超党派の国会議員同盟、新憲法制定推進へ大会 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
2017年5月2日
超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」は2日、東京・永田町の憲政記念館で「新しい憲法を制定する推進大会」を開いた。
会長を務める中曽根康弘元首相は、「(安倍)内閣は憲法改正への意欲を示し、実現のために取り組もうと挑戦しており、大いに評価し、支持し、期待する」と述べ、憲法改正の早期実現に期待感を示した。
大会には自民、公明、民進各党などの代表者も出席し、自民党の小坂憲次・憲法改正推進本部長代理は、「衆参両院での3分の2の(賛成による)議決、国民投票で過半数の賛成を得られる項目、条文を決め、発議したい」と述べた。民進党の松原仁・元国家公安委員長は、「憲法は改正されなければいけないと確信している」と語った。
「賛成を得られる項目、条文を決め、発議したい」って、今から(笑)?
牧歌的というか、なんつーか、のんびりしたお話である。
しかし、他の国で、こんなぼんやりした目標の改憲運動があるんだろうか?
「気に入らないから、憲法を変えたい。ただし、変える条文が9条だけなのか?他の条文も変えるのか?まだ合意の形成はないし、9条の具体的な改正案もまだ作ってない」なんていう状態から、実際に憲法を変えるまで、というか、国民に憲法改正の是非を問うまで、いったい、あとどれくらいの時間をかけるつもりなのか?
あ、誤解の無いように、まず大前提として、私は護憲派ではない。9条に何の幻想も持っていない。そもそも日本国憲法は琉球人には無関係なのである。
核兵器は強姦も酔っ払い運転もしない(笑)~沖縄タイムスと琉球新報はトランプを支持すべき。 - 在日琉球人の王政復古日記
琉球人は琉球人であって、いくらイヤでも、自分の出自は変えようがない。
で、私のような琉球人が政治的な発言をすると、反戦平和、9条護憲、だと先入観を持たれる。
ふざけるんじゃない(笑)。
なんで「琉球人=反戦平和」なんていう根拠ゼロの偏見が広まっているのか?
ナンの懲罰かは知らないが、このロクでもない世界に生を受けて以来、私は反戦平和思想に染まったことも、9条護憲と思ったこともただの一度もない。
そもそも「9条」は、1947年施行の日本国憲法第9条であって、1945年から1971年まで「アメリカ軍政下」だった琉球にとっては、何の関与もしていない、何の関係もない、政治的にも軍事的にも文化的にも完全なる「他人事」ではないか。
ほんと、琉球人というだけで、変なバイアスがかかるのはめんどくさい。
さて、通常、ある国で、憲法改正論議がおこる場合、すでに改正すべき条文が限定されている。
たとえば、ミャンマー。
選挙で勝ったアウンサンスーチーは大統領になれない。
ミャンマー憲法に、本人、配偶者、子供が外国籍の場合、国家元首になれない、という規定があるからだ。これは、ミャンマー軍が、わざわざ彼女を大統領にしないために、前もって憲法を改正したからである。で、アウンサンスーチーの政党NLDは、規定を削除するため、憲法の再改正を訴えている。
ミャンマーの場合、軍の改憲にしても、NLDの改憲にしても、ターゲットはハッキリしている。
アメリカだって、憲法問題といえば、銃の所有を巡る「憲法修正第2条」がほとんどだ。
日本だって、ホントはそうだった。戦後から今まで、憲法改正といえば、9割がた「9条」の話だった。戦後日本においては「改憲=9条」だった。
しかし、米ソ冷戦構造が崩壊し、左翼が退潮し、支那が台頭し、憲法改正が実現可能な状況になった現在になって、なぜなんだか、ターゲットが絞られる、のではなく、逆に、ターゲットが拡散し始める。
一つは、知る権利だの、プライバシー保護だの、同性婚だの、想定してなかった人権問題が出てきた、どっちかというと、リベラル派の主張である。
しかし、もう一つ、こっちのほうがはるかに大きいが、改憲派・保守派が、日本国憲法を批判するために、ココに不備がある、アッチも間違ってる、と日本国憲法の欠陥をイロイロと列挙し始めた。
前文が日本語としてダメ、天皇を国家元首に、首相公選制、一院制、権利の制限、96条改正で変更を簡単に、緊急事態、家族の尊重、などなど百花繚乱である。
改正が、9条のみ限定ならば、まだ可能性もある。
それも2項に絞るならば、さらに可能性は上がる。
なぜなら、改正条文も1つ書けば済む。作りやすいし、合意形成もしやすい。
しかし、前文も1条も96条も変えよう、国家緊急権も家族の尊重も新設しよう、となると、改正の可能性はどんどん遠のく。
だって、その全部を含んだ、具体的な、少なくとも改憲論者のほとんどが賛同する、改正案の成文は、今現在、あるのか?
改憲派といっても、9条は変えたいが家族の尊重は要らない、天皇元首は賛成だが一院制には反対、みたいに意見の統一は難しいだろう。
9条だけならともかく、アレもコレも改正となれば、事実上の新憲法となる。
自民党や読売新聞や産経新聞がそれぞれ、憲法改正案、というか、新憲法案を出しているが、改憲支持者は、どれを支持するのか? というか、あんなレベル(笑)でホントにいいのか?
いくら改憲でも、アレはちょっと(笑)、というのなら、具体的に、国民・有権者に提示する新憲法草案は、誰が、何時までに、作るのか?
「憲法を変えたい。変える条文はハッキリしてないけど」なんていう改憲論議は、ソ連がロシアに変わった時のように、そして大日本帝国が日本国に変わった時のように、一種の革命である。みんなの話し合いで革命、はほぼ不可能である。
だいたいが「日本国憲法は、実質1週間でデッチ上げられた即席憲法だ! 」と批判してるのに、新憲法草案を、今からゼロベースで作って、7月の参院選に間に合わせるのか? というか、いつの選挙に間に合わせるつもりなのか?
憲法改正論者が、リアルか、ロマンか、ホンキか、ただの自分探しか、を見分ける方法は簡単で、
9条(さらに2項)に絞り込んだ改正を主張している人はリアリストである。現実を知ってるしホンキである。
しかし、前文がどうのこうの、国家緊急権がなんのかんの、家族を大切にとかなんとか、そういう主張している人は、ボク、サッカー選手になりたい、アタシ、アイドルになりたい、と夢想する小学生と同じ。
いったい何十年後に実現させるつもりなんだ?、それまで待ってくれるんなら、支那も意外に良いヤツじゃないか(笑)、としか言えない。
対して、護憲派は楽だ。
「変える」には理論上、無限の種類があるが、「変えない」は事実上、1つしかない。
ガチガチの非武装・自衛隊廃止論者も、
自衛隊も集団的自衛権も認めるが、条文をいじるのは怖い解釈改憲派も、
「解釈を変える」ことでは対立しても、「条文を変えない」ことでは団結できる。
改憲派は「条文を変える」ことでは団結しても、「具体的にこう変える」という部分は、対立どころか、叩き台すらないのである。
逆にいえば、
改憲派が、あれもこうしたい、これもこうしたいと、新憲法草案を作ってる間は、日本国憲法は変わらないだろう。
しかし、前文も他の条文も全部棚上げにして、9条2項だけにターゲットを絞ったら、憲法改正は視野に入る。
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