本は、正直、無理して読み通した。おそらく内容の万分の一も理解できてない(恥)。
まともに学問的訓練を受けてない無学な私には、とても歯が立たなかった。
でも、映画は、個人的にオールタイム・ベスト10にランクインするくらい好き。
娯楽ミステリ映画としてナンバー1じゃなかろうか。
ウンベルト・エーコ氏死去、イタリアの作家 84歳 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
2016年2月20日
ベストセラー小説「薔薇の名前(The Name of the Rose)」などで知られるイタリアの作家で哲学者でもあるウンベルト・エーコ(Umberto Eco)氏が死去した。84歳。地元メディアが20日、家族の話として伝えた。
★衣服はイエスのものか?
主人公バスカヴィルのウィリアム(演じるはショーン・コネリー)は、実在の神学者オッカムのウィリアムと、名探偵シャーロック・ホームズの合体である。「バスカヴィル」はホームズの長編小説「バスカヴィル家の犬」からだ。
彼は現ローマ法王の名前の由来でもあるフランシスコ会の修道士である。
その彼が若い弟子を伴って現れたのが、カトリック圏最大規模の蔵書を誇る、北イタリアのとあるベネディクト会修道院。
その目的は、バチカンとフランシスコ会の間の懸案である「清貧論争」に決着を付けるためだった。
しかし、これから賓客であるバチカン使節を迎えるはずの修道院では、突然の不祥事が発生していた。死因の判然としない修道士の死。
修道院長は、元異端審問官にして高名な知恵者である主人公に、真相究明を依頼する。しかし、悪魔に魅入られたように、修道士が一人また一人、ヨハネ黙示録のごとき奇怪な死を遂げる。
そして、混乱を極める修道院に、とうとうバチカン使節が到着、一行の中には、冷酷無比の異端審問官にしてドミニコ会修道士・ベルナール・ギーもいた。
ベネディクト会も、フランシスコ会も、ドミニコ会も、カトリックの修道院。
ベネディクト会は古参のお金持ち修道会。
フランシスコ会とドミニコ会は新参の清貧を旨とする修道会。
時代は、カトリックに反旗を翻し分離独立するプロテスタントの誕生前。
しかしすでにカトリック総本山バチカンは乱脈を極め、政治的にも道徳的にも腐敗の極にあり、ワルドー派、カタリ派など、各地で、バチカンに従わない信仰刷新運動「異端」も勃興していた。
ルターたち新教プロテスタントが誕生する前から、すでにプロテスタント(抗議)は起こっていた。
実は、フランシスコ会も、当時のバチカンの堕落に対するリアクションとして生まれている。徹底した清貧、その言動は異端スレスレで、弾圧されてもおかしくなかったが、創設者のアッシジのフランシスコがローマ法王への絶対服従を明言したため、逆に、頻発する異端に対抗するバチカンの「体制内改革派」となる。
ドミニコ会は、当時最大だった、これまた極端な清貧を訴える異端・カタリ派と戦うために、清貧と神学で理論武装した修道会であった。
フランシスコ会は「目的は清貧と信仰。その手段としてのバチカン服従」、
ドミニコ会は「目的はバチカン防衛・異端撲滅。その手段としての清貧と神学」、
両者は目的と手段が逆なのだ。
ベネディクト会は、既得権益を持つ現状で満足、金持ちケンカせず。
フランシスコ会は、自分たちの信仰生活を守るために、バチカンとトラブル。
ドミニコ会は、打倒異端者!ケンカ上等!のイケイケ軍団である。
当時、バチカンとフランシスコ会は、「清貧」の解釈で対立していた。
「主イエス・キリストは、彼の着衣を所有していたか?」
現実に置き換えれば、キリストの代行者・バチカンは、無所有であるべきか?、財産を持つことが許されるのか?、という神学論争である。
表向きは神学論争ではあるが、裏には国際政治がからむ。
バチカンが無所有であるべきとなれば、ドイツやイタリアの支配を巡って争う神聖ローマ帝国皇帝側に有利な理論的武器となる。よって皇帝は、バチカンの世俗的所有権を否定するフランシスコ会を保護する。
「清貧論争」は「バチカンVSフランシスコ会+皇帝」の権力闘争となっていた。
★神を笑えるか?
