在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

「あゝ上野駅」はもう存在しない~衰退は東京の搾取?維持は東京のお陰?~東北900万人割れ。

~どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の なつかしさ~
~上野は おいらの 心の駅だ~
くじけちゃならない人生が あの日ここから 始まった~ 

 

部落差別の関西、

バブル狂乱の東京、

ヤンキー&ヤクザの九州(西南日本)、

と話題が続いたんで、今度は北へ。

 

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北九州(というより九州北部)を象徴する歌が「無法松の一生」だとすれば、

東北を象徴するのはこの歌だと思う。

 


『あゝ上野駅』井沢八郎 上野は俺いらの 心の駅だ・・・

  

<国勢調査>東北人口900万人割れ (河北新報) - Yahoo!ニュース

2016/01/13

 東北6県の2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値が12日、出そろった。東北の総人口は898万2080人で、東日本大震災の前年の10年に行われた前回に比べ35万3556人(3.8%)減少し、戦後第2回の1950年から維持してきた900万人台を割り込んだ。前回比マイナスは4回連続、減少率は過去最大となった。
 東北の人口推移はグラフの通り。1920年の第1回が579万3974人で、55年まで増加した。60~70年にいったん減少したが、ピークとなる95年の983万4124人まで増え続け、00年から再び減少に転じた。 

 

東西に長い日本列島、西南日本東北日本は、やはり、異なる部分が多い。

 

同じ黒潮に洗われた島々、ということで、わが祖国・琉球の文化は、西南日本とかなり共通点がある。特に五島列島なんて、その貧しさを含めて、琉球によく似ている。

だから、西南日本はなんとなく肌で判るところがある。温暖な気候に甘えた、おおらかで、大雑把で、ぶっちゃければ、緻密さに欠けた、努力しない、怠け者の土地だ(笑)。 

 

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対して「東北」というのは、琉球人である私には、やはり遠い存在だ。

 

子供の頃、年末なんかによくやってる懐メロ番組なんかで「歌詞の内容は判るが、心情が実感できない」歌謡曲というのがあった。

まあ、少年期の私に、酒の哀しみだのタバコの苦味だの、男女ドロドロの愛欲だの不倫だのを歌った曲が「実感できない」のは当たり前だが、そういうことではない意味で「実感できない」歌があった。 

 

その代表が上記の「あゝ上野駅」であった。

 

この歌は、その思いが全然実感できないのに、不思議に耳に残った。

南の果ての琉球人少年には、いったいナニが「上野駅」なのか?、どうしてそんなに「上野駅」なのか?、意味が解らなかった。

そりゃ、上野駅が、東京の大きなターミナル駅だという情報くらいは知っていた。

当時、私が利用していた一番大きな駅は大阪駅だったが、大阪駅はしょせん大阪駅に過ぎない。大阪駅がどうした? 「大阪駅を歌う」という情動はどうしても沸いてこない。

 

上野駅は、大阪駅と、ナニが違うというのか?・・・違ったのだ。

 

時は流れ、それでも遠い昔だが、初めて「東下り」して、東京見物したとき、

当時から政治好き(馬鹿)だった私は、一番の目当てはやっぱり「皇居」だった。

そのとき初めて私は「政治」を肉眼で見た。

ぶらっと一周して実感した。ああ、これが「国家」といういモノか、と。

大阪でも、日常に警官を見ることはあるが、大阪の警官は、交番で道案内をしているか、道路で交通を取り締まってるか、酔っ払いのケンカを仲裁しているくらいである。

しかし東京には、無表情に通行人を見つめるだけの、政治施設を警備する警官がそこらじゅうにいる。

警察は、犯罪を取り締まるモノではない、国家を守るモノなのだ、と実感した。

 

新宿高層ビル群も面白かった。

深夜の西新宿で巨大な墓石群を見上げた時、強烈なビル風の中、船酔いに似た錯覚を味わった。 

 

そして「上野駅」。 

そうか、これが上野駅か。

「あゝ上野駅」という歌が、その時、南方の琉球人にも、やっと解った。

 

私が見た当時の上野駅だって、何度も何度も改修工事をやった後だろうから、1960年代の井沢八郎が歌った「上野駅」ではないだろうが、それでも、あの巨大なコンコースの「空虚さ」は、東京駅にも新宿駅にも、大阪駅にもないものだった。

そりゃ歌になるのも当然だ。

 

あの時、私は初めて「終着駅」「始発駅」というものを見たのだと思う。

 

