在日琉球人の王政復古日記

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「古き良き家族」を破壊したのは、日教組ではなく、経団連である~昔の家族は生活の場ではなく、生産現場だった。

自民党の憲法改正草案 24条は「言い過ぎてしまった」? (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

2016/5/16

 「改憲」といえば、9条ばかりに目がいくが、論点はほかにもある。自民党の改正草案を見ると、改憲でこの国の形がどうなるかが見えてくる。

 自民党の改正草案には規定が新設された条文がいくつかあるが、その一つが24条だ。自民草案では第1項に「家族は、互いに助け合わなければならない」という規定を新たに設けた。草案Q&Aでは、「昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われています。こうしたことに鑑みて」と、理由を説明。さらに、「党内議論では、『親子の扶養義務についても明文の規定を置くべきである』との意見もありましたが、それは基本的に法律事項であることや、『家族は、互いに助け合わなければならない』という規定を置いたことから、採用しませんでした」と書いてある。

 そもそも、「昨今」の家族のカタチで最も多いのが一人暮らしだ。10年の国勢調査では単独世帯が32.4%を占めた。それ以外にも同性婚事実婚、シングルで出産、LGBTカップルなど家族の形態も機能も多様化してきているが、自民草案はその変化を逆戻りさせるものだ。

 安倍首相の著書『新しい国へ』の中にはこんな記述もある。
「『お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ』という家族観と、『そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ』という価値観は、守り続けていくべきだ」

 

 昨年2月の参院本会議で、安倍首相は同性婚について「現行憲法の下では、同性カップルに婚姻の成立を認めることは想定されていない」と答弁。また、昨年12月、夫婦が同じ姓を名乗る民法の規定について、最高裁大法廷は「合理性があり合憲」とする初の憲法判断を示し、選択的夫婦別姓も認めなかった。

 LGBT支援法律家ネットワークのメンバーで日野市民法律事務所の加藤慶二弁護士は、LGBTの当事者たちは、相続が認められず、所得税などの配偶者控除が受けられないなど、差別的扱いを受けており、いまだ同性カップルの存在が可視化されているとは言いがたいと指摘する。
「マイノリティーであるがゆえに、社会のインフラからこぼれ落ちる人たちが大勢いる。家族のあり方はさまざまで、国家が生き方を示したり、家族のかたちについて強制したりするべきではないと思います」
 東京都健康長寿医療センター研究所研究員の平山亮さんも新しい家族の形態が増えている現状を踏まえてこう話す。
「もし時代に合わせて憲法を改正するというなら、多様な家族を認める憲法にすべきです」

 自民党憲法改正推進本部で本部長代行を務める船田元・衆院議員に、家族の規定の新設について尋ねてみると、「改正草案は自民党が野党のときにつくったもので、『とにかく政権を奪還しなければ』という自民党内の熱が反映されすぎて、党内でも右寄りという印象で、言いすぎてしまった部分が何カ所かある。その一つが『家族』の規定。私たちはこの草案をそのまま押し付けるつもりはなく、これを材料にして、野党ともよく話し合っていきたい」
改憲」の足音はたしかに近づいてきている。私たち一人ひとりが、その内容について無関心ではいられない。(アエラ編集部) 

 

同性愛やLGBTの件は、話がややこしくなるので、また別の話として、

 

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自民党憲法改正草案第24条は、2つの根本的に異なる思惑の野合だ。

 

一つは、膨れ上がる社会保障費用を抑制するために、経済的負担はある程度、家族でナントカしてくれ、という財政保守的な、合理的な思惑。

 

もう一つが、古き良き日本!という、「時代が変わっても、形を元に戻せば、魂も元に戻る」的発想の社会保守側の、非合理な思惑。

 

でも、この2つは、そもそも、相容れない、不倶戴天なのだ。

 

