在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

油を塗られた者=メシア=イエスVS罪の女=ベタニアのマリアVS会計係イスカリオテのユダの香油戦争。

21世紀の「ベタニアのマリア」は、男な上に、医者らしい。

youtubeで自ら「信仰告白」と同時に「犯行自白」している。

 

ただし、2時間もあるんで、一般人にはオススメしないが(笑)、宗教、キリスト教福音派、特に「リバイバル」に興味のある人には興味深い動画だと思う。

彼や聴衆は特別異常でもなんでもない。宗教とは本来「こういうモノ」なのだ。初詣とオミクジだけが宗教なのではない。

 


20130706 IMMJapan決起大会東京

 

「報道が真実なら正直に話してほしい」 油まき容疑の宗教団体幹部の家族が訴え (J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

2015/6/2
 講演では、震災直前に東京へ向かう飛行機に乗っていたと明かし、その理由として、聖霊から「日本に戻りなさい」とお告げを受けたからだと主張した。機内では、鳥居が揺らいで倒れるのを見たとし、地震が起きる2時間前に予言があったとした。その後、震災で倒れた鹿島神宮茨城県)の鳥居の写真をスクリーンに映し、こう告白した。

  「そのとき悟ったのは、あー、本当に日本の君の首が折れたんだ。アーメン

 男によると、イエス・キリストが災難を用いて敵を裁いたというのだ。

 こうした動画は、活動団体のホームページ上で紹介されており、日本の社寺には悪霊や呪いが憑いているとして、「油を注いで清めた」などと犯行をにおわす発言を繰り返していた。集まった人々には、「油で清め、日本人の心を古い慣習から解放する」「仏像など徹底的に偶像を破壊して下さい」などと過激な呼びかけもしていた。

(略)

   男は、もともと在日韓国人だったが、1979年に日本に帰化した。これは、この年の官報に記載されていた。男の家族にもキリスト教徒がおり、この家族は、宗教情報サイトで、在日韓国人として自らのアイデンティティに悩み、イエス・キリストと出会って救われたと明かしていた。 

 

ここで出てくる「日本の君」という、キリスト教ではあんまり聞いたことがない、独特の概念にも興味はある。

ただしyoutubeを見た限りでは、日本人の皆さんが想定する「天皇陛下」や「皇室」を直接指してる概念では無いみたいだ。もちろん本人も気付かない深層心理では結びついてるかもしれないが。

 

ただ、そのまえに、まず最初に。

このニュース、案の定というか予想通り(笑)、ネットでは「韓国」が最重要のキーワードになっている。

確かにこの事件の動機の背景に「韓国」的要素がないわけではないが、「韓国」だけに注目すると、一番興味深い「宗教」の部分が矮小化されてしまう。

この事件、「韓国」だの「反日」だのよりも、まず「宗教」であることが一番の要素なのだ。

 

この事件に限らず、日本のネット保守は韓国や支那に思考/嗜好を縛られすぎだ。

この世界は、この宇宙は、日本や韓国や支那琉球(笑)だけでできてるわけではなく、そんなもんは極々マイナーな存在でしかない。
この世界においては、韓国なんかより、キリスト教の方がはるかに巨大な存在であり、そのキリスト教は不信心者にとっては「奇怪な異物」であり続けるのである。

 

「神社仏閣の悪霊、油で清める」 容疑の男、教団で説明 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

2015年06月02日
 また、男は2013年に「祈りの儀式」と称する場で、信者の額に「ヒソップの油だ」と言って、液体を塗っていた。ヒソップは、中央アジアから南欧に分布するシソ科の多年草。ハッカのように爽やかで甘い香りが特徴で、旧約聖書にも出てくる。 

 

彼の主観的には本当に「お清め」である。日本への復讐心?で汚すつもりはなかった。汚いモノをまいたのではなく、清いモノ・聖なるモノをまいたのだ。

 

そもそも、彼が「清めの油」ではなく、「清めの聖水」を使用していたら、「清めの念力」のみを使用していたら、物理的被害は何の残留物も無く、同じ動機の「宗教」行為でも、「世俗」の犯罪は成立しなかったのだ。

 

