在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

朝鮮通信使のアウトプットの欠如~贅沢三昧できるのに、日本への亡命はついに1人も出なかった。

前々から不思議なのは、あれだけ「インプット」に優れていた朝鮮通信使たちの「アウトプット」、というか「アウトプットの欠如」なんだわな。

 

日韓学生、朝鮮通信使を再現「個人同士は仲良くできる」:朝日新聞デジタル

 開会式では国交正常化50年を記念し、日韓の大学生らが江戸時代の外交使節団「朝鮮通信使」を再現。韓国の大学生が朝鮮通信使正使、日本の大学生が江戸幕府将軍に扮し、「平和メッセージ」を交換した。

 

歴代の朝鮮通信使たちは、支那文明圏の基準で言えば、間違いなく知識人だし、彼等の残した日記や報告を見れば、その観察眼はなかなかのもんだと思う。 

異国である日本の政治体制や経済規模や風俗文化などをちゃんと観察してる。

 

イルボンHENTAI見聞録「海游録」~申維翰VS雨森芳洲~1719年の日韓「×慰安婦→○慰安【夫】」論争。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

つまりは、情報収集=入力=インプットは、(現代から見ても)ちゃんとやっているのだ。
しかしだ。彼等には情報活用=出力=アウトプットがあんまり、というかほとんど無いのだ。

 

たとえば「システムAは、朝鮮ではB方式で運用しているが、日本はC方式で運用していた」という情報はちゃんと取得している。インプットはある。 

そして「朝鮮B方式と日本C方式は、どっちが良いのか?」という判断も一応ある。情報処理はしている。ここまではあるのだ。

それで「朝鮮B方式の方が優れている」という判断が下されたのなら、(その判断が正しかろうが間違っていようが)それはそれでアウトプットは出たんだから、仕事としては完了している。

しかし「日本C方式の方が優れている」という判断が下された場合、それなら「朝鮮でもC方式を採用すべきだ」とか「朝鮮の国情じゃC方式がやっぱり無理だ」とか「日本がC方式を採用している理由は何だろう?」とか、そういうアウトプットが非常に乏しいのだ。

 

例えば、朝鮮通信使たちは、大坂、京、名古屋、江戸の各地において、豪華絢爛な街並みに驚きビックリしている。「漢城(ソウル)よりも何倍も繁栄している」と何度も書いている。

支那はもちろん、朝鮮の著名な儒者の著作物が、日本の書店で販売されていることにも驚いている。

 

彼らの観察は正確だ。

日本列島と朝鮮半島の経済力・生産力は、江戸時代だけでなく、稲作が普及して以降、ずっと日本のほうが上だったと思われる。人口も日本のほうが多い。

それはなにも、日本民族は優秀だ!みたいなナチス的発想(笑)ではなく、日本の温暖な気候と豊富な降雨量、それから金や銀などの鉱物資源である。

 

天と地に呪われ、そして愛された日本列島。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

おそらくは、百済新羅高句麗三国時代の昔から、朝鮮半島は、支那に距離的に近かったお陰で、文化的なアドバンテージが上だったかもしれないが、経済力・生産力、それに裏打ちされら人口、つまり軍事力は、日本のほうが上だっただろう。

 

朝鮮通信使たちは「日本は朝鮮よりも経済的に繁栄している」という事実は正確に観察している。
そして、驚いているということは「経済的繁栄は大変良い事である」という価値基準も日本人と同じように持っていることを意味する。

ナンかの宗教家みたいに「地上の財宝は塵芥と同じで意味は無い。虚しいモノだ」とかいう発想はない。

 

しかし、その後が無い。

 

日東壮遊歌の金仁謙みたいに「倭奴どもが我々よりこんなに贅沢してるのは許せん。この地から倭奴を追い出して、朝鮮の国土としたい」と書いてるのはまだ良いほうだ。それは当たり前の感情だから理解できる。
しかし金仁謙にしても、帰国後、王朝政府に「倭国侵略」を進言したような記録は無いようだ。

つまり「イルボンはいいな、いいな。オレも欲しいなあ」で終わってるのだ。

 

「日本のほうが朝鮮より経済的に繁栄している」という情報インプットがあり、

「経済的繁栄はうらやましい」という価値判断はあるのに、

「じゃあ朝鮮王朝としては、どうすべきだ」というアウトプットが無いのだ。

 

倭国を侵略して繁栄を奪おう」という戦争プランでもいい。
倭国を研究して繁栄の秘密を探ろう」という研究プランでもいい。
倭国のように繁栄すれば、王朝内部の政治バランスの崩壊や、清朝の介入を招くので、止めた方がいい」という政治的結論でも良い。
そういうアウトプットが無いのだ。

 

別に国家レベルのアウトプットでなくてもいいのだ。
「日本人はオレの書画や詩文を高く買ってくれる。ビックリするほどの黄金を出してくれそうだ。
 それに日本は贅沢ができる国だ。自然は豊かだし、食い物は上手し、女は優美だし、演劇などの娯楽もあるし、コミュニケーションも漢文で十分だ。
 こんなに贅沢できるのなら、政治派閥抗争でギスギスした朝鮮へ帰るのはアホらしい。書画や詩文を作って売って、ここで贅沢三昧に暮らそう」

という個人の欲望でもいい。

しかし、日本に住み着く朝鮮官僚はついに1人もいなかった。

 

まあ朝鮮に家族や血族を残して王朝政府から亡命するわけにはいかなかっただろうし、朱子学的制約と言ってしまえば、それまでだが、なぜ、国家的な、または個人的な具体的アウトプットが出なかったのだろう?
朝鮮通信使たちは、他国の経済的繁栄をうらやましいとは思っても、自国へ移植しようとは思わなかったのは、何故なんだろう?

 

もし歴史とがサカサマに、李氏朝鮮のほうが「日本通信使」を受け入れていたら、どうだったろう?
定期的に幕府使節団が朝鮮を来訪していたら、幕府官僚は、朝鮮で何を見て、どのような日記を書き、幕府に対して如何なる進言を行っただろうか?

日本人なら、おそらくなんらかの「アウトプット」は出していた様な気がする。

 

政治的には無理でも、文化的には何かやっただろう。朝鮮を舞台にした歌舞伎の演目くらいは作っていたと思われる。