在日琉球人の王政復古日記

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♪邦画でやれぬことならば、ジョニー・トーがその手でやってくれ♪~ 追悼「ワイルド7」望月三起也。


オープニング集 ワイルド7

 

漫画家の望月三起也さん死去 77歳 「ワイルド7」がヒット (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 1970年代にテレビでヒットした「ワイルド7」などで知られる漫画家の望月三起也(もちづき みきや)さんが3日午前7時56分、肺腺がんのため川崎市中原区の病院で死去した。77歳。横浜市出身。

 

そんなに漫画は読まないし、ぜんぜん詳しくないが、知ってる中ではベスト10に入る大好きな作品であった>「ワイルド7」。

 

漫画、特に日本の漫画、さらに週刊連載の抱える欠点(たまに美点にも化けるが)は、「描いてる最中、作者に考えてるヒマがない」ということだ。

勢いと根性で連載を続けていく内に、当初の設定から、どんどん外れていく。

想定してなかった部分に人気が出たり、作者の思惑を超えてキャラが暴走したり、ストーリーがまったく別の方法に膨らんだり、最初に張っていた伏線が回収できなかったり、人気があって長く続けば続くほど、そうなる。

人気が出てくると、編集側が無理やりでも連載を終わらせない(笑)。

つまり人気があればあるほど、最初の設定通りのキレイな終わらせ方が出来なくなる。人気が無くなるまで続けるから、最後は「出がらし」状態の無残な結果になる。そのため、後からトータルで見ると、全体の構造が歪んでしまっていて、作品のクオリティを落とす。

「あそこで終わっていれば大傑作」という作品は山ほどある。たとえば最大のライバル・ラオウを倒したのに、まだまだ連載が続いた「北斗の拳」である(笑)。

 

対極にあるのがミステリ小説だろう。

オリエント急行殺人事件は」や「獄門島」なんかが、人気があるから、なんて理由で話を続けたら、トリックは破綻するし、ミステリとしては失敗作になる。

ミステリは「起承転結」から外れるのがご法度のジャンルである。

 

ワイルド7」も、長期連載の人気作品で、当初の設定からずいぶん変わって行った。

題名でもある「7人の集団活劇」のはずが、エピソードを重ねるごとに、リーダーの飛葉大陸だけたった1人が活躍して、残りの6人の影がどんどん薄くなっていき、ぜんぜん登場しないエピソードもある。

 

そもそも、主人公側が7人もいるのは、単品ならともかく、連載ものでは、ムリがあったのだと思う。この辺は主人公が47人もいる「忠臣蔵」と同じ構造上の問題である。

 

ドラマとしておかしい忠臣蔵~一人も殺されていない赤穂浪士VS基地外通り魔&逆恨みテロで惨殺された吉良上野介。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

ワイルド7それぞれのエピソードも、作者のノリや、魅力的な敵キャラの暴走で、どんどん方向がずれて行くことがあった。

しかし、ここからが望月三起也の優れたところで、終盤で何とか軌道修正して、外れた伏線も回収して、ちゃんとエンディングさせる技量があった。

最終エピソードも、尻すぼみではなく、文句なしに最も強大な敵だったし、10年前の第1話からそのままだった伏線まで回収する、見事なモノだった。 

 

望月三起也の描く戦闘シーンはハリウッドアクション映画的だったが、それ以上に、最初に設定したストーリーやプロットにちゃんとオチをつけて終わらせる「脚本」の腕力がハリウッド映画的であったと思う。

 

映画というのは、漫画(特に長編連載)とは相性が悪く、ミステリには相性が良いのは、それぞれの構造上の相違なのだ。

 

望月三起也作品自体が映画的なので、映画化させれも不思議はない。

そして、近年「ワイルド7」が映画になったが、1980年代以降の日本映画に、マトモなアクション映画はほとんどないので、まったく期待してなかったが、やっぱり期待を裏切らない(笑)クオリティであった。

 

日本のアクション映画がダメになったのは、まあアクション映画だけがヒドイわけではなく邦画全体がかなり深刻なのだが、中でもアクション映画が壊滅的なのは、予算の問題ではない。

予算でアクション映画の出来が決まるのなら、タイ映画「チョコレートファイター」やインドネシア映画「ザ・レイド」みたいな傑作を説明できない。

 

邦画全体にいえるが、とにかく「脚本」がダメすぎる。起承転結がムチャクチャ。邦画のマシな作品は、監督や役者の技量がどうのこうのの前に、まず脚本がマトモなのだ。

 

映画版「ワイルド7」も、敵ボスのやってることがサイバー犯罪という時点で、制作側が「ワイルド7が何たるか」をまったく解っていない。ワイルド7の敵が、残虐に、非情に、実際に、大量に、人間を傷つけ、殺す、物理的暴力的な犯罪を行わないと、ワイルド7の戦いが成立しないのだ。

 

役者、というより、事務所や制作側の要求なのだろうが、極悪非道の血みどろ残虐描写を撮れないのなら、最初からワイルド7」に手を出すのがマチガイである。

何でもイイから、恋愛シーンを入れればいいというのも、女性客をバカにした話だし、それで喜ぶ女性客も映画をバカにしている(笑)。

だいたい女性が平気で鑑賞できるワイルド7」を目指したら、ボンクラ映画野郎どもが喜ぶ「ワイルド7」になるはずがない。

 

残念だが、平成日本にワイルド7」を映画化する能力はないと思う。

ハリウッドに持っていっても、ハリウッド自体が「お上品」になってしまっているので、あんまり期待できない。それに飛葉大陸が白人になってしまう(笑)。

 

ワイルド7」を、その「魂」を含めて、映画に出来るのは、香港だろう。

「ザ・ミッション 非情の掟 」「エグザイル/絆」など、ボンクラ野郎号泣保障付きの傑作を撮ったジョニー・トーしかいない。

 

ワイルド7」のアクションシーンは、「リアリティ」があるといわれるが、「現実的」ではない。

猛スピードのバイクから振り落とされて、全身にガラス片を浴びて、大出血してるのに、ハンドガンで遠くの敵を正確に射殺する、なんてことは現実世界の生身の人間には不可能である。

しかし、作品世界上のフィクションの「リアリティ」はある。

ワイルド7」で、人間が空中に浮かんで、自由に空を飛んだら、作品上の「リアリティ」すら台無しだが、

出血多量状態でも根性で大重量のロケットランチャーを担ぎ撃ちできるのは、作品上の「リアリティ」があるのだ。

そこが優れた漫画や映画(フィクション)のパワーである。

 

そういう現実世界ではありえない、でも映画の中ではリアリティのあるアクションが上手いのが、ジョニー・トー作品である。

 

映画「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」より。

 

www.youtube.com

 

もう「けれん味」としか形容しようがない、ウソまる出しのリアリティである。

 

ジョニー・トー監督「ワイルド7

 

・・・望月三起也の追善供養はこれしかないと思う。

 

望月三起也ファン、「ワイルド7」ファンは、如何思われるだろうか?