在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

1956年新潟弥彦神社初詣124人死亡~1934年京都駅海軍送別77人死亡~2014年上海外灘36人死亡~2015年メッカ巡礼717人死亡。

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【上海将棋倒し】死者36人に 響く悲鳴、「下がれ!」の叫び声ばかり… 救助路さえなく、警備態勢に不備か(1/2ページ) - 産経ニュース

2015.1.1
 【上海=河崎真澄】中国上海市で元日の新年カウントダウンのため数万人が集まった観光名所、外灘(バンド)で起きた大規模な転倒事故で1日夕、重傷を負って病院に運ばれた1人の死亡が確認され、死者数は36人になった。負傷者47人が病院で治療を受けているが、13人は重傷という。
 インターネット上で1日夕に公開された事故当時とされる動画によると、大通りに面した外灘の陳毅広場から、市内を流れる黄浦江沿いの高台の遊歩道に上がってカウントダウンを見ようとする群衆が殺到。身動きが取れなくなった状況であちこちから悲鳴が聞こえ始め、階段で数人が倒れ込んだのをきっかけに、将棋倒しが広がったようだ。
(略)

 

上海の将棋倒し事故と明治神宮の初詣、中国の女流作家が見た...|レコードチャイナ

2015年1月2日(金)
2015年1月1日、東京に留学中の中国の女流作家・柏茗(バイ・ミン)さんは、大みそかに上海で起きた死亡事故を受け、自身が明治神宮に初詣に行ったときの体験談を中国版ツイッター・微博(ウェイボー)でつぶやいた。 

 

「2014年の上海外灘」と「2015年の東京明治神宮」の比較も確かに興味深いが、

「2014年の上海外灘」と「1956年の新潟弥彦神社」の比較も重要である。

 

2014年、支那・上海外灘(バンド)で将棋倒し。死者36人、重軽傷者47人。

1956年、日本・新潟弥彦神社で福モチ撒きに集まった参拝者が将棋倒し。死者124人、重軽傷者77人。

  

上海の事故は金券のバラマキのせいではなかったようだが、

新潟弥彦神社の事故は福モチ撒きが原因だったそうだ。

とりあえず、弥彦神社死者数は上海外灘の3倍を超える。

さらに、1956年の新潟の人口と、 2014年の上海の人口を比べれば、その被害の甚大さが判ろうというものである。

 

支那では去年、上海だけではなく、内陸部でも起こっている。

 

モスクの宗教行事で将棋倒し、14人死亡―寧夏回族自治区|レコードチャイナ

2014年1月6日(月)
2014年1月5日、中国寧夏回族自治区固原市西吉県にあるモスク・北大寺で行われた宗教指導者の追悼行事で将棋倒しが起き、14人が死亡、10人が負傷した。新華網が6日付で伝えた。
事故が起きたのは午後1時ごろ。揚げパンを配布していた際、信者が殺到し、将棋倒しとなった。
負傷者はすぐに西吉県人民医院に運ばれたが14人が死亡、けがをした10人(うち重体4人)が治療を受けている。事故に関する捜査は現在も続いている。(翻訳・編集/NY)

 

もちろん、日本も弥彦神社だけではない。戦前も戦後も起こっている。

 

1934年、日本・京都駅で海軍入隊者への見送り客が殺到し将棋倒し。死者77人、重軽傷者157人。

1954年、日本・東京皇居二重橋一般参賀者が殺到し将棋倒し。死者16人、重軽傷者65人。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b8/Kyoto_Station_overbridge_crowd_accident.jpg/300px-Kyoto_Station_overbridge_crowd_accident.jpg

 

将棋倒しをやらかすような支那人民度が低い!ということになると、

1956年の新潟県人、1934年の京都府民、1954年の東京都民の民度は、どう表現すべきなのだろうか? 

歴史に学ぶ、というのは常に都合がイイ結論が出るとは限らないようだ。

 

確かに、1934年より、1954年より、1956年より、2015年の日本人の方が公共マナーはマシになったといえるかもしれない。歴史は進歩するのだ。

 

日本と支那だけではなく、ヨーロッパのサッカー場、人口がケタ外れに多いインド、大群衆が集散するメッカ巡礼なんかでは、もっと大規模な将棋倒しが何回も何回も起こっている。死者がどれくらいになるか知らない。

  

繰り返される群衆の圧死事故、過去にも多くの犠牲者 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News

2015年9月25日
【9月25日 AFP】サウジアラビアにあるイスラム教の聖地メッカ(Mecca)近郊で大巡礼「ハッジ(Hajj)」の最中に発生した24日の圧死事故は、犠牲者が700人を超え、過去100年ほどの間に世界各地で起きた同様の事故の中でも最悪のものの一つとなった。
 こうした多数の犠牲者を伴う群衆の圧死事故は、これまでに幾度も発生している。
■巡礼者1426人死亡、サウジアラビア(1990年)
 1990年7月2日、メッカ近郊のミナ(Mina)で、巡礼者が移動するためのトンネル内で転倒事故が起き、1426人が死亡した。大半はアジア地域からの巡礼者だった。
 この日は大巡礼の最終日にあたり、投石の儀式のために大勢の巡礼者が集まっていた。
 トンネルは幅20メートル、長さ約1キロで、一度に通行できる人数は1000人となっていたが、事故当時は約5000人がこの中にいたという。目撃者によるとトンネル内の換気装置は停電のため作動していなかったという。
■巡礼者約1000人死亡、イラク(2005年)
 巡礼中の圧死事故はイラクの首都バグダッド(Baghdad)でも起きている。
 2005年8月31日、バグダッド市内カダミヤ(Kadhimiyah)地区のモスクで迫撃砲による攻撃があり、逃げ出した大勢の巡礼者らが橋に殺到。橋の上で圧死したりチグリス川(Tigris River)へ飛び込んで水死したりして、女性や子供、高齢者を含めた1000人近くが犠牲となった。2003年の米軍侵攻以来、イラクで最も多くの死者を出すこととなった。
■死者1389人、帝政ロシア(1896年)
 1896年5月30日、ニコライ2世(Nicolas II)の戴冠を祝ってモスクワのホディンカ(Khodynka)平原で行われた行事に群衆が押し掛け大混乱となり、1389人が死亡する惨事となった。(c)AFP

 

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インシャラー(すべては神の御心のままに)。

 

2014年韓国セウォル号→朴槿恵弾劾投獄VS2022年ソウル梨泰院→尹錫悦?~「修身斉家治国平天下」というハンプリ(恨解き)。 - 在日琉球人の王政復古日記