在日琉球人の王政復古日記

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過猶不及也~過責任は無責任、過反省は無反省、厳罰は免罪と同じこと~韓国セウォル号沈没事故船長死刑求刑。

過猶不及也~過責任の日本VS無責任の韓国~JR福知山線宝塚線脱線VSセウォル号沈没 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

総じて韓国は日本より「ラテン気質(笑)」である。喜怒哀楽が激しい。

 

セウォル号沈没は確かに甚大な事故ではある。

事故当時から韓国のメディアは「こんな事故が起こるなんて、韓国は三流国家だ!」と自己批判し、朴姐さんは責任を取って総理の首を飛ばし、なんと海洋警察庁そのもをの解体してしまった。

で、今回は船長死刑求刑である。 

 

これもまた、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。

反省するのはいいけれど、「反省し過ぎ」は「反省してない」のと同じである。

 

過度の自己批判は、余りの負担の重さゆえ、長続きするわけもなく、時間が経てば、飽きてしまう、忘れてしまう。 

そして、近い将来、韓国人スポーツ選手が大活躍したり、芸能人が外国で人気になったり、ある分野の工業製品の輸出額が世界一になったら、「三流国家」と書いた同じ記者が同じ筆で「これで韓国は先進国のトップに立った。ウリナラマンセー!」と書くに決まってるのである。

 

過度の自己批判は、無恥な自己賛美と変わらない。

「三流国家」なんて簡単に言い出す人間は、「一流国家」という自画自賛も簡単に使うのである。

 

残酷な話だが、ダメな船と、ムチャな積載と、下手な操船と、無責任な対応で、海に沈む船なんて、今回が初めてでもないし、最後でもないだろう。
いつか、どこかの国の沖合いで同じような事故が起きる。韓国でもまた起きるし、日本でも必ず起きる。
海で起こらなくても、福知山線のような電車かもしれないし、日航機のような飛行機かもしれない。

 

それらの事故の遠因となってる(のは確かに事実だが)、その国の、その文化圏の、その社会システムの、内部に潜む「バグ」を直すなんてことは、韓国だろうが、日本だろうが、その他の国だろうが、不可能ではないにしても、一朝一夕にできない。

 

日本が、日勤教育に代表される、また、特攻隊にも現れた、「世間」という名の相互監視ムラ社会におけるシゴキやイジメや村八分がなかなか無くならないように、


韓国だって、緻密さよりスピード、中身より外見、他人より身内、やったモン勝ち、正直者は損をする、考える前に走れ、のイケイケドンドンをなかなか止められないだろう。

 

一個の船の事故を、国家全体・社会全体の欠陥と考えるのは、正しいようで、結局、問題をなんら改善しません/できません、と宣言しているようなもんだ。

 

船の事故を、社会全体の問題と考えず、ただただ個別の「船の事故」として、マジメに原因を調べて、まともな再発防止策を考え、現行法に基づいて船長や会社の罪に問い、常識的に遺族をケアする。それしかないのだ。

 

もし、世論と大統領が司法に圧力をかけて、無責任船長を、殺人罪で裁いて、死刑にしたら、スッキリするかもしれないが、問題はまったく解決しない。いやスッキリしてみんなが事故を忘れてしまい、また次の事故の引き金になるだろう。

 

無責任船長は、可能な限り、普通に、過不足なく、裁かねばならない。

 

国家が果たすべきは「再発防止」であり、「復讐」ではないのだ。