神社に油で逮捕状 「悪霊追い出した証し…」米在住の医師、周囲に説明 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

2015/06/01
 20年に1度の式年造替(しきねんぞうたい)を迎えている春日大社の更谷豪一管理部長(63)は宗教関係者の浮上に「もってのほか」と憤り、「けがれをはらい、お清めのために体に水を浴びたり、建物を水拭きしたりするのは分かるが、油をまくなどありえない。祖先から受け継がれてきたものを汚され、遺憾だ」と語った。

 

「ありえない」ことはない。

神道では、というか日本では、清めに「水」を使うが、キリスト教の生まれた中東では「油」も使う。

油の話は、聖書、4大福音書にはいくらでも載っている。

 

そもそもメシアとは「油を塗られた者」という意味なのである。

 

聖書において、「罪の女」と「イエス集団の会計責任者」は、油の使い方を巡って激しく対立する。

  

形而上的=信仰的には意義のある「清め」のために、ベタニアのマリアは、イエスの足に油を注ぎ消費する。

しかし、その行為は、形而下=現実世界の経済活動の責任を持つイスカリオテのユダにとっては、まったくの無駄使いであり、単なる浪費だ。

 

ヨハネ福音書

12:3 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
12:4 弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
12:5 「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
12:6 彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
12:7 イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。

 

ルカ福音書

7:36 あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
7:37 するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
7:38 泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。

(中略)

7:48 そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
7:49 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。
7:50 しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

 

経済的な観点からすれば「資源は浪費せず、効率的に有効に使え」というイスカリオテユダの意見が正しい。

しかし、裁きの主・イエスは、経済的には何の益も生まない無駄遣いでしかないマリアの行為に軍配を上げる。

 

ずっとイエスの聖なる事業に献身してきたユダの意見を否定し、罪の女(慰安婦、じゃねえや、おそらく娼婦)にすぎない無名の女性を受け入れ、救済する。

 

ここにキリスト教思想、というか、宗教思想の重要要素が出現する。

宗教は「計算つまり経済」ではない。宗教は計算を度外視した不合理なのだ。

 

同じような話は儒教論語にもある。

合理性を主張した、秀才・子貢や、奇才・宰予が、ユダの役回りである。 

 

マヤ、アステカの「孔子」、インカの「論語」その1~生贄、人肉食、だんじり、御柱祭、上げ馬神事、厄払い鯉。 - 在日琉球人の王政復古日記 

子貢欲去告朔之饋羊、子曰、賜也、女愛其羊、我愛其禮。(論語・八佾第三-17)

子貢、告朔の饋羊を去らんと欲す。子曰く、賜や女はその羊を愛む、我はその礼を愛む。 

 

孔子の直弟子でも一二を争う大秀才・子貢が「毎月毎月やっている告朔の祭礼で、毎回毎回羊を生贄にするのは止めませんか?」と孔子に進言した。 

しかし孔子は「お前は羊という財産を失う事を恐れている。私は祭礼という文化を失う事を恐れるのだ」と返答した。

 

なぜ、子貢は羊の生贄に反対したのか?
前近代の人間である子貢が、人権思想のなれの果てである動物愛護に目覚めたとは思えない(笑)。
子貢は学問だけでなく商才に長けた経済人でもあったらしいので、おそらくは「羊を殺すのはコストパフォーマンスが悪すぎる」という経済合理性からの意見であろう。

子貢は「羊の生命」ではなく「羊の値段」を重視したのだ。

対して孔子は、われわれ人類には経済合理性を超えた価値があると主張する。

それが儒教の「礼」、人間と人間、人間と神、人間と自然、の間を破綻なく管理するプログラム=文化、と呼ばれるものだ。

人間の礼を守るためなら、羊の値段は惜しくない。 

 

そして、このエピソードの後、経済合理性を無視するイエスに愛想をつかしたのか、それともマリアへのジェラシーか、イエス集団の会計責任者・ユダが、イエスユダヤ教側に売り渡す決心をする。

エス殉教の導火線に当たる、非常に重要なエピソードである。

 

ただ、罰当たりな感想を述べさせてもらうと、聖書はイエスの書いたもんでも直弟子の書いたもんでもなく、少なくとも100年以上経過してから編纂されたものである。

だから福音書によって内容はバラバラだ。ホントにそういう話だったのか?どうかも怪しい。

この話だって、私の福音ではこう述べられている

 

在日琉球人の福音書(偽典)

エス「メシ食おうぜ」

ユダ「おう。マリア、買っといた食材でシチュー作ってくれや」

マリア「あいよ・・・おまた」

ところが、マリア転んで、シチューをイエスにぶっ掛ける。

エスあつ、あつ、あつ、あつー!

