在日琉球人の王政復古日記

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共産主義映画列伝「君の涙、ドナウに流れ1956」~ハプスブルグ家の夢、オスマン帝国の後始末。


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映画「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」予告編 - YouTube

 

ハンガリーがセルビア国境封鎖、EU域内への難民・移民流入阻止 | ロイター

2015年9月16日
セルビアハンガリー国境 15日 ロイター] - ハンガリー政府は15日、難民・移民が欧州連合(EU)域内に入る主要な陸路となる南部のセルビア国境を封鎖し、欧州への大量流入を自ら阻止する手段に出た。
EUは14日、ブリュッセルで内務相会合を開き、さらに12万人の難民を受け入れることで合意したが、具体的な分担方法では最終合意に至らなかった。
ハンガリー政府によると、新たな措置では、EU域外のセルビアとの国境で難民申請する者は自動的に追い返され、隠れて国境を越えようとした者は収監されることになる。
(略)

 

2015年 ハンガリー、シリア難民のEU流入を阻止のため、セルビアルーマニアクロアチア国境を封鎖

今の政権与党は、フィデス=ハンガリー市民同盟。政策は民族主義、保守、右派。

 

1989年 ハンガリー東ドイツ人の西側亡命を援助するため、オーストリア国境を開放

当時の政権与党は、ハンガリー社会主義労働者党の改革派。政策は脱・共産主義、自由化、民主化

 

この1989年「汎ヨーロッパ・ピクニック」事件によって、東ドイツ独裁政権は一気に混乱、ついにベルリンの壁も崩壊、東西ドイツ統合、ソ連解体へと進む。その後、EUが拡大し、現在に至る。

東西冷戦の終わり、つまり現在の政治状況は、東欧の小国・ハンガリーから始まった。

 

1945年 第2次世界大戦終戦ナチスドイツの同盟国・ハンガリー王国敗戦。

1946年 ハンガリー共和国ソ連支配下社会主義化・一党独裁化。

1956年 ハンガリー動乱

自由化・民主化を訴えて蜂起したハンガリー国民と、ハンガリー社会主義労働者党+ソ連軍との内戦。

上記の動画「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」は、その動乱を描いた映画である。

 

ハンガリーは、ソ連に占領された東欧の中で、一番最初から、一番過激に、文字通り命を賭けて、自由化・民主化を求めた国だった。そしてドイツ統合、ソ連解体のために国境を開放した。

なのに、半世紀後の現在、あれだけ逆らったロシアのプーチンの小型版みたいな、EU並みの自由化・民主化を拒否し、ナショナリズム・排外主義まる出しの独裁政権が国民から支持されている。

 

国境の開放から封鎖へ。

亡命・難民への援助から拒否へ。

自由化・民主化から、ナショナリズム・中央集権へ。

 

国境というが、ハンガリークロアチアの間も、ハンガリーオーストリアの間も、昔は国境なんて無かった。3つとも、同じハプスブルグ家のオーストリアハンガリー二重帝国の領土・領民だったのである。

 

1526年 ハンガリー・ヤギェウォ王家断絶。オーストリア大公ハプスブルク家継承。ハンガリーは、ハプスブルグ家とオスマン帝国によって分断。

1699 ハプスブルク家ハンガリー全域を領有。

1848 ハンガリー革命。民族独立の武装蜂起するも敗北。

1867 ハンガリー自治権拡大。オーストリア帝国オーストリアハンガリー二重帝国へ国家改造。

ハンガリーは、日本でいえば江戸時代とほぼ同時期、オーストリア支配下にあったことになる。

 

オーストリアハンガリー二重帝国の末期は、国際政治における地位は低下し続けたが、世紀末ウィーンと呼ばれるくらいに、文化・芸術・科学・学問が史上まれに見る百花繚乱の狂い咲きをみせる。20世紀の世界をリードする文化も科学もここで生まれたといって過言ではない。

ハンガリーの首都ブダペストも帝国第2の大都市として、文化の華が咲いた。マジャール人だけでなく、帝国内諸民族、ユダヤ人も差別が少なく受け入れらた。他民族共生、ハンガリーとしても黄金時代であった。

これらの繁栄は、第1次、第2次世界大戦の荒廃で失われ、多数の才能がイギリスやフランス、特に新天地アメリカに流出していく。その才能を駆使して、20世紀はアメリカの時代となったのである。

世界帝国アメリカを作ったのも、オーストリアハンガリー二重帝国であった。

 

1918年 第1次世界大戦終戦。ドイツの同盟国・オーストリアハンガリー二重帝国敗戦。ハンガリー独立。

第二次世界大戦の結果、ソ連陣営に組み込まれたように、

第一次世界大戦の結果、独立国家となったわけだ。

 

その今は無きオーストリアハンガリー二重帝国こそが、今のEUのヨーロッパ統合理念の思想的バックボーンでもある。

東西冷戦を終わらせて、EUを拡大させた「汎ヨーロッパ・ピクニック」の計画者の一人が、ハプスブルグ朝最期の皇太子・オットー・フォン・ハプスブルクだった。

ハプスブルグ家の執念が、第1次世界大戦から100年かけて、「ヨーロッパ帝国」を復活させたわけだ。

逆にいえば、今のハンガリーの領域もその国境も100年くらいしか経過していない。

 

そのハプスブルグ帝国は、ヨーロッパに侵食する強大なイスラム国家・オスマン帝国から、キリスト教文化圏を守る防波堤としての国家でもあった。

ハンガリーは「帝国の南端」として、オスマン帝国に対する最前線でもあった。今も昔もハンガリーは「イスラムの北上」に直面する役回りなのである。

 

そして騒動の大元・シリアも、同じようにEUの頭痛のタネになっている地域、ギリシャも、イラクも、クルドも、トルコも、パレスチナも、昔は国境なんて無かった。すべてオスマン帝国の下に統一されていたのである。

もちろん問題が無かったわけではないが、イスラム国ISISみたいな狂人が暴れない、穏健で寛容なイスラムの教えの中で、キリスト教徒もユダヤ教徒も含め、諸民族がよろしく生活していたのである。

 

そのオスマン帝国を解体したのも、ハプスブルク帝国を解体したのと同じ、第1次世界大戦であった。

西と東、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアの思惑で解体された2つの大帝国の領土で、厄介なトラブルが続出し、当のEU、アメリカ、ロシアが、国力を削っていく。

 

過去の戦争や手前勝手な外交のツケで苦しむ自業自得は、大日本帝国とその末裔だけの話ではないのである。

 

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