在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

「武器のない島」はウソだが(笑)、上原正三「怪獣使いと少年」の素晴らしさは変わらない。

日本の特撮ヒーロードラマ、ウルトラマン仮面ライダー戦隊シリーズには、日本人だけでなく、「琉球人」が深く関わっている。

特に、ウルトラセブンや帰って来たウルトラマンには、彼ら琉球人のアイデンティティによる政治的なメタファーを含む作品が少なくない。

この辺は、特撮マニアなら誰でもご存知の話である。

 

そういうのはなにも日本だけの話ではなく、スーパーマンバットマンなんかのアメコミヒーローものも、原作者がユダヤ系で、マイノリティである彼らのアイデンティティが作品の構造に影響を与えている。

近年、アメコミヒーロー映画が流行しているが、これらは、犯罪と治安、戦争と安全保障、政治と自由、などなど、かなり露骨に政治的メッセージを含むものが多い。

 

ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー | 沖縄タイムス+プラス

 沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。 

 

 ■上京、これが「琉球人お断り」か

 ―55年当時、本土での沖縄差別は露骨だった。
 「高1の時、東京で暮らす親戚が『九州出身』にしていると知った。しかも本籍まで東京に移してさ。これは突き詰める必要があると。『俺は琉球人だ』との気概で東京に乗り込むと、親戚は歓迎してくれない。キャンディーやチョコ、リプトンの紅茶など、基地でしか手に入らない土産を嫌がったな。その後、僕も部屋を貸してもらえなかった。これが『琉球人お断り』かと知った
 ―それでも、ひるまなかった。
 「『ウチナーンチュを標榜(ひょうぼう)して、ヤマトゥ(本土)で生きる』が僕のテーマ。沖縄を差別するヤマトゥンチュとはどんな人種なのか、俺の目で見てやる。そんな青臭い正義感を抱いて、60年がたつ」

 

戦前から戦後まで、朝鮮人もかなり差別されたが、彼らの陰に隠れて目立たないものの、われわれ琉球人も負けず劣らず差別の対象だった。

下宿やアパートの「朝鮮人お断り」の張り紙の横には、同じように「琉球人お断り」の添え書きがあったのである。

 

朝鮮人が目立ったのは、彼らが朝鮮総連や民団という政治組織を持って活動していたからだ。

対して、自前の政治組織を持つほど頭が良くない南洋土人は、夜な夜な集まっては泡盛飲んで三線弾いて異国語で民謡を歌うのがせいぜいの、時間にルーズな怠け者集団でしかなかった。

 

朝鮮人は、芸能界で成功する人もいたし、商売で成功して実業家になる人も多かったが、琉球人は商売で成功した立志伝中の人物はあんまりいない。琉球人にはパチンコのような民族産業(笑)も無かったし。もっぱら成功者は芸能界に限られる。上原正三もその範疇といえるだろう。

 

―放送時の71年、沖縄は「日本復帰」直前だった。
 「ある日、現場で『復帰おめでとう』と言われた。何がめでたいんだ。沖縄があれだけ求めた基地の撤去要求は無視されてさ。『復帰』は、米国の一元支配から日米のダブル支配になるだけだと考えていた
 「このままだと、沖縄は翻弄(ほんろう)され続ける。一さんの『沖縄はタブーだ』がずっと胸に引っかかっていて、いつか差別、マイノリティーを真正面から問おうと考えていた。番組も3クール目に入り、安定期に入っていた。やるなら今だと…」
■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
 ―それで、第33話「怪獣使いと少年ができた。
 「登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』などのデマが瞬く間に広がった。市井の善人がうのみにし、軍や警察と一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」
 ―今見ても生々しく、よく放送できたなと思う。
 「僕が何をやろうとしているのか、TBSの橋本プロデューサーは当初から知っていたよ。だって最初にプロットを見せるから。プロデューサーの権限は絶対だけど、だめと言われたら企画は通らない。でも、『書け』と言ってくれたよ」
 「あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、演出をどんどん強めていくんだ。例えば、『日本人は美しい花を作る手を持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為をすることか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた。そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね」
 ―すんなり放送できたのか。
 「いや、試写室でTBSが『放送できない』と騒ぎ出した。橋本プロデューサーが『上原の思いが込められた作品だから放送させてくれ。罰として、上原と東條を番組から追放する』と説き伏せて放送させた」
 「でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕のシナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは生々しすぎて子ども番組の範疇(はんちゅう)を超えると…。それでこの場面は撮り直して拳銃に変わり、オンエアされた。結局、僕はメーンライターを辞めさせられたけど、橋本さんには感謝しかない」

 

怪獣使いと少年」に関しては、改めて付け加えるようなことはない。

ググれば、特撮マニアの評論や感想がたくさん見つかる。

 

―沖縄と日本の関係について、どう考えるか。
 「独立も含めて一度関係をリセットし、どうするかを真剣に考える時期が来ている。薩摩侵攻で、琉球王国を占拠した400年前の強引さが今も続く。民意を顧みず、基地を押し付ける政府の態度は沖縄を植民地としてしか見ていない証拠だ。これが差別なんだ」
 「薩摩侵攻の時に捕らえられ、2年間幽閉されても薩摩への忠誠を拒否したため、処刑された謝名親方(琉球王国の大臣)が僕の先祖。18歳の時、琉球人の誇りを持って東京に来てから60年、僕の心の中にはいつも謝名がいる」
 ―「ウルトラセブン」で「300年間の復讐」という、映像化されなかったシナリオを書いている。
 「武器を放棄した友好的な宇宙人が地球に来て人間と仲良くしようとするけれど、『髪が赤い』という理由で皆殺しにされるストーリーを書いた。これは薩摩による琉球侵攻がヒント。武器のない琉球に、鉄砲で武装した薩摩軍が攻めてくる。赤子の手をひねるような、一方的な虐殺だっただろう

