在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)~靖国で慰霊できるなら、法華経で呪殺も当然できる。

南無妙法蓮華経。まさに《日蓮》である。

 

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はためく「呪殺」の幟、響く読経、僧侶は躍り、末井昭さんがサックスを吹く! 45年ぶり再結成「呪殺祈祷僧団」の祈祷会に行ってみた(全文表示) - ニュース - Jタウンネット 東京都

2015年8月28日
2015年8月27日、東京・霞が関経済産業省庁舎前で、僧侶たちが「呪殺祈祷会」を行うらしい――Jタウンネット編集部がそんな情報を入手したのは、まさにその当日のことだった。
「呪殺」とはいったい何だ!? ただちに現地に向かった記者が目撃したものとは......?

 

再び立った「呪殺」ののぼり
その本筋に入る前に、話は45年前にさかのぼる。
読者の皆様は「公害企業主呪殺祈祷僧団」をご存じだろうか。
かつて公害問題が深刻化した1970年、汚染物質を垂れ流す工場・企業の経営者を、密教の呪術によって地獄に連行すると宣言した仏教徒集団である。総勢8名の団員が日本全国の工場を巡り、黒地に白抜きで「呪殺」と書かれたのぼりを背負って祈祷していたという。
それから45年。東京・霞が関経済産業省庁舎前に、再び「呪殺」ののぼりが立った。
公害企業主呪殺祈祷僧団の精神を受け継いだ僧侶たちが、その名前を「呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)」と改め再結成、脱原発・戦争法案反対のための呪殺祈祷会「死者が裁く」を開催したのである。
「呪殺祈祷会」は想像以上にエモーショナル
「言葉には力がある」「虐殺された死者の叫び」――!
午後3時。およそ100人近い聴衆に半円状に囲まれ、一人の僧侶が絶叫していた。会場にはアフリカンビートのように激しい木魚の音が鳴り響き、周りに坐した僧侶が発する太い掛け声が合いの手として入る。呪殺祈祷僧団による祈祷は、記者の想像を遥かに超えてエモーショナルなものだった。
その一種異様な雰囲気に、足を止める人も多い。なかには、祈祷会が始まる前に足を止め、そのまま終わりまで鑑賞し続ける人も。参加層は年配の人が中心だが、周りを見渡すと、若い女性の姿も少なくはない。
見る方もギクッっとする...末井昭さんも「サックス」で参加
今回の呪殺祈祷僧団再結成の発起人は、日蓮宗・本國寺の住職で、「天象儀館」に参加した劇作家としても知られる上杉清文さん。僧団員の数は忠臣蔵にちなんだ47人を目標としているが、現在のところ参加している僧侶は7人。今後も継続的な活動を行い、その中で名前通りの人数を目指すとのことだ。
会場で配られたビラのなかには、「戦争法案廃案」「安部政権退陣」「原発再稼働阻止」「売国奴に死者の裁きを」などといった言葉がみられる。と、なるとやはり「呪殺」の対象は現政権にあるのだろうか......。
しかし、Jタウンネットの取材に応じた同団体の中心僧侶の1人によれば、
「呪殺とは、殺人ではありません。神仏や死者の裁きを祈念し、他者や我々自身の煩悩を滅殺することを指します。であるので、特定の団体や個人を指して呪殺祈祷を行っているわけではないのです」
という。同氏はあわせて、「『呪』という字は『祈る』という意味で使っています」とも語った。祈祷の中では過激な言葉も見られないでは無かったが、文字通りの「呪殺」を図った1970年の「公害企業主呪殺祈祷僧団」とは、その目的を異にしていることは確かなようだ。
また、上杉さんの友人でもあり、呪殺祈祷では太鼓に合わせてサックスを吹いていた編集者・エッセイストの末井昭さんは、
「通常のデモだけじゃなく、このように少し変わった形でアピールした方が、見る人もギクッっとする。JKS47という略称とか、ちょっとキャッチーでお茶目な部分もあるけど、本物のお坊さんがやっているから、全部が全部ふざけているわけじゃない。その塩梅が絶妙だと思う」 
と語った。

 

上杉清文、、、って(汗)、70年代ポスト全共闘、80年代ニューアカな、その名前を、21世紀に再び目にするとは思わなかった(笑)。

 

13世紀の蒙古襲来。鎌倉幕府は鎮西(北九州)に御家人を動員したが、やったのは物理的防衛だけではない。「霊的防衛」も盛んにやっている。京都朝廷も同じ。

伊勢神宮延暦寺、岩清水八幡宮、東寺、宇和神宮、東大寺厳島神社などなど、神仏、宗派を問わず全国の社寺に異国調伏・蒙古調伏の祈祷・祈願を命じている

20世紀の日露戦争、太平洋戦争でも、政府は異国調伏の祈祷をやらせている。

調伏には呪殺も含まれるだろう。

 

帝国陸海軍の戦死者が「護国の英霊」になって靖国神社に安んじる、なんてことは科学では証明できない。だったら有り得ないウソだと切って捨ててイイのか?

