在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

ネコさん、欧米、家族、善人の命は価値が高い。ニワトリ、後進国、他人、泥棒の命は価値が低い。

「なぜパリばかり注目」=アラブ世界に違和感―仏同時テロ (時事通信) - Yahoo!ニュース

13日に起きたパリ同時テロをめぐるニュースが連日、世界で大々的に報じられている。
 一方、アラブ世界では、今回のテロをはるかに上回る犠牲者がシリア内戦などで毎日出ているが、パリほど注目されない。人々の間では「なぜフランスの事件ばかり関心が集まるのか」と違和感が広がっているようだ。
 アラブ世界のイスラム教徒の間でも、129人が犠牲になったパリ同時テロへの関心は高い。市民からは、犯行声明を出した過激派組織「イスラム国」を非難し、突然の凶行で命を落とした人々やその遺族らへの同情の声が聞かれる。
 ただ、その1日前の12日にレバノンの首都ベイルートで起き、40人以上が死亡した連続自爆テロは、あまり各国メディアで報じられていない。クウェート紙アルライは「レバノンの人々は、世界にとってレバノンの犠牲者はパリと同等でなく、忘れ去られたと感じている」と伝えた。

 

貧困国では、飢餓や伝染病で死ぬ幼児がいる。内戦やテロで死ぬ少女もいる。

全く同じ時期に、

殺処分待ちのワンちゃんやネコちゃんの命を救うために必死で頑張る先進国の人々がいる。

 

フランス人とレバノン人の生命の価値は同じではない。

それはヨーロッパとアラブの間だけの差別ではない。

 

<ロシア機墜落>露政府、テロ断定…「機内に手製爆弾」 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

ロシア政府は17日、10月末にエジプト東部シナイ半島で起きたロシア旅客機(乗員乗客224人)墜落の原因について、機内に仕掛けられた手製爆弾によるテロと断定したと発表した。

 

フランスの犠牲者は129人。

ロシアの犠牲者は224人。

数ならロシアの方が多い。

それでもFACEBOOKはロシア国旗のサービスを提供していない。

フランスが先進国で、ロシアが旧共産圏だから、人命の価値が違う。

 

また、死に方も、その量も、その人命の価値に影響する。

市街地で一人一人銃で殺されるのと、飛行機が落ちて一気にまとめて殺されるのでは、価値が異なる。まるで「バラ売り」と「まとめ売り」の違いである。

 

広島の原爆の犠牲者は約24万人らしいが、

240000人ではなく、240001人だとして、扱いが大きく変わるか?

価値が変わらないのなら、最後の1人の人命はほとんど意味がないのだ。

 

無免許運転でガードレースに突っ込んだ16歳のヤンキー少女の人命と、

猟奇殺人鬼に強姦殺人された16歳の普通の少女の人命は、

やはり扱いが大きく変わる。

 

震災で事故にあった人命は尊いが、

震災現場で火事場泥棒するような悪党は、その場で射殺してもかまわない!というビートたけしの意見に、少なくない人々が賛同する。

 

《東日本大震災2011/03/24》ビートたけしVS天皇陛下~パン1個で死刑なら、人間の値段もパン1個になる。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

軍人の戦死と民間人の犠牲も価値が異なる。

しかも、どっちが価値があるかは状況で変わる。

一般的には、軍人の死のほうが扱いが軽くなるが、

今後もし、自衛隊で初めての戦死者が出たら、彼(または彼女)の死は、あらゆる意味で価値を持つだろう。

 

どうみても、人間社会において、生命の価値は平等ではない。

 

ジンバブエのライオン狩りVS松竹映画「釣りバカ日誌」~人間の文化VS動物の科学。 - 在日琉球人の王政復古日記

韓国人に食われそうになったワンちゃんを救った動物好きは、かわいそうなワンちゃんに、養鶏場でブチ殺されたニワトリの死肉で作ったドッグフードを食わせるのである。

 

ライオンのセシルの生命を惜しむ世界中の人々は、セシルたちが毎日食い殺していたはずの大量のアフリカ草食動物の生命のことはあんまり思い出さない。

 

生命は平等ではない。

動物の種類によって生命の価値は異なる

イルカやライオンの生命の価値は高いが、草食動物やサカナの生命の価値は低い。

それ以外に、この矛盾は説明はできない。  

 

ゴキブリ殺し、ウシ殺し、クジラ殺し、ネコ殺し、ヒト殺し。 - 在日琉球人の王政復古日記

「(自然界における)生命そのもの」が異なるのではない。
「生命に(人間側の都合で勝手に)付加された意味」が異なるのである。

 

つまり、人間にとって「生命そのもの」には、何の価値も無い。
人間が勝手にその生命に貼り付けた「意味」にこそ、価値があるのだ。

 

人間にとって、生命殺害の、何が正常で、何が異常か、を決定するのは、「実際に殺される生命それ自体」ではない。
この殺害が如何なる意味を持つのか、という「人間の価値体系=文化」の問題なのである。

 

あなたにとっても、人命は平等ではない。

あなたの家族の死と、あかの他人の死は、価値が異なる。

そして、残酷な言い方だが、小学生の息子の交通事故死と、働き盛りのお父さんの癌死と、何年も介護施設で苦しんだお祖父さんの老衰では、価値が異なる。

 

時代によっても、価値は変わる。

現在なら、子供の命は重く、年寄りの命は軽い、だろう。

しかし、医学が未熟で、衛生環境も苛酷だった古代においては、体力の弱い子供はバンバン死ぬのが当たり前だった。子供の価値は現在よりウンと低かった。

それよりも、長く生き残った知恵と幸運を持つ老人のほうが価値があった。

 

儒教では、年長と若輩で価値が異なり、家族と他人で価値は異なる。

人間同士の共感性『仁』や、他者との関係性『礼』や、立場を超えた正義『義』も説いたが、

その思想の基本はやはり、生命の連続性『孝』であり、生まれて来た側と産んでくれた側の価値は異なり、繋がっている家族と繋がってない他人の価値も異なる。

 

そして、人類平等の『兼愛』を主張する墨子という思想家が「儒教は、人間を差別する『別愛』だ」と批判した。

 

それを受けて、儒教孟子は「墨氏兼愛、是無父也、無父無君、是禽獸也」、墨子集団の博愛主義は、家族(生命の連続性)の軽視、君主(社会秩序)の軽視であり、それでは人間がケダモノ同然となってしまう、と反論した。

 

六代目山口組分裂~ヤクザと同じ「母体」から生まれた秘密結社その2~儒教のライバル「墨家」。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

キリスト教だって、福音を受け入れ悔い改めた者と、そうしなかった者、聖書と出会う機会が無かった者の価値は異なるのだ。イスラムも同様である。

 

人権思想は、それを乗り越えようとする「実験」だが、儒教2500年、キリスト教2000年に比べ、まだ200年。そう簡単に乗り越えることはできない。

 

同性愛VSシーシェパード~いつから人間はケダモノに成り下がったのか? - 在日琉球人の王政復古日記