大東亜戦争中の(従軍)慰安婦が、国際問題、歴史問題、責任問題になったのは、ぶっちゃけ、平成になってからだ。
戦後も、昭和の間は、慰安婦の存在はタブーでも何でも無かった。当時は韓国人もそんなに大騒ぎしていなかった。
それが証拠に、昭和の戦争映画には、慰安婦がワンサカ出てくる。
日本人が、戦場の「慰安婦」という存在をどのように見ていたか?どのように認識していたか?、昔の映画を見ればよく判る。
そこで、慰安婦が登場する戦争映画を日本映画各社ごとに紹介してみたい。
というのも、東宝、東映、大映、松竹、日活、新東宝などなど、日本映画各社はそれぞれ「個性」がある。
つまり背後に流れる「政治思想」に違いがあるのだ。
各社の慰安婦映画を見比べると、その違いが判って面白い。
(まとめ)昭和銀幕絵巻★慰安婦映画列伝 - 在日琉球人の王政復古日記
まず、東宝。
日本の映画会社を見比べてみると、やはり一番モダンでスタイリッシュな映画を作るのが東宝である。
その東宝においても、最もモダンでスタイリッシュな映画を作るのが岡本喜八だ。
「万引き家族」がダメで「兵隊やくざ」はイイのか?~イイネの人は「血の砂」「兵隊やくざ」見たことあるの? - 在日琉球人の王政復古日記
岡本喜八には「独立愚連隊シリーズ」とも呼ぶべき戦争映画の一群があるが、その中にもほとんど例外なく慰安婦が出てくる。
そして「朝鮮人」慰安婦も平気で出てくる。タブーでもなんでもない。
第1作「独立愚連隊」にも、日本人慰安婦はもちろん、そのセリフの発音から明らかに朝鮮人を連想させる慰安婦(中北千枝子)もちゃんと登場する。
そして彼女らは「強制連行された性奴隷」ではなく、「お金を稼いでいるビジネスとしてのセックス・サービス・ワーカー」であることも描かれている。
しかし、もちろん合理的な職業選択の自由でもない。
時代は戦前である。当時は一般人だって(平成基準で言えば)ブラック企業まる出しの仕事しかなかった時代だ。そのブラック企業ですら最底辺ではなく、都会に仕事が無ければ、人口の半分以上は一生田んぼで泥にまみれる小作人で終わる。
慰安婦は、日本政府主導の、皇軍主導の、強制連行ではない。性奴隷ではない。
しかし、倫理的にマトモな募集でもなかった。
肉親に二束三文で売り飛ばされた女、女衒の甘い言葉に(半ばウソを承知で)騙された女、食うや食わずでもう他に生きていく手段のない女、どうせ堕ちるならとことん墜ちて一攫千金を狙う女、マトモな就職活動とは言えないルートで集まった女性たちである。
そして、商売といっても、ドライなものではなく、戦場で暮らしているうちに、買い手の兵隊たちとの運命共同体(持ちつ持たれつ)的な同志関係になっていったことも映画には描かれている。
そして慰安婦を管理するのは、軍隊ではなく、「ピー屋」と呼ばれる売春業者であり、かといって軍隊から完全に独立した商人でもなく、ほとんど軍属に近い存在であることも描かれている。
そして朝鮮人慰安婦が、端役ではなく、ヒロインとして活躍するのが、「血と砂」である。
まず、この映画、内容は素晴らしいのだが、題名「血と砂」が良くない。
レンタル屋で手を出しにくい、なんとも雑なネーミングだ。なんだから暗い陰鬱な内容を思わせる題名だが、全然違う。全編ディキシーランド・ジャズが鳴り響くモダンな映画なのだ。この映画は題名でかなり損をしている。もっとオシャレな題名を付けるべきだった。
慰安婦(団令子)の名は「金山春子」。通称「お春さん」。本名「金春芳」。
隠し立てはしない。完全オープンである(笑)。
このお春さんのセリフで魂を震わせるものがある。
お国のために働いているオンナを、馬鹿(PAKA)にするのか?