 

ただし、優れた脚本家が、必ずしも優れた歴史学者であるはずがない。

琉球人もカン違いしたままだし、日本人も誤解しているが、「武器のない琉球」なんていうファンタジーは、有史以来、現実のこの地球上に存在したことはない。歴史学的には完全なマチガイである。

下記をご参照。

 

武器のない国琉球?(1): 目からウロコの琉球・沖縄史

実際に1500年の王府軍による八重山征服戦争では軍艦100隻と3000人の兵が動員され、1609年の薩摩島津軍の侵攻に対しては、琉球は4000人の軍隊で迎え撃ち、最新兵器の大砲でいったんは島津軍を阻止しています。
尚真王が軍備を廃止した事実はなく、この時期にそれまでの按司のよせ集めだった軍団から、王府指揮下の統一的な「琉球王国軍」が完成したというのが真実なのです。再度強調しますと、琉球は刀狩りやそれに関連するような政策は一切とっていません。
琉球の歌謡集『おもろさうし』には数々の戦争をうたったオモロ(神歌)が収録されています。そのなかでは、琉球王国の軍隊のことを「しよりおやいくさ(首里親軍)」と呼んでいます。聞得大君に関するオモロを集めた巻では、全41首のうち、実に4分の1にあたる11首が戦争に関するオモロです。

 

武器のない国琉球?(2): 目からウロコの琉球・沖縄史

それでは近世(江戸時代)の琉球はナポレオンが聞いたように「武器のない国」だったのでしょうか。答えは「ノー」です。

(略)

それに注意しなくてはいけない点がひとつ。近世の琉球はたしかに大きな戦争もなく「平和」な状況が何百年も続きましたが、それは琉球だけにかぎったことではありません。江戸時代の日本は「天下泰平」といわれた、かつてないほど平和だった時代。もともと軍人であった武士も、戦いより学問や礼儀を重んじる官僚となっていきます。さらに周辺諸国でも大きな戦争はなく、それ以前の時代では考えられないほど東アジア世界全体が「平和社会」となっていた時代だったのです。琉球だけが平和だったのではありません。

さらにナポレオンが聞いた話は、琉球を訪れた欧米人バジル・ホールの体験談であって、彼は琉球社会のほんの一部分を見て判断していたにすぎません。ホールはさらに「琉球には貨幣もない」とまで言い切っています(もちろんそんなことはありません)。

琉球の「武器のない国」というイメージはどのように作られ、広がっていったのでしょうか。それは琉球を訪れた欧米人の体験談が、19世紀アメリカの平和主義運動のなかで利用されていった経緯があります。好戦的なアメリカ社会に対し、平和郷のモデルとして自称琉球人のリリアン・チンなる架空の人物が批判するという書簡がアメリカ平和団体によって出版され、「琉球=平和郷」というイメージが作られました。このアメリカ平和主義運動で生まれた琉球平和イメージ、史料の解釈の読み違いから出た非武装説に加え、さらに戦後の日本で流行した「非武装中立論」や「絶対平和主義」が強く影響して、今日の「武器のない国琉球」のイメージが形作られていったのです。

そもそも琉球史の戦争をめぐる問題の核心は、武器があったかどうかという単純な話ではなく、琉球という国家が自らの政治的意志を達成するために、暴力(軍事力)を行使する組織的な集団を持っていたかどうかを探ることです。武器はあくまでもその組織(軍隊)が目的を達成するための道具にすぎません。これまで「軍隊とは何か、戦争とは何か」という問題が非常にあやふやなまま議論されてきたのではないでしょうか。

このような僕の意見に対して「事実そのものにこだわっていて物事の片面しか見ていない。この言説を生んだ沖縄の平和を求める心こそが大事なのだ」という批判がありましたが、僕はそうは思いません。沖縄の平和を求める心が大切なのは同意しますが、これまではそればかりを強調して、歴史の実態を見てこなかった(もしくは知りながら見ようとしなかった)のが問題だったと思います。つまり物事の片面しか見てこなかったのです。

 

今から振り返ると、近世(大雑把にいえば江戸時代)というのは、日本だけでなく東アジア全体が「平和のエアポケット」にスッポリ入った、変な時代だった。

その直前の戦国時代は陰惨な殺し合いをしていたのに、江戸時代の天下泰平が日本人のアイデンティティになったように、琉球人のメンタリティもこの辺で形成される。

お隣の南アジアや、アフリカ、南米では、大航海時代以降の西ヨーロッパの侵略が露骨で、凄惨な虐殺も多発していたのに、清国、李氏朝鮮、徳川日本、尚氏琉球は、別世界だったのである。

 

しかし、沖縄戦も米軍基地という「現実」も、日本とアメリカの合作なら、

「武器のない平和の島」というファンタジー(笑)すら、日本とアメリカの合作だったわけで、

地政学上しょうがない面もあるが、琉球はトコトン日本とアメリカの影響から逃れることが難しい国だ。

この厄介なポジションから近代的な独立国家を思考するのは、誠に長い道のりである。