承久の変の北条義時。
と、天皇制の軍事的・思想的危機は大小様々あったが、
平将門こそは、軍事的にはともかく、思想的には、天皇制を崩壊させかねない「最悪」のライバルであった。
日本史を天皇制の歴史と考えれば、日本史上最も重要な人物の一人である。
たたりを意識? 大手町再開発、「将門の首塚」は計画外:朝日新聞デジタル
敷地の一角にある「将門の首塚」は計画に含まれず、周囲は緑地にするという。「撤去しようとしたGHQ(連合国軍総司令部)の重機が横転した」など、たたりがあるという言い伝えがある。
田舎ヤクザの縄張り争いと大差ない、辺境開拓地の私闘から始まった承平天慶の乱は、紆余曲折を経て、国衙を巻き込む国家反逆事件に発展した。とはいえ、ここまではどうということはなかった。戦国時代と変わらない。
しかし、なんと、どんな悪魔が耳元でささやいてのか?反乱者・将門が「新皇」と名乗ってしまう。
将門の前にも後にも、反乱は何度も発生してるし、
軍事的にはもっと大規模なモノもいくつもあった。
政治的に致命的なモノもあった。
承久の変なんて、治天の君・上皇が、臣下(将軍)の、さらにその下の臣下(執権)相手に軍事的に完敗したわけで、その影響は甚大で、その後皇統は2つに分裂して相争うようになる。
後醍醐天皇もバクチのような反逆が、幸運にも万馬券大当たりで政権を奪取するも、その後政治運営の失敗で、2つの皇統を2つの国家にまで悪化させ、危うく皇統を消滅させかけた。
天皇の権威なんか屁とも思わない蒙古皇帝の来襲が成功していれば、消滅は免れても、その後の皇統にモンゴル人の血が混じった可能性はある。
飢餓スレスレの東北農民と、生き血を啜る金満財閥、どっちが貴方の赤子か?
天皇は万能なのか、ただの機関か、どっちだ?
という究極の選択を突きつけた「法華経の魔人」こそ昭和天皇最大の敵だった。
マッカーサーは執権北条氏以来、史上2度目の天皇制の生殺与奪権者であった。
しかし「天皇を倒す」ではなく「こちらの御子こそ正しい皇統だ」でもなく、
「オレだって、アンタと同じ、もう一人の天皇だ。ヨロシク!」なんて名乗ったのは、日本史上、将門だけである。
将門が成功していれば、天皇の唯一性も、皇統の正統性も、崩壊していた。
全国のヤクザの親分たちが勝手に天皇を名乗り、天皇制は消滅していただろう。
そりゃ首塚が,GHQのブルドーザーくらいひっくり返して当たり前である。