バカ(BAKA)じゃない。パカ(PAKA)だ。朝鮮人を表現している。
ハッキリ言えば、慰安婦問題の本質はこの一言に尽きると思う。
まず、朝鮮人慰安婦を「性奴隷」と呼ぶ、日本の左翼や21世紀の韓国人は、間違っている。
彼女達は、まちがいなく金銭(あとで紙クズになる軍票だとしても)を稼いでいるのであって、その意味ではビジネスであって、奴隷ではない。
しかし、朝鮮人慰安婦をビジネスとして「のみ」見る、日本の保守派や右派、産経新聞やWILL系の人々も間違っている。
彼女たち、日本人慰安婦、琉球人慰安婦、朝鮮人慰安婦は、お国=大日本帝国のために働いていたのだ。
例えば、消防士が給料を貰っているからといって「人命救助のために働いているのではなく、お金のために働いている」と言えるのか? これと同じだ。
左翼のように「朝鮮人慰安婦に奴隷だった。謝罪しろ」というのは間違ってる。
右翼のように「朝鮮人慰安婦は単なる金儲け商売だ」というのも間違っている。
もしも、あなたが日本の愛国者ならば、朝鮮人慰安婦には、「謝罪」でもなく、「中傷」でもなく、「感謝」と「報恩」こそが正しい態度だ。
日本人は、朝鮮人を含む全ての慰安婦に、「ごめんなさい」ではなく、「ありがとうございました」と言うべきなのだ。
「慰安婦の活躍する戦争映画」と書くと、なんか暗い左翼映画を想像するかもしれないが、そんなことは全然ない。東宝、三船敏郎、佐藤充、そして岡本喜八、、、ではどうやっても暗くなりようがない(笑)。
戦後日本の戦争映画というのはほとんど反戦映画だが、この映画もそう。
伊藤雄之助ふんする万年一等兵が、軍規違反で処刑された士官を埋葬する時に
死んだからって靖国なんか行っちゃダメだよ。他の英霊からまたイジメられるから。
と真っ向から靖国批判を展開する(笑)。
「反戦映画」ということは「左翼映画」か?、と脊髄反射してしまいそうだが(笑)、そこはそれ、邦画界の保守本流「東宝」。
少年兵たちが戦う相手は八路軍(=中国共産党)。たしかに八路軍を「悪役」にはには描いていない。
と、堕落したブルジョワ的・女性差別的・暴言(笑)を吐いたりする。
思想的には反戦・反軍国主義・反靖国といっても、左翼にあらず、リベラルというよりオールドリベラル=モダンなんですな。
朝鮮人慰安婦の部屋の看板が「新なでしこ」だったりするのは、皮肉なのか? 鈍感なのか(笑)?
オープニングからエンディングまで、支那の戦場に少年兵軍楽隊が奏でる「聖者の行進」が鳴り響く。 何と「ミュージカル冒険活劇映画」なんですな。
時代はドンと下って、同じ東宝映画「スウィングガールズ」というジャズ&青春映画があったが、
「血と砂」は「スウィングボーイズ」というわけだ。
そして、アメリカのニューオリンズの黒人たちにとって、明るい曲調の「聖者の行進」は葬送の行進曲なのである。葬式の歌なのだ。
この曲が戦場で流れるのは、そういう意味なのだ。
平成の「スウィングガールズ」は女子高生のエロス的要素を(故意に)排除した作品だったが、昭和の「スウィングボーイズ」は少年兵のエロス的要素が濃厚な作品。
この映画、売春行為に対する反省や罪悪感はカケラもない(笑)。
それどころか主役の三船敏郎は、女を知らずに死んでいく少年兵たちがカワイソウだからと、自分の恋人のはずの慰安婦・お春さんに、10人以上!の少年たちの「筆おろし」を依頼する。
冷静に考えれば、無茶苦茶な女性蔑視だ。
しかし、三船も少年兵も、別に、朝鮮人を、慰安婦を、蔑視したりしているわけではない。それどころか兵隊は慰安婦を天女のように崇めている。
つまり、この映画は、10人以上の少年兵の初体験セックスの相手を、たった1人の慰安婦(しかも自分の恋人)に頼むことが、「ちょっと泣かせる人情話」として成立する世界なのだ(笑)。
男性中心主義というより、もう《男根》主義(笑)とでも呼んだほうがいいかもしれないが、これが「昭和」、これが「戦前」、なのである。
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