マリア「ごめーん」

エスの頭を便所の雑巾で拭くマリア。

ユダ「おい、きたねえな! こら、マリ公。お前はいつもそそっかしいんだよ!失敗(罪)ばっかりしやがって!・・・おいおい、その食材高かったんだぞ!オレたち貧乏人には痛い出費なんだよ

エス「ユダよー、そうケチケチ言うなよ。カネなんてどうにかなるさ。マリちゃんだってワザとじゃないし」

ユダ 「アニキはいつもそれだ。オレは会計任されてるからナアナアはできねえんだよ!・・・ちっ!オッパイのデカイ女は得だよなっ」

エス(顔真っ赤)

マリア「やだー(照れ笑い)」 

 

こんなサークル内の笑い話が、高尚な思想劇に化けたかもしれない。

 

今回の油まき医者の思想的背景には、「韓国」がないではないが、もっと大きいのはキリスト教、それもプロテスタント、さらに福音派、そして「リバイバル」運動がある。

不信心の日本人はニュースか世界史の教科書くらいでしかキリスト教に出会わないから、キリスト教に「カトリック」と「プロテスタント」が別物だくらいは知ってても、

カトリック」は、イタリアっぽい、南米っぽい、ゴテゴテして、派手で、熱狂的で、古臭くて、頑固そう、、、

プロテスタント」は、アメリカっぽい、北欧っぽい、簡素で、理知的で、新しくて、物分りがいい、、、

てな感じだろう。それが間違いではないが、正しくもない。

 

特にプロテスタント」が新しくて、物分りがよさそうで、狂信的でなく、リベラルなイメージは半分以上間違ってる。

大雑把に言えば、「プロテスタント」はキリスト教原理主義なのである。イスラム世界のアルカイダやISISと同じような立場から始まったのだ。
ギリシャ・ローマ文明などの「非・キリスト教」要素をグダグダに受け入れて、聖俗ごった煮状態になったカトリックに対し、不純要素の排除を要求したのがプロテスタントであり、ISISと同じく世俗に対して徹底して非妥協的で物分りが悪かったのだ。

 

その後のプロテスタントは、聖俗分離を徹底したことで、政教分離にもなり、さらに近代科学の発展、工業化社会、教育水準の向上、ダーウィン進化論などの発見、世俗国家の強化などの影響で、宗教は政治や生活に介入するな、というリベラル化の道に進んだのがだいたいの流れである。

 

しかし、その現状追認には、プロテスタントが本来内蔵している「物分りの悪さ」「純粋な狂気」「他の価値への敵視」が常に反発を起こす。それが、ダーウィン進化論や中絶や同性愛を認めない!という福音派の勢力であり、リバイバル運動なのだ。

 

youtubeでしきりにノルウェーの話が出てくるが、ノルウェープロテスタントルター派で、世俗バンザイ、科学バンザイの風潮への反発から、アメリカの福音派ティーパーティーにも似た宗教運動があったらしい。

「ハンス・ニールセン・ハウゲ」でググるとイロイロ出てくる。

なんとなく、リベラルで、理性的な雰囲気のあるスカンジナビアも、不合理な狂気が内蔵された地域なのだ。

 

もちろん「韓国とキリスト教」という話も興味深い話である。

アジアでもフィリピンはキリスト教国ではあるがカトリックが優勢で、プロテスタントとしては韓国がアジア有数、極東最大である

日本も支那も、あれだけアメリカに統治された琉球も、東アジアではキリスト教徒があんまり増えなかったのに、韓国だけは急速にキリスト教化した。

 

そこにはどんな理由があったのか? 下記で考えてみた。

 

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