在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

「あゝ上野駅」VS「無法松の一生」~東北・維新・法華経VS九州・復古・神道~東西右翼思想対決。

日本全国、地名が一緒というのはよくあることだ。

「若松」という地名は、全国にたくさんあるだろうが、

 

著名なのは、白虎隊でおなじみ、東北は福島県会津若松市

そして、ヤンキー成人式でおなじみ(笑)、九州は福岡県北九州市若松区

である。

昔は、双方とも、まったく同じ「若松市」を名乗っていたのだ。

 

さて、ここでクイズ。下の画像をよく見てください。

 

会津若松の白虎隊剣舞」と「九州若松の成人式」である。

どっちも、若者がハカマ姿で踊ってるのだが、カラーリングに微妙な違いがある。

 

http://news.mynavi.jp/news/2013/09/20/206/images/001.jpg

  

http://images.keizai.biz/kokura_keizai/headline/1420946588_photo.jpg

 

女性もキモノ姿は同じだが、よーく見ると、かすかに違いがある。

 

http://pds.exblog.jp/pds/1/201307/30/04/c0187004_175393.jpg

 

https://pbs.twimg.com/media/CYWE-WnUMAEjCW5.jpg

 

さて、皆さんは、どっちが白虎隊で、どっちが成人式か、見分けられますか?

難しすぎたかな(^^)?

 

こちらが、会津だけでなく、東北地方の近代を象徴する歌である。

 


『あゝ上野駅』井沢八郎 上野は俺いらの 心の駅だ・・・

 

こちらが、小倉だけでなく、九州全域の気質を象徴する歌である。

 


無法松の一生(度胸千両入り) 村田英雄 UPB‐0078

 

堅気とヤクザ。同じ日本で、ここまで、違う(笑)。

 

会津といえば、幕末、孝明天皇の御信頼も厚い尊皇佐幕の藩だったのに、薩長の陰謀と、最後の将軍徳川慶喜の裏切り同然の敵前逃亡で、朝敵の象徴として、戊辰戦争で残虐な仕打ちにあい、明治維新の祭壇に祀る生け贄の羊にされてしまった。

ヤクザまる出しの西南日本と、実直で愚直な東北日本の、不幸な出会いであった。

会津だけでなく、奥羽越列藩同盟の地域は「明治維新負け組」として、近代以降、冷や飯を食わされることとなる。

 

じゃあ戊辰戦争でやりたい放題だった薩長土肥はウハウハ状態か?と言えば、全員が全員そうだったわけでもない。

そもそも、尊皇攘夷を唱えたのは薩長土肥だけでない。

九州、中国、四国、西南日本の広い範囲で、各藩に志士はワンサカいたのだ。

ただし、明治維新成立の過程で、幕府に殺されたり、水戸藩のように内ゲバで壊滅したり、政治闘争に敗れて野に下ったり、佐賀の乱神風連の乱西南戦争みたいな士族の反乱で粛清されたり、最後まで勝ち残って国家権力を奪取し、わが世の春を謳歌したのは薩長土肥の中でもさらに一部だった。

サバイバルゲームに負けた残り多くの尊皇攘夷派は、「負け組」という意味では、東北の佐幕派とあんまり変わらない冷や飯生活だったのである

そして彼らの目標だった、尊王はまだしも、攘夷は達成されず、正反対の開国路線。

彼らの長年の戦い、労苦の報いは、文明開化とザンギリ頭と廃刀令であった。

 

そして、戊辰戦争の負け組・東北、士族の乱の負け組・西南日本、その他、薩長専制に不満の全国の「冷や飯組」が、今度は自由民権運動を起こす。

自由民権運動」というから、なんだか明治版SEALDs(笑)みたいな感じがするが、本質は民主主義でも近代思想でもなんでもなく、明治維新負け組の復讐戦、急激な近代化への反発、尊皇攘夷派の巻き返し、幕末国学思想の復活の要素が色濃い。

オレたちも政治に参加させろ!という要求は民主主義っぽいが、政治参加した上でやりたかったことは、皇国思想と国家統制、海外進出と軍備強化、ナショナリズムまる出しのウルトラ・タカ派路線だった。

 

