在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

陛下、33年遅そうございました~1938年「国民政府を対手とせず」が無かったら、共産党政権も無かったかも。

支那大陸蒋介石国民党政権で、

共産党は内陸部のゲリラで、

台湾は日本領で、

だいたいが、日本に「戦前」も「戦後」も無かったし、

そもそも国際連合だって、まあナチス次第でできていたかもしれんが、無かった可能性もある。

 

結構重要な史実なんで、長いがコピペ。

 

昭和天皇「蒋介石支持を」=国連代表権問題、佐藤首相に促す―日米文書で判明 (時事通信) - Yahoo!ニュース

 

 蒋介石総統率いる中華民国(台湾)政府が国連の代表権を失う直前の1971年6月、佐藤栄作首相が米国のマイヤー駐日大使(共に当時)と会談した際、昭和天皇から「日本政府がしっかりと蒋介石を支持する」よう促されたと伝えていたことが分かった。

 秘密指定解除された米国務省の外交文書で判明した。台湾の国連代表権維持への後押しを伝えたものとみられる。天皇の政治問題への関与発言が公になるのは極めて異例だ。
 この問題について、日本の外交文書にも「陛下が(中国問題を)心配しておられた」というマイヤー大使に対する佐藤首相の発言が記載されている。昭和天皇の発言の背景には、蒋介石が終戦直後に中国に残った日本人の引き揚げや天皇制の尊重、対日賠償請求権の放棄など「以徳報怨」(徳をもって恨みに報いる)と呼ばれる寛大な対日政策を取ったことに「恩義」や「信義」を持ち続けていたことがあると思われる。しかし、国連代表権は71年10月、毛沢東主席の中華人民共和国(中国)政府に移った。
 こうした経緯は、国連の中国代表権問題を詳しく検証した井上正也・成蹊大学法学部准教授(日本外交史)の研究で明らかになっている。「二つの中国」で揺れ動いた戦後70年の日中関係をめぐる「秘密折衝」の一幕が浮かび上がったが、井上氏は「蒋介石の行く末を案じた天皇の意向は、台湾擁護にこだわった佐藤の姿勢に少なからず影響を与えたのではないか」と解説する。
 米外交文書によると、71年6月2日にマイヤー大使と会談した佐藤首相は「天皇は建前上、政治問題に関心を持たないのだが、(蒋介石)総統が過去において日本のために多くのことをやってくれたと述べた」とした上で、天皇による「蒋介石支持」の意向を大使に伝えた。日本側外交文書はこれほど明確ではないが、佐藤首相が大使に天皇の「心配」を伝え、「日本政府としては蒋介石総統に対する信義の問題ということもあり、本問題については慎重検討中である」と説明。「まず台湾の国連における議席を確保する要がある」と訴えた。
 一方、秘密指定が解除された「佐藤首相・マイヤー大使会談」記録を保管する日本外務省の外交史料館(東京)では、「実は先刻陛下に御報告の際、通常陛下は政治問題には直接関与されないことになっているが、特にこの問題については心配しておられた」という佐藤首相の発言を黒塗りにして公開された。外務省は、天皇の政治関与発言が公になることに神経をとがらせているとみられる。
 97年に発行された「佐藤栄作日記」によると、佐藤首相はマイヤー大使との会談に先立ち、宮中に参内し、「中国台湾問題」を奏上したと記している。

 

陛下、畏れながら、ご聖断が33年ばかり、遅そうございました。

 

1971年の佐藤首相に対して、ではなく、

1938年の近衛首相に対して、だったらなら。

 

近衛さんが「国民政府を対手とせず」と声明を出す前に、昭和天皇蒋介石を支持していたら、もう少し違う日本、違う支那もありえた。

 

しかし、この時期に、安倍ちゃんの大叔父時代にあった昭和天皇の(あってはならない)政治介入の話が出てくるなんて、何かの陰謀だと思う(笑)。