異様な安保法制反対デモ、「笑劇の現場」 : アゴラ - ライブドアブログ
安全保障関連法案が衆議院の特別委員会で採決された15日(水曜日)、同本会議を通過した16日、国会議事堂周辺では早朝から、法案に反対するグループのメンバーらが集まり声を上げていた。
(略)
はっきり言うが、その描写は嘘だ。デモはそんな「かっこいい」雰囲気ではなかった。形容できる言葉を並べると「老い」「とげとげしさ」「政治団体の強い影響」「奇妙な人々による」という異様な雰囲気のデモだった。
安保法制反対デモは、異様な雰囲気な、奇妙な人々の、奇妙なパフォーマンス。
確かにその通りだと思う。
でもさ、
左だろうが右だろうが「政治デモ」、いや、広く「デモ全般」、いや、いろんな「路上活動」って、ほとんど全部「異様な雰囲気な、奇妙な人々の、奇妙なパフォーマンス」でしょ。
まあ「老い」は別にして(笑)、
「とげとげしさ」「政治団体の強い影響」「奇妙な人々による」もので【ない】政治関連のデモって、どれだけあるんですか? どんなのがあるんですか?
冒頭の「行動する保守」系のデモだって、支持者には普通に見えるかもしれないが、
ノンポリの人から見れば、
迷彩服着て路上で叫べば、十分「とげとげしさ」を感じるでしょう。
ネットで政治団体が呼びかけてるんだから、十分「政治団体の強い影響」でしょう。
西暦1945年以降のこの惑星で、ハーケンクロイツを公衆の面前に掲げるのは、十分「奇妙な人々による」行為でしょう。
安保法制反対デモの参加者も奇妙だけど、
朝鮮糾弾デモの参加者も、贔屓目に見ても、あんまりマトモには見えないわな。
右でも左でもないけれど、いや左か(笑)、このデモというかパレードはどうか?
海外のLGBTパレード。もろチン、じゃねえや、もちろん公衆の面前である。
欧米における同性愛は、まちがいなく政治的要求なわけで、これも政治デモだ。
そして、私がLGBTじゃないから偏見かもしれないが、十分「奇妙」である。
股間に「とげとげしさ」もあるし。
じゃあ、全く政治色の無い街頭活動はどうか?
渋谷のハロウィン。
これがマトモな大人のやることか(笑)?
私はこういうのキライじゃないけど。
デモやパレードというのは一種の祝祭、非日常なわけで、全部「奇妙」だ。
リオのカーニバルなんて、吉外が大集団で踊り狂う乱行ではないか。
日本各地のお祭りのお神輿行列って、冷静に見てみれば、なんだありゃ?
上に乗って踊ったり、お神輿同士をぶつけ合ったり、参道から蹴落としたり。
大阪岸和田のだんじり祭りだって、狂気の沙汰である。怪我人も死人も出る。
京都祇園祭りの山鉾だって、まことに奇妙な物体である。あれは何だ?
このデモは、たしかに奇妙で滑稽な「笑劇」だった。現実を目にした筆者もデモを笑った。しかし、その笑いでは軽蔑を込めた「冷笑」しか浮かばなかった。共感などかけらも感じられなかった。
そりゃ共感するわけがない。
書いてる人(石井孝明さん)が、反戦平和運動や左翼が嫌いで、安保法制に反対してない(賛成してる、じゃないところがお上手)んだから、敵対勢力を誉めるのは、よっぽどのことが無い限り、やらんわな。
メディアでは映されないが、組合ののぼりが立ち並んでいる。参加者の大半は、自発的に集まったのではなく、組織に動員されていた。「写真2」は日教組の固まった場所だった。平日から公務員が仕事をせずに、政治活動をしている。「写真3」は労働組合の「連合」の抗議だ。組合のすることは安保ではないはずだ。この組織はいったいなんのために存在しているのか。
労働組合は安全保障に無関係らしい。確かに第一義的な目的ではない。
経団連会長「早期に国として方向性を」 集団的自衛権:朝日新聞デジタル
安倍政権が憲法の解釈変更でめざす集団的自衛権の行使容認について、経団連の榊原定征会長は23日の会見で、「憲法解釈の変更は一つの重要な選択肢。論議を急ぎ、早期に国として方向性を出すべきだ」と述べた。政権を支持し、与党協議の早期決着を求めた。
じゃあ、労働組合と同じ経済関連団体である経団連だって、畑違いの安全保障に賛成だの反対だの意見を表明するのはおかしいだろう。
この組織はいったいなんのために存在しているのか。
書いてる人(石井孝明さん)は、当然、無関係な安全保障に首を突っ込んだ経団連も「冷笑」してくれるものと信じる。
それとも、政治的な好き嫌い「以外」の理由で、労働組合は冷笑するが、経団連はスルーする理由があるのなら別だが。
つーか、世界中の大きな労働組合で、政治(当然、安全保障も含む)に首を突っ込んでいない事例がどこにあるのか、教えて欲しい。
アメリカの労働組合はデモクラット(民主党)を支援してないのか?
政治は、特に近代政治は、たいたいが「カネ勘定」で成立する。
だから経済系、ビジネス系の人が政治を評論すると、こういう意見になる。
ほとんどは正しいのだが、政治は100%「カネ勘定=合理的」ではない。
政治が100%「カネ勘定=合理的」なら、そもそも大東亜戦争なんて起こってないし、ヒトラーだって、ポルポトだって、永田洋子だって、表舞台に出てこない。
政治とは、「狂気」であり、「祝祭」であり、「異様な雰囲気な、奇妙な人々の、奇妙なパフォーマンス」なのである。
残念なことに(笑)。