在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《キリスト教映画列伝》「アレクサンドリア」(2009年)その2~奴隷制度/格差社会のローマVS信者平等 #反知性主義 の宗教。

「知性主義=善」「反知性主義=悪」ならば、話は簡単なのだ。

「知性主義=善」でない。「反知性主義=悪」ではない。だから人間の悩みは尽きないのである。

 

宗教と政治と革命と、最近一部の人々に流行ってる(笑)の知性主義と反知性主義の闘争を描いた映画である。

 


映画『アレクサンドリア』予告編

 

映画「アレクサンドリア」(2009年)その1~イスラム国ISISとトランプ大統領~偶像破壊、レーニン像、朝鮮神宮。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

舞台は4世紀末。それまで地中海世界をコントロールしてきたローマ帝国という「政治/知性」がついに終わろうとしていた。

代わって台頭してきたのが、キリスト教という異形の「宗教/反知性」である。

 

主人公ヒュパティアが属する、大都市アレクサンドリアの上流階層の人々は、セラピス、イシス、ホルス、アヌビスなど、エジプトやローマの神々が混交したヘレニズム信仰の立場だ。

 

映画の最初、ヒュパティアの父親たちが神殿で礼拝するシーンがある。

ここでは、礼拝する人々を先に映し、礼拝されている対象を「わざと」後で映す。

礼拝する人々の動作だけを見ると、まるで我々の知っているキリスト教のミサそっくりである。これも「わざと」だ。

しかし、その次のシーンで、礼拝されている対象が、「十字架」ではなく、頭に器を乗せた巨大なセラピス神であり、キリスト教で忌避される「偶像崇拝」であることがわかる。

 

つまり、礼拝の対象が、キリスト教の十字架であろうと、古代の神々の偶像だろうと、祈ってる人々=我々の信仰のシステムは、ほとんど同じであり、大した違いはない、つまり(この映画の観客が信仰するだろう)キリスト教だけが真理ではない、ということを表現しているのである。

 

当時の正統派であり守旧派でもある、ヘレニズム信仰を持つ都市の上流階級と、

文字通りカルトであり、急成長していたキリスト教を信仰する貧困層が、

街中で論争する。

ヘレニズム側は、イエス・キリストを「大工の息子が神だって?なんだそりゃ?」と嘲笑する。

キリスト教徒は、ヘレニズムの神々を「人間みたいな姿をした、頭に変な植木鉢を乗っけて、メシを食う神々」と罵倒する、

 

ヘレニズム側は、我々のイメージする古代ローマ人っぽい、明るい色のローブをまとっている。

キリスト教徒は、髭もじゃで、黒いターバンを頭に巻き、まるでイスラム教徒のようだ。

このコスチュームも「わざと」である。

4世紀のヘレニズム信仰側が、理性や科学を信じるリベラルな、21世紀のキリスト教徒のイメージであり

4世紀の原始キリスト教徒が、粗暴で野蛮で物分りの悪い、21世紀のイスラム教徒のイメージというわけだ。

 

そして、それまで「ローマ帝国におけるオウム真理教」に過ぎなかった、貧乏人の邪教キリスト教の天下取りが始まる。

まず、兄貴分のユダヤ教徒と連合を組んで、セレブなヘレニズム信仰を追い落とし、古代文明の象徴アレクサンドリア図書館を破壊する。

ハレルヤ!ハレルヤ!と連呼して暴動を起こすキリスト教徒は、まるでアラー・アクバル!と唱えて世界的な遺跡を破壊するイスラム国ソックリである。

 

その後は、邪魔になった競争相手のユダヤ教を叩き潰す。

まるでロマノフ王朝を潰した後で、メンシェビキや社会革命党左派を粛清したレーニンボルシェビキである(笑)。

 

古代文明を手放し、精神的支柱を失ったローマ帝国は、政治体制維持のためにキリスト教と妥協する。頭のイイ政治家たちは、キリスト教という馬鹿集団を利用するつもりだったのに、だんだんキリスト教の狂気に満ちた無理難題を聞かないと帝国が維持できなくなっていく。

大票田であるティーパーティーやキリスト教福音派の主張に振り回されるアメリカ共和党や、公明党と連立を組んで政権を維持する自民党に、ちょっぴり、似ている(笑)。

 

じゃあ、この映画において、

理性や科学を信じるリベラルな4世紀のヘレニズム信仰が全くの「善」か?

粗暴で野蛮で物分りの悪い4世紀のキリスト教徒は全くの「悪」か?

といえばそうではない。

 

ヘレニズム信仰は奴隷制度と身分差別を肯定しているのだ。

聡明であるはずのヒュパティアは、学問において人間は平等だと主張しながら、男の奴隷に、女性である自分の全裸をさらして、風呂上りの体を拭かせる。

彼女は、男の奴隷が自分に対して「身分違いの恋慕の情」を持っていることに、うすうす気が付いている。しかしそれでも、いやそれだからこそ、平気を装って、わざわざ体を拭かせるのだ。

彼女と奴隷の間に恋愛は成立しない。奴隷が奴隷であることは、貧者が貧者であることは、天体の法則のように自明の理だからだ。

理性的なはずのヘレニズム信仰は、知において人間は平等だが、身分・財産で人間を差別する。まるで新自由主義ネオリベである(笑)。

しかし、こんなことをしてたら、奴隷が、というより、恋する男が、感情を爆発させてもしょうがない(笑)。

 

対して、原始キリスト教は、飢えたる貧者にパンを与え、奴隷に対しても福音を述べ伝える。奴隷よ、お前は奴隷じゃない、神の戦士だ!と誇らしく新しい人生を啓示する。

粗暴な原始キリスト教は、奴隷制度も身分差別も認めない。信仰を持つ限り、人間は平等だ。まるで社会主義である(笑)。

また、ネオリベが、自由競争だ、世界市場だ、勝ち組負け組だ、と格差社会を助長させていたら、白人労働者が怒って、世界経済を無視して国内産業を打ち出す「アメリカ一番!」のトランプに投票したのにも似ている。

  

ただし、原始キリスト教の理屈では、神を疑わない無知は、神を疑う理性よりも、正しい。

オレたちの暮らしている大地が球体のはずがない。地上は平たい円盤であり、神が創った地面はがんとして動かず、太陽が回転するのだ。

 

ローマ=知性主義が崩壊し、キリスト教反知性主義が天下を握り始めた「地上」の現実を無視して、ヒュパティアは「天上」の法則に没頭する。

そして、天体の軌道が「楕円」であることを発見する。

地上は動かない、太陽が動く、という天動説どころか、

太陽が中心で、大地=地球が回転する、という原始的地動説からも外れ、

中心は複数あり、太陽は唯一の中心ではない、という「真実」を突き止める。

これは、世界に宇宙に中心などない、ということを意味し、言い方を変えれば、宇宙は歪んでいる、ただ1つの神などいない、のである。

 

こうなれば、彼女がキリスト教と共存することは不可能である。

人間の平等を説くキリスト教反知性主義が滅びないのなら、

奴隷制度を認める彼女=知性主義が滅びるしかない。

 

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