しかし、この自由民権運動薩長に軍事的に鎮圧され、一部は選挙による政党政治へ向かうが、一部が野に下って民間右翼思想の地下水脈を培養することになる。

この怨念と復讐の地下水脈が再び表舞台に出てくるのが、大正デモクラシーの終焉、昭和恐慌によって始まる「昭和維新」である。

血盟団事件五・一五事件二・二六事件と大暴れした「下からの昭和維新」も表面上はやっぱり国家に鎮圧されるが、ミイラ取りがミイラ、鎮圧側の陸軍統制派、革新官僚、財閥、政党が、いつの間にか欧米協調路線を捨てて、「上からの昭和維新」になってしまう。

もはや誰にも止められない「上からの昭和維新」の暴走の行き着く先が、支那事変と真珠湾であった。

 

結果的には、虐げられ続けた「国学思想、尊皇攘夷、士族の乱、自由民権運動昭和維新」が、恨み骨髄の「薩長が作り守ってきた明治政府体制=文明開化=欧米友好=近代日本」を、一蓮托生・無理心中の形で、地獄の道連れにした、とも言える。

 

負け犬は必ず左翼になるわけではない。平成の御世を見て判るように(笑)、右翼の道を走る負け犬も同じ確率で出てくる。

しかし同じ負け犬・冷や飯組でも、戦前の東北日本西南日本は、白虎隊と成人式のように、やっぱりカラーリングが微妙に違うように思う。

 

226・北一輝佐渡)、満州事変・石原莞爾(山形)、血盟団井上日召(群馬)、松沢病院送り・大川周明(山形)。

 

こう見てくると、東北右翼は「新しさ」や「革新」を好む。

「新しい」薩長が「古い」幕府や東北諸藩を倒した。ならば「もっと新しい」思想で、もはや時代遅れになった薩長を乗り越える。

宗教的には法華経信仰・日蓮思想が濃厚だ。西欧思想の影響も強い。キリスト教イスラム思想、そしてマルクス主義の影響さえある。論理的で、一神教的である。

そしてインサイダー志向である。国家組織、特に軍部や植民地権力に食い込もうとする。国家組織を通じて「上から」政治的に日本を改革しようとする。

だから政府系でない在野の暴力組織(ヤクザ)とのつながりは薄い。 

政治をひっくり返してやろう、という革命思想、政治構想がある。背後に戊辰戦争の怨念が見える。そしてウルトラ国家主義的だが、意外にも(というか戊辰の恨みで当然かもしれないが)尊皇的要素はかなり希薄なのも特徴だ。 
東北右翼はまず「机の上」から生まれる。やりたいことが論理的で文章にできる。学問的なのだ。
「やりたいことがあるから、順序を踏んで、まず権力奪取!」なのだ。

 

「あゝ上野駅」はもう存在しない~衰退は東京の搾取?維持は東京のお陰?~東北900万人割れ。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

玄洋社頭山満筑前) 、黒龍会内田良平筑前)。

 

西南右翼は「古い」。「復古的」である。 

薩長の明治政府は「新しい」。だからダメなんだ。おれたちは「古い」。だからおれたちが正しい。

宗教的にも明治以前の土着の「古神道」色が濃厚である。儒教国学が中心で、仏教思想も薄く、西欧思想の影響は徹底排除、アジア志向も強い。非論理的で、多神教的である。 

その活動はアウトサイダー志向。民間から地べたから「下から」の精神的日本改革である。権力中枢を握ってどうのこうのという発想が薄い。

逆に政府系でない在野の暴力組織(ヤクザ)とのつながりが濃厚である。

経済や軍事などリアルな政治に具体的な構想があるわけではない。どこまでも精神論的で、とにかく尊皇で、なにより攘夷・反欧米である。
西南右翼はまず「酒の酌み交わし」から生まれる。やりたいことが情動的すぎて文章にできない。実践的なのだ。 
「やりたいことがあるなら、後先考えずにとにかくやってしまう」である。

 

北九州成人式の花魁&ヤンキーたちの大先輩~九州石炭マフィア吉田磯吉。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

東北右翼はまさに「維新」であり、西南右翼は「復古」ということだろう。

 

東北右翼は「あゝ上野駅」だ。

くじけちゃならない人生(国家改造)が あの日(幕末)、ここから(戊辰戦争)始まった~

のである。 

 

西南右翼は「無法松の一生」である。

口も荒いが(論理は乱暴)、気も荒い(計算抜きの直接行動)、~度胸千両で生きる身(発想がヤクザ)~

なのだ。

 

左翼にも、こういう「気質の違い」はある。

  

革共同~ヤンキーな中核派VSオタクな革マル派。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

気質的には、

九州復古右翼は、ヤンキーな中核派

東北維新右翼は、オタクな革マル派

に近いと思う。