在日琉球人の王政復古日記

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西武セゾンと〇|〇|~資本主義革命「80年安保闘争」

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半世紀前の大昔、「安保闘争」というのがあった。

 

ここでいう「安保」とは、

安倍ちゃんの安保法案(集団的自衛権)ではなく、

お祖父さんの岸信介日米安保条約(日米同盟)である。

2015年「SEALDs」の皆さんは、安倍ちゃんの安保法案に反対だが、

1960年代「全学連」の皆さんは、岸さんの安保条約に反対した。

 

でも、こういう「闘争」は、なにも2015年と1960年代だけの話ではない。

 

[コラム]カセットにペンパル…80年代の出来事で懐かしいと思うことランキング - gooランキング

1980年代は、バブルと呼ばれる日本経済の絶頂期でした。モノやお金が溢れ、好景気の恩恵を皆が享受していた時代といっても過言ではありません。今では当たり前のパソコンが初めて登場したのも1980年代のことです。その頃を懐かしく思い出す人も多いはず…。そこで今回は、80年代の出来事で懐かしいと思うことについて調査してみました。

 

戦後日本の「サブ」カルチャーを、10年刻みで表現するならば、 

(戦後日本の「メイン」カルチャーは、今日までずーっと親米資本主義)

 

1960年代は、社会主義への夢があった時代である。戦後高度経済成長も始まり、資本主義の勝利が見えてきたが、学生たちは社会主義に賭けてデモをやった。いわゆる「60年安保」だ。 

 

1970年代も、その余波は続き「70年安保」と呼ばれる。

しかし70年代も初頭「連合赤軍事件」が発覚、社会主義への夢は壊滅する。若者は政治にシラケて、敬遠するようになる。

 

「安保」という表現は、一般的には、60年代・70年代で終わるが、もしサブカルチャーのトレンドを「安保」と表現するならば、各時代に「安保」はある。

 

1990年代は、「バブル崩壊」そして「オウム真理教」の10年。

「90年安保」とは、「社会主義」に代わって「オカルティズム」の時代だった。「新世紀エヴァンゲリオン」も90年安保=オカルティズム革命の象徴である。

 

オカルティズム革命「90年安保闘争」~昭和天皇崩御、オウム真理教、新世紀エヴァンゲリオン。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

バブル後/ネット前~東京は夜の七時(ピチカート・ファイヴ/1993)~留守番電話と潰れたレストラン。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

2000年代は、社会主義が崩壊し、資本主義が低迷し、オカルティズムが暴走に終わって、「ナショナリズム」がトレンドになる。

その象徴が「サッカー日韓ワールドカップ」だ。外国といえば「アメリカ」しかなかった日本に、久々に韓国や支那が再登場してくる。それが日本のナショナリズムを刺激した。「00年安保」とはナショナリズム革命である。


2010年代は、今のところ「東日本大震災」と「集団的自衛権」である。

原発は大きく頓挫し、韓国や支那の存在も日常化し、日本の景気もどんよりしたまま、そもそも日本経済自体が支那の上海株で左右される時代に、もはや単純なナショナリズムでは通用しそうもない。

安保法案への反発は、日本がまだナショナリズム一辺倒でもない、しかし、憲法9条ナショナリズムに対抗できる思想を再構築できそうにもない、そういう視界不良のフライトが続く。

 

60年安保社会主義ソーシャリズム

70年安保は社会主義の残り火と、社会主義への幻滅と迷走。 

90年安保は資本主義への幻滅と、オカルティズムへの暴走。
00年安保はナショナリズム復権

とすれば、80年安保とは何か?

 

「80年安保」とは、ずばり、キャピタリズム=資本主義、であった。

丸井や西武セゾンが象徴する消費資本主義全面肯定、プラザ合意、バブル景気、ジャパン・アズ・ナンバー1・・・おそらく日本史上、日本人がもっとも幸福だった、不安が少なかった、爛熟の10年であった。

日本人はバブル景気に土地神話にNTT株に踊り狂った。キャピタリズムの反乱だ。

そして、圧倒的に「東京の時代」でもあった。

 

60年代、社会主義を信じ、その夢は連合赤軍が破った。 

80年代、資本主義を信じ、その夢はバブル崩壊が破った。

90年代、行き場を失った日本人はオカルティズムに迷い込み、その夢はオウム事件が破った。

00年代、オカルティズムから追い出された日本人は、最後の砦・ナショナリズムに篭城する。

90年代、00年代、10年代の日本は「80年安保」のツケを支払ってるようなもんである(笑)。

 

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こういう考え方を遡らせれば、

 

1950年代、「50年安保」は無思想。とにかく今日の飯、明日の仕事、荒廃からの復興が全てで、思想もクソもない。尊皇愛国は地に堕ちたが、民主主義も身に付かない、徴兵と空襲がないことだけがありがたい時代だ。

 

1940年代、「40年安保」は、国体護持か?全日本人特攻玉砕か?、国体を守って死んで生きるか?降伏して生きながら屍か?、の時代。帝国陸海軍からマッカーサーのGHQへ。鬼畜米英にギムミーチョコレート。

 

1930年代、「30年安保」は、対英米協調か?八紘一宇か?、日本の生命線はアメリカなのか?満蒙なのか?、日本史上最大の判断ミス、そして歴史の必然の10年である。

 

さて、「2020年安保」は? 

オリンピックの競技場騒動やエンブレム騒動から見るに、

高度経済成長時代の東京オリンピックみたいに好景気で底抜けに明るくもなく、

ナチスベルリンオリンピックのようにナショナリズムの狂気の暴走でもなく、

なんだか、やることなすこといい加減な「ズンドコ日本」になりそうな予感もする。

  

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