フィフィ 点字ブロックを塞いで安保法案阻止を訴える学生に苦言 - ライブドアニュース
2015年8月27日
27日、フィフィが自身のTwitterアカウントで、歩道の視覚障害者誘導用ブロック(点字ブロック)を塞いで、抗議集会を続ける学生たちを批判した。
フィフィは、安全保障関連法案(安保法案)成立阻止を訴え、ハンガーストライキ(ハンスト)を実行するために、東京・永田町の国会前で座り込みを続ける学生グループについて、路上の点字ブロックを塞いで活動していることに苦言を呈している。なお、フィフィは以前にも、ハンストを実行した学生を批判している。
確かに、点字ブロックの上に座り込むのは、盲人の通行の邪魔である。
だったら、彼女の祖国エジプトにおける「アラブの春」は、盲人の通行に優しかったのか?
エジプト軍政批判デモで衝突、2人死亡 デモ各地に拡大 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
2011年11月20日
【11月20日 AFP】(一部更新)エジプト首都カイロ(Cairo)で19日、同国を暫定統治する軍に抗議する座り込みデモが行われていたタハリール広場(Tahrir Square)で、強制排除に乗り出した警官隊がゴム弾や催涙弾を発砲してデモ隊と衝突、1人が死亡、750人が負傷した。また、デモはアレクサンドリア(Alexandria)や南部アスワン(Aswan)、スエズ(Suez)などの都市に広がり、アレクサンドリアでは機動隊との衝突で1人が死亡した。
上記の画像を見る限り、「アラブの春」は道路を占有し、広場を占有し、交通も経済活動も妨害している。
自動車も通れない状態なのに、盲人があの場所を安全に歩けたとはとても思えない。
そもそも、エジプトの一般道路に「点字ブロック」が設置されてるかどうかも知らないが、まあ「点字ブロック」があったとしても、デモ参加者は「点字ブロック」の上だけ空間を空けてデモしてるようには見えない。
日本だけではないが、道路というモノは必ず交差する。
北へ行きたい人、南へ行きたい人、東へ行きたい人、西へ行きたい人、
人々は、必ず、他人とすれ違い、他人の前を横切る。
人間が道路を歩いているが限り、目が正常な人間も、必ず「点字ブロック」の上を通る。上をまたぐ。
人間は物理的に存在するので、同じ場所を、同じ時間に、複数の人間が存在することは不可能だ。
人間は生きてる限り、必ずどこかの場所を占有する。
人間が生きるということは、必ず、他人の邪魔になるのである。
だからこそ、自分の占有する空間を、他人が使用したいと宣告してきた時、状況の許す限りにおいて、その場所を開放する。それがルール、マナー、エチケット、公衆道徳というものだ。
倫理とは、場所を「占有しない」ことではない。
他人からの「私にもその場所を使用させろ」という要求に対応して、真摯に対応し、移動することを、倫理と呼ぶのである。
人間は言葉で動かすことができる。孔子の説いた礼とは、簡単には、そういうことである。
2015年東京の学生デモの場合、盲人が「道を空けてください」と言えば、おそらく、学生たちは「あ、ごめんなんさい」「おーい、目の不自由な人が通るぞ。道を空けろー」と点字ブロックを空けるだろう。
たしかに、盲人は若干の時間をロスし、余計な言葉でノドが乾いたかもしれない。それはデモ学生が悪い。しかし、その程度の迷惑を許容するのも、また、盲人側の倫理である。
しかし、2011年のカイロの場合、盲人が「道を空けてください」と要求しても、おそらくデモ隊は答えられないだろう。
それはエジプト人に倫理が欠如してるのではなく、状況的に盲人の要求に対応する物理的・心理的な余裕が無いからだ。無理に通れば盲人が危険である。
さらに、車に放火したり投石したりの「アラブの春」と
「点字ブロック」に座り込む東京のデモ、
どっちが犯罪行為で、どっちが社会の迷惑として劣悪なのか?
仮に「放火はするわ、盲人の交通を邪魔するわ、アラブの春に正義はない!人間のクズである!」と言ったら、フィフィとかいう芸能人はどう答えるのだろうか?