ベネディクト会修道院の保有する膨大な書籍には、キリスト教関連だけではなく、それ以前のギリシャ・ローマ文明の文献、また敵対者イスラムの文献も含まれる。
そのすべてがカトリック神学と合致した内容ではなく、真っ向から対立する書物もあった。その一つが、すでに失われたはずのアリストテレス「詩学第二部」。これは「喜劇」に関する書物とされる。
アリストテレス自体、キリスト教誕生以前の人物で、キリスト教には関係ないのだが、カトリックが神学の学問的補強のためアリストテレスの学説を採用する。そうなると、カトリックとしてはアリストテレスは正統であり否定できない。
しかし同時に、カトリック的には「笑い」を認めない。「笑い」を認めると、「キリストを笑うこと」「カトリックを笑うこと」を許すことになるからだ。
「正統」と認められた人物の「異端」の学説。存在してはならない書物である。
しかし、純粋な学問的見地からは廃棄など出来ない。よって封印することになる。
盗み読む人間は死なねばならない。知識を外部に流出させないために。
人体に害をなす医学的な意味と、
信仰に害をなす神学的な意味の、
形而下と形而上、両方の猛毒が含まれていたのである。
盲目の図書館長ホルヘは、存在してはならない禁断の書物を秘匿する人物である。
彼はカトリック教徒として「詩学第二部」を否定しながら、学者として「詩学第二部」を溺愛している。信仰と理性の、理想と現実の、分裂である。
よって、最後には、憎みながら、愛している「詩学第二部」を、隠滅するために、そして自分だけで独占するために、食べてしまう。彼は「知識」と心中するのだ。
★薔薇は存在するか?
タイトルの「薔薇の名前」。
イタリア語は「Il Nome della Rosa」、英語は「The Name of The Rose」。
日本語で表現しにくいが、「薔薇」にも「名前」にも定冠詞がつく。
これは中世最大の神学論争である「普遍論争」を背景としている。
我々が目にする1本1本の薔薇は、確かに手で触れられるし香りも嗅げる。つまり実在する。
では、あの薔薇、この薔薇、ではなく、「薔薇そのもの = 薔薇という概念」は実在するのだろうか?
プラトンのイデア論を嚆矢として「薔薇そのもの」も確かに実在するという考え方が「実念論(実在論)」。
対するは、個別の薔薇は実在しても、「薔薇そのもの」は名称として(言葉として)あるだけで、実在はしないという考え方が「唯名論」。
たとえば、われわれは「円」という図形を「知っている」。
1つの点から等距離の点の集合。「2πr」、数式でも表現できる。
しかし、現実世界で、完璧な「円」は存在しない。
どんなにコンパスで丁寧に書こうが、精密機械を使おうが、必ず誤差が生じるし、図形は歪む。
われわれ人間は誰一人、完璧な、数式通りの「円」を見た経験はないはずだ。
しかし、われわれは「円」という図形を「知っている」。
それは「円」のイデア(円そのもの)が実在するからだ。これが実念論。
それ(円そのもの)は実在しない、「円」を定義しただけだ。これが唯物論。
実念論ならば、イギリス社会やフランス社会などの個別の社会だけでなく「社会そのもの」が実在する。実在する「社会そのもの」を人間が変更・改造することは出来ない。このような宇宙を「ユニバース=普遍」と呼ぶ。つまり人間の本質は変わらない。
唯名論だと、イギリス社会やフランス社会などの個別の社会があるだけで、「社会そのもの」は実在しない。個々の社会はなんら普遍性はなく、名前を付け替えればいいだけだ。変革も改造も可能である。このような宇宙を「スペース(空間)」という。要は革命思想だ。
唯名論を進めると、「THE GOD = 神」の実在までが問題になってくる。というか、無神論に行き着いてしまう。
主人公の若い弟子は、村の女とセックスをする。愛しさを感じてしまう。
そしてラストで、弟子は選択を迫られる。
主人公と信仰と神学の旅を続けるか?
聖職を捨て、女との愛欲に生きるか?
あの女は、単なる「個別の女」だったのか?「その場の欲情」だったのか?
それとも「女そのもの」「愛そのもの」が存在するのか?
この辺までが、私の限界である(恥)。
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