭環境を根掘り葉掘り書いた週刊誌にも、罪は無い。

殺人少女や父親の実名を暴露した2ちゃんねるの住人にも、罪は無い。

殺人少女や父親の顔写真を拡散しまくったネットの皆さんにも、罪は無い。

なぜなら彼らは正義の鉄槌を下しただけだ。犯罪者に天誅を加えた義人である。

 

しかしこの私は違う。

自殺した彼が、私のmixiを、

(可能性は極端に低いが)読んでいようが、

(おそらく)読んでいまいが、

そんなことは関係ない。

私にだけは「その罪」がある。「この罪」は私だけのものだ。

 

罪は、罪を感じる者のみが背負う。彼を「悪人」という。

罪に気付かない者は、罪を犯してないのと同じである。彼らは「善人」である。

 

善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや。

 

罪を感じない者にすら救いがあるのなら、罪におののく者にこそ救いはある。

 

実は親鸞ではなく、法然が言い出したことらしいが、ここでいう「悪人」と「善人」とはそういう意味だと、私は思う。 

 

ただし、私は、加害少女の父親の自殺に対して「罪」を負うが、その「責任」は一切負わない(笑)。

 

古今東西、親と子の間に、そんなモノが見つかったことは一度もない。~少女A「佐世保女子高生バラバラ殺害事件」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

なぜなら、私は、彼と同様、いやそれ以上に、卑怯で無責任だからだ。

さらに私は彼のような弱い臆病者ではない。娘を闇に葬れなかった彼と違って、私は血も涙もない卑劣な悪党だ。私さえ逃げ切れればそれでいい。

 

私は彼の死を屁とも思ってない。

悼む気持ちも、悔いる心も、流す涙も、全く無い。

私の乾き切った両目に映るのは、台風一過の街に沈みゆく赤い夕日だけだ。

 

法然上人や親鸞上人は地獄に堕ちるしかない悪人の私を憐れみ、西方浄土から阿弥陀如来をデリバリーしてくれるかもしれないが、弥陀の本願など知ったことではない。

それどころか、いつか阿弥陀様ですら、私の日記で無理やり「往生」に追い込んでやろうと思っている。

 

以上、この懺悔は、他言無用に願いたい。

 

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