すくなくとも、参拝する人にとって、英霊は虚偽ではない。

霊が存在するのならば、そして、参拝という生きた人間の行為が霊に通じるのならば、そっちだけ肯定して、呪殺を迷信だなんてバカにするのはダブルスタンダードである。

 

仏教に呪殺はない、という意見もあるが、あるよ(笑)。

じゃあ、13世紀の鎌倉幕府や京都朝廷、延暦寺高野山派、いったい何をやっていたことになるのか?

 

たしかに釈迦は、呪殺なんて認めないだろう。相手を呪うような愛憎の執着から卒業せよ、というのが釈迦の教えだからだ。

大乗なんて、念仏なんて、法華経なんて、密教なんて、呪殺なんて、「釈迦の思想」には確かに無い。

しかし、「仏教」にはある。

なぜなら、「仏教」と、「釈迦の思想」は、イコールではないからだ。

今、存在する「仏教」は、確かに「釈迦の思想」も含まれるが、「釈迦以外の別の思想」 も大量に含まれている。量的には後者のほうが多い。

 

そもそも、インドの釈迦だけが正しく、日本の仏教が間違ってる、念仏や法華経や加持祈祷が間違ってる、なんていう根拠が、いったいどこにあるのか? どこにもないじゃないか。

 

念仏や法華経や加持祈祷、法然親鸞日蓮空海などの新しい大乗仏教の方が、古い上座部仏教よりも正しい、いや、本家本元「創始者」釈迦よりも優れている、そういう可能性もありうるではないか。

ルター派カルヴァン派は、カトリックより後に生まれたが、彼らプロテスタントは自分たちがカトリックよりも優れていると確信している。同じ事が仏教に無いとは言えまい。

 

まあ、中世日本の法然親鸞日蓮空海も、古代インドの釈迦も、どっちも間違ってる可能性が、おそらく一番高い(笑)。だって、どっちも、妄想じゃん(笑)。

妄想と、妄想に、どうやって、上下・優劣を付けるのか?

付けられるのは、理屈ではなく、人が、というか、あなたが、救われるか?、救われないか?、というか、救われたと「誤解できる」か?、しか評価基準はないではないか。

 

呪殺や調伏に関しては、仏教の中でもやはり比叡山や東寺など密教の得意分野である。

また、なんでもオールマイティな法華経も得意としている。

 

だいたいが、法華経LOVEの日蓮さんが鮮烈デビューしたのは、蒙古襲来なのだ。

立正安国論」で、念仏は邪教だ、浄土信仰を放置すると日本が滅亡する、法華経を国教とすれば内乱も外敵も鎮まる、と説いた。

法華経と蒙古襲来は、物理的関連性はないが、宗教的・霊的には密接に関連するのである。

 

法華経を信じれば、蒙古は撃退できる。

法華経を唱えれば、原発再稼動や安保法案は阻止できる。

日蓮さんとJKS47の言ってること、やってることは、同じだ。

 

日蓮さんも法華信者も、題目を唱える。

南無妙法蓮華経」には現実的なパワーがあるのだ。

人の心だけでなく、現実も動かすのである。

 

「言葉には力がある」「虐殺された死者の叫び」――!

 

JKS47のこの言葉を否定したら、日蓮宗も、日蓮正宗も、創価学会も、法華経信仰も、日蓮さん自身も、成立しないことになる。

日蓮さんだけではない。

当然、靖国神社も成立しないし、

日蓮さんのライバル「南無阿弥陀仏」の浄土信仰も成立しない。

 

はじめにロゴス(言葉)があった。ロゴス(言葉)は神と共にあり、ロゴス(言葉)は神であった。(ヨハネ福音書

 

子曰、必也正名乎、
子曰わく、必ずや名を正さんか。(論語子路第十三) 

 

キリスト教儒教も成立しない。

歌も成立しなくなるのではないか?

 

新富士駅曼荼羅~日蓮・創価学会VS長渕剛~昭和の「大石寺登山」から、平成の「オールナイトライブ」へ。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

長渕剛の歌に感動する人は、言葉に力があるかどうか?答えはあるはずだ。

 

言葉の力を否定するのは、人間存在の否定だ。

なぜなら人間は「言葉の動物」だからだ。

 

言葉の力を信じる。

特に法華経信仰に、さらに日蓮さんにその傾向は強い。

 

法華経信仰は、戦前の政治を動かした。

二・二六事件北一輝も出てきたし、

血盟団事件井上日召も出てきし、

「八紘一宇」の生みの親・国柱会の田中智学も出てきた。

彼らは法華経という言葉で現実の政治を動かそうとした。

 

戦後は新興宗教が大流行する。そのかなりの割合が、日蓮系、法華経系なのだ。浄土信仰や密教禅宗から出てきた新興宗教はほとんどない。

JKS47は日蓮宗

創価学会は元・日蓮正宗

宗派は異なるが、同じ日蓮信仰、法華経信仰である。

 

日蓮信仰、法華経信仰は、そういうテンションの高いタイプの人間が触発されやすい思想なのである。