まあ、エジプト人だからといって、「アラブの春」に賛同しているとは限らない。ムバラク派かも知れないし。
で、彼女のブログ。彼女は「アラブの春」に賛同しているようだ。
エジプトの夜明け〜新たな一頁へ|フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba
2011-02-03
今まさにミダン・タハリール(解放の広場)で100万にも及ぶ民衆が新たな歴史の一頁を塗り替えようとしている。わたしはこの人々を見るとき、わたしの生まれる前ではあるが、かつて記録映像で見たナーセルの死を悼む群衆と重なった。あの時と目的は違えど、エジプト国民が一つになった事がどれだけの重みを持つのか、今この時代に、これだけの人間が情報を遮断されてもなを一つになれる事がどれほどの意味を持つのか、世界中に問いかけているようでならない。
最後にエジプトに旅行にきたにも関わらず観光もできる状態ではなく、さらにはホテルに缶詰、空港で足止めとなった方々には大変心を痛めています。帰国されたあるご婦人が、『またしばらくして落ち着いたらエジプトに行きたいです』と空港でインタビューに応えてらっしゃいました。その言葉はエジプトにとってどれだけの勇気と励ましであるでしょう。感謝の気持ちで涙がこぼれました。
しかし、日本のデモとエジプトのデモで、態度がダブルスタンダードである。
「エジプト国民が一つになった」というが、「デモなんて商売の邪魔だよ。商品を運ぶトラックが通行できない!」と怒るエジプト人もいるだろう。
「ホテルに缶詰、空港で足止めとなった方々には大変心を痛めています。」と書くように、エジプトのデモも、確実に無関係な他人に迷惑をかけている。
彼らの損害は、東京の盲人と同じではないか。
「『心を痛めています』なんて言葉がどうでもいいから、今すぐ邪魔なデモを止めろ」と言われたら、フィフィはどう答えるのか?
「点字ブロック」を占有する日本のデモには、今すぐ「点字ブロック」を開放しろ、と要求するフィフィは、
広場を占有し観光を邪魔するエジプトのデモには、今すぐ広場を開放して観光させろ、とは要求せず、「心を痛めています(でもやめません)」の一言で、他人の迷惑をチャラにしようとしている。
じゃあ、日本の「点字ブロック」占有も、「心を痛めています(でもどきません)」で許してやれよ(笑)。
フィフィ、安保関連法案に反対する学生たちに皮肉「ぬるいハンスト」 - ライブドアニュース
2015/8/20
フィフィは数日前から、国会前でハンガーストライキを行う学生に厳しくコメントし、「学生さん、世の中変えたいなら、ハンガーストライキするんでは無くてね、たくさん勉強して、政治家になって、この国のために努力したらいいんだよ」と諭していた。
じゃあ「アラブの春」で街頭に集まったエジプト人の平均的学歴が知りたい。
フィフィはなぜ、「エジプトの皆さん、世の中変えたいなら、街頭デモや暴動するんでは無くてね、たくさん勉強して、政治家になって、エジプトのために努力したらいいんだよ」とは言わないのか?
フィフィは、東京のデモを否定し、勉強しろ、と言うが、
カイロのデモを否定しないし、家に帰って勉強しろ、とも言わない。
東京の盲人は’(キライな安保法案反対デモ叩きに)「利用」できるから言及する。
しかしカイロの盲人は「利用」できない(逆に「アラブの春」の邪魔だ)から言及しない。
確かに、目が見える学生が「点字ブロック」を占有するのは倫理的にダメだろう。
しかし、
人権思想的に文句の言い難い、盲人の存在を、単なる「道具」として利用して、気に入らない政治行動を批判する、
いや、ぶっちゃけて言えば、
その国のマジョリティのナショナリズムをくすぐり、ヨイショ・阿諛追従・太鼓持ちで芸能商売のネット人気を上げてゼニを稼ごうとする、
その態度の方が、「点字ブロック」占有よりも、倫理的に劣悪であり、性根が腐っている。
エスニシティが後進国・第三世界の女性だからといって、ダブルスタンダードな発言を苦笑して許容するのは、逆に、人種差別・後進国差別・女性差別である。
もちろん、先進国の白人様ケント・ギルバート(モルモン教徒)も同様だ。