さすがはアジア一番の近代国家。
またまたの受賞、ヤマトの皆さんおめでとうございます。
時事ドットコム:赤崎、天野、中村氏にノーベル賞=青色LED開発−物理学、日本人6年ぶり
隣邦としても喜ばしい限りです。しかし他人の成功ばっかり祝ってるわけにもいきません。スカンジナビア半島が地殻変動で沈没するまでに、何でもいいから1個くらい、琉球も受賞したいものです。
しかし、よくよく考えてみるに、日本にとって、というか日本国家にとって、最も素晴らしいノーベル賞は何なんでしょうか?
あ、憲法9条に平和賞(笑)、とかそういう冗談を言いたいわけではありません。マジメな話です。
日本人=ヤマト民族が受賞することか?・・・確かにそれも誇らしいことですが、最高ではないと思います。
だって、その日本人受賞者が、例えば研究の大半をアメリカの大学でやっていたのなら、それは真の意味で「日本の受賞」と言えるのか?
実質は、アメリカの大学、アメリカの研究体制の勝利なのではないか?
そう、本当の意味で「日本の国力」として、日本のナショナリストが慶賀すべきノーベル賞とは、「日本の大学で研究してる外国人」がノーベル賞を受賞することなのです。
それこそ「たまたま優れた日本人がいた」のではなく、日本国家がシステムとして優秀であることの証明になるのです。
実際、アメリカ人は「アメリカ人がノーベル賞を受賞した!」なんて大騒ぎをしません。
そんなの過去に何十人もいるし、毎年毎年当たり前だからです。
というより、受賞した彼/彼女がアメリカの大学にいるからといって、アメリカ国籍であるとはぜんぜん限らないからです。
「今年のノーベル物理学賞は、京大のグェン教授らしいよ」
「へー、、、ところで、どこの人?ベトナム?」
こういう会話を交わせることが、日本が国家として優れている証明なのです。