大阪駅にも始発や終点の電車はいくらでもあるが、しかしそれでも大阪駅は「終着駅」でも「始発駅」でもないのだ。 

大阪駅は「行き止まり」ではない。「東」にも行けるし「西」にも行ける。
大阪駅から東に行けば京都、そして名古屋、または金沢。
大阪駅から西に行けば神戸、そして広島、博多。
それぞれ大阪から完全に独立した都市がある。

 

しかし上野駅は「行き止まり」だ。言葉通りの意味で「ターミナル」なのだ。

「北」にしか行けない。「北」にしか帰れない。

そうか、

雨ニモ負ケズ」の宮沢賢治も、

田園に死す」の寺山修司も、

この鉄路の「向こう側」からやって来たのか・・・

と感慨にふけったのを今でも記憶している。

 

東北のテーマソング「あゝ上野駅」は、勤労賛歌である。

北九州の歌「無法松の一生」とはまったく異なり、ヤクザ気質ゼロだ。

小倉生まれで玄海育ちの無法松は、ナニが自慢か知らないが(笑)、男度胸が売り物である。瞬発力はあるけど持続力はない(笑)。近所迷惑な押し売りだ。

上野駅のおいらは、仕事はつらいけど、くじけちゃならない人生がある。父ちゃん母ちゃんのためにも、馬鹿なケンカや無駄なバクチをやるヒマはないのである。

コレじゃ、東北に、コメは育っても、ヤクザは育たない(笑)。

 

上野駅に比するべきは、大阪駅ではなく、「戦前の」大阪湾なのだろう。

食い詰めた琉球人を運んだ、宮古丸、波上丸や、

出稼ぎの朝鮮人運んだ、君が代丸(考えてみればスゴイ船名だ)が、

戦後高度経済成長の東京を支えた「金の卵」たちを運んだ、上野着の夜行列車、寝台列車に相当するのである。

 

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しかし、共感する人口の多少や、音楽産業化のレベルが異なる戦前と戦後の違いもあるだろうが、

戦後の上野駅から「あゝ上野駅」という歌は生まれたが、

戦前の大阪湾から「あゝ宮古丸」とか「あゝ君が代丸」を歌は誕生しなかった。

乗船した琉球人や朝鮮人だって、おそらく、希望や、不安や、望郷を歌っていたはずだとは思うのだが、レコード化されるチャンスは無かったようだ。

 

2015年、東北6県の人口があわせて900万人を割ったらしい。

とうとう神奈川県に負けた。大阪府とほぼ同レベルである。

 

この東北の衰退を、東京一人勝ち、東京への人材流出、東京による東北への搾取、という見方もできないではない。

 

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しかし、もっとロングスパンで見れば、東京があったお陰で、東北は何とか900万人まで増やせた、という見方もできる。

もしも、徳川家康が関が原で死んでいたら、東北の主要輸出品であるコメを買ってくれる大消費地・江戸は存在しなかったのだ。東北経済はその時点で成長を阻害されただろう。

もしも、明治政府が首都を京大阪から動かさなかったら、江戸は単なる地方都市だ。東北から首都圏へのアクセスも2倍以上の負担となる。夜行列車でまるまる2晩である。

いや東京がなければ、東日本の鉄道網整備も貧弱になっていただろうし、出稼ぎは敦賀湾や伊勢湾までの船旅が主流になっていた可能性がある。

そうでなくとも、明治政府が海外植民地に熱中しすぎたせいで、戊辰戦争負け組の東北や北海道へのインフラ投資が遅れた、という話もあるくらいだ。

戦争で痛めつけられた上に、明治政府から見捨てられた東北や、そして関東も、遠い京におわす天子様への親近感も薄れて、スコットランドのように、別民族的な意識を芽生えさせた可能性もないではない。

 

ただし、もう「上野駅」は存在しない。

新幹線やハードロックカフェ成城石井(笑)がある駅は上野駅」ではない。

西南日本の味・博多ラーメンの一蘭なんて論外である(笑)。

情感を込めて歌われるような「上野駅」はもうこの世にない。

上野駅」がないんだから、これまでの「東北」ももう消えていくのだろう。

上野駅はどこにでもあるようなオシャレで凡庸な駅ビルに成り果てたが、

900万人を切った東北はこれからどういう姿に成り果てるのか?

 

あゝ上野駅VS無法松の一生~東北・維新・法華経VS九州・復古・神道~東西右翼思想対決。 - 在日琉球人の王政復古日記