ダサすぎ? 東京五輪「おもてなし制服」、ネットで酷評:朝日新聞デジタル
2015/7/14(火)
東京五輪に向けて、外国人観光客を案内するために生まれたボランティアチーム「おもてなし東京」。期待の若手デザイナーを起用した制服がネット上で「ダサい」と酷評されてしまった。なんで、そうなっちゃったのか。
前々から疑問だったんだが、
日本の保守派の皆さん、右翼の皆さんは、なんで日常から「和服」を着ないのか?
たとえば、靖国神社で軍服のコスプレをしたりするが、
保守派にとっての「日本」って「戦争」しかないのか?
「古き良き日本」って「戦争」しかないのか?
なんだか、自分たちで、わざわざ、保守のイメージを暴力的にしてるだけだ。
そもそも軍服のどこが日本なのか? あんなもん洋服の真似じゃないか。
日本の保守派の興味は、靖国、日の丸、君が代、自衛隊、歴史認識、支那、韓国、「戦争」と「政治」と「外交」しかない。
自民党で百田さんを呼んで話題を提供したグループの名称は「文化芸術懇話会」とかいったらしいが、日本の保守派の普段の言動に「文化」も「芸術」もない。
でも、美しい日本というのなら、まず文化と芸術でしょ?
日の丸掲揚、君が代斉唱、もいいけれど、それより「普段から日常から和服を着よう」運動の方がよっぽど「日本を取り戻す」ことになると思うけどねえ。
政府が補助金を出して、何十万もする着物の値段を下げるとか。
それこそ環境破壊ゼロで、文化的で、反日左翼も文句のつけようがない、公共事業・文化振興でしょうに。
高鳥副大臣のTPPブルーチーズVS和装、和服、着物~武士道?サムライスピリット?じゃあ農民はナニを着てたの(笑)? - 在日琉球人の王政復古日記
五輪は2020年夏なんでしょ?
別に、クソ暑いのに、紋付羽織袴、振袖を着せようというのではない。
江戸時代から日本は蒸し暑かったわけで、庶民は半分ハダカで暮らしていたのだ。それこそ自分たちの知恵で涼しい浴衣、法被、半纏を愛用してきた。
オリンピック関係者の制服も、浴衣、法被、半纏でいいじゃないか。
福岡名物~5月博多どんたく、7月博多祇園山笠、3月ヤンキー特攻服中学生~京大前百万遍交差点こたつ。 - 在日琉球人の王政復古日記
都合がいいことに、浴衣も法被も半纏も、派手な色でもおかしくない。デザイン的に商標やロゴを入れやすい。
浴衣ならロゴ模様にすればいいし、法被半纏なら、背中にデカデカ、オリンピックのロゴが入っていても全然おかしくない。
革靴をやめて草履・雪駄を履けば良いじゃん。こんな湿気の多い国で、あんな寒冷乾燥気候用のクツをはく合理的理由はない。
外国人観光客だって、KIMONOのほうがエキゾチックで喜ぶだろう。
そう、エキゾチックである。
米ボストン美術館の和服体験イベント、「帝国主義」批判で中止―中国紙 (Record China) - Yahoo!ニュース
2015年7月8日
環球時報(電子版)によると、米ボストン美術館に展示されている印象派の巨匠、クロード・モネの油彩画「ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)」をテーマに、来場者が和服を着て絵と一緒に写真を撮るイベントが一部の批判を受けて中止された。
「ラ・ジャポネーズ」は白人女性が赤い和服をまとい、微笑んでいる構図。米紙ボストン・グローブによると、美術館側は絵と鑑賞者の「相互体験」を狙って写真撮影イベントを開催した。実際に和服を着て、生地に触って感触を確かめ、刺繍の細かさなどを知ってもらうことが目的だった。
しかし、一部から「民族蔑視だ」、「帝国主義を連想させる」などの批判が噴出。美術館側はイベント自体を中止した。
一部のネットの皆さんは正直、その意味が判らなくて、どうせ支那朝鮮系の反日プロパガンダだろう、と決め付けていたが、
さすがネットは広い(笑)。
ちゃんと、サイードの「オリエンタリズム批判」と気づいた人もいた。
「オリエンタリズム」は、単純に言えば「欧米白人から中東、アジア、アフリカなど非欧米の地域や文化への憧憬半分・蔑視半分の歪んだ視線」ということだ。
中東、アジア、アフリカの風俗や人間を、まるでSF映画の異世界や宇宙人、ファンタジー小説の奇妙な魔法王国やモンスターのように見る視線だ。
そして、当の現地人たちすら「欧米からの歪んだ視線」を共有して、自分たちの文化をエキゾチックに解釈してしまう倒錯ということである。
ノーベル平和賞 #マララ ちゃん、 #朝鮮学校 、NHK朝ドラを結ぶ、根源的な「差別構造」。 - 在日琉球人の王政復古日記
渡辺謙がニューヨークブロードウェーでやった「王様と私」なんかも典型的なオリエンタリズムである。
「王様と私」と「皇太子殿下とヴァイニング夫人」~鹿鳴館から捕鯨反対まで。 - 在日琉球人の王政復古日記
欧米白人の日本文化賞賛は、半分以上というかほとんど全部「オリエンタリズム」であり、あの「ジャパン賞賛」は本質的には「アジア蔑視」なのである。
欧米白人たちが、半裸の首狩り族がヤリ持って踊ってるのを、ファンタスティック!とか、エキゾチック!とか、誉めてるのと本質は変わらない。
それを、日本人が喜んで「クールジャパン」なんていってるのも、もう一つの「オリエンタリズム」なわけだ。
しかし、中東生まれ(つまり地中海沿岸、ヨーロッパの隣り)のパレスチナ人サイードが言ったから、って、欧米からも、中東からも、遠く遠く離れた極東の住人が従う義務はない。
日本から見れば、欧米も「異界」だが、中東だって思いっきり「異界」だ。
共通点が少ない中東と極東を乱暴に一緒くたにされるのも、また、中東人からの、いや、欧米の教育を受けた教養人からの、欧米特有の偏見じゃないか?とも思う。
「西洋VS東洋」というのは、古代ギリシャからの伝統的なヨーロッパ人たちの歴史観であり、古代東アジアの人間にそんな歴史観は無かったのだ。
クールジャパンでいいじゃん。
たとえ、文化人類学的に間違ってようが、民族文化を安売りしようが、とにかく儲かればいいのである(笑)。
2020年夏、日本はアジアの一国として、正々堂々「オリエンタリズム五輪」を宣言すべきだ。
スカートVSズボン~昔は、男もスカートをはいていたし、女性もズボンをはいていた。 - 在日琉球人の王政復古日記