つーか、近代化とは、財政保守と同じ金勘定=合理的選択であった。自由市場経済、戦後高度経済成長、その選択の結果として、今の日本社会がある。

その結果である日本社会が、大家族制度の否定、核家族を越えて一生独身、少子高齢化になるのは当たり前の話で、

それがイヤだ、古き良き日本を取り戻したい、というのなら、社会保守勢力の最大の邪魔は、左翼ではなく、金勘定=合理的選択のはずだ。

安倍ちゃんや社会保守派の敵は、日教組ではなく、経団連なのだ。

 

人間はかなり不合理なこともやったり信じたりするが、それでも基本は動物と同じなんで、原則として合理的に生きている。

 

親も子も、兄弟も姉妹も、お祖父さんお祖母さんもお孫さんも、ヘタしたら、叔父さんも甥っ子も、みんな一緒に住んでいた時代は、その方が「合理的だったから」そうしていただけの話で、なにも愛情の問題ではない。

安倍ちゃんと自民党は「家族は、互いに助け合わなければならない」というが、それは、「同じ家に住む」「同じ釜の飯を食う」ということでは、実は、無い。

 

今現在、皆さんの仕事が何かは知らないが、あなたのご先祖の仕事は、半数以上が農業であり、残りも手工業か、小売業だ。

その経営は、株式会社ではなく、血縁関係者つまり家族で経営している。親と子が、兄と弟が、祖父と孫が、同じ仕事をする。
農家に生まれたら、親も子も田植えをする。
鍛冶屋に生まれたら、親も子も真っ赤な鉄を鍛える。
作り酒屋に生まれたら、親も子も麹をこねるのだ。

なぜ、昔の家族がみんなで集住した大家族だったのか?といえば、簡単な話で、昔の大家族は「企業」だったからである。

社員がオフィスに集まって仕事をする、工員が工場に集まって仕事をする、それと同じことで、家族も集まらないと仕事にならないから集まっていただけの話だ。

 

つまり昔の家族とは、「消費生活」ではなく、「生産現場」だから、大家族だったのである。

「血のつながり」で一緒に暮らしていたのではない。「経営者と労働者」だから一緒に暮らしていたのだ。

 

しかし、近代になって、株式会社が生まれ、他人同士が集まって仕事をするようになる。
家族経営の鍛冶屋が生産する鉄製品より、製鉄会社の溶鉱炉で作る鉄製品のほうが、高品質で大量で廉価なんだから、鍛冶屋は廃業することになる。

鍛冶を打たない家族が集まって住む理由は無くなる。
親父は食品会社に就職して北海道の工場に勤めるために引越しする。
子供はアパレルメーカーに勤めて東京に出てショップで服を売る。
仕事が違うのに、なんで一緒に住む必要があるのか?

生産作業をしない家族が大家族を維持する合理性は何もない。合理性がないから消滅したのだ。

 

昔は、家族が「企業」であり「学校」でもあった。
子供は親の仕事を覚える。それが教育である。数学や英語が教育ではない。
しかし、田植えが上手くても、数学や英語を知らないと大学には行けない。
田植えしか知らない親は数学や英語を教えられない。 

オヤジは連立方程式を知らないし、爺さんは英会話もできない。

そこで子供は政府の作った学校に行く。

子が親を、孫が祖父を、尊敬する理由も無くなる。

 

株式式会が、家族から「生産」を奪い、
ファミレスやファーストフードが、家族から「食卓」を奪い、
学校が、家族から「教育」を奪い、
行政が、家族から「福祉」を奪う。

 

空洞になった平成日本の家族は、かろうじて、人間の誕生には「男性の精液」と「女性の子宮」が必要である、という「たったそれだけの理由」で維持されてるに過ぎない。

人間の出産だけは、今でも代替策がない。だから家族がまだなんとか残っている。それだけ。

しかし、時代はさらに進み、三世代同居どころか、夫婦は子どもを作らない(経済的に作れない)、男も女も結婚しない(相手がいない)。

今や核家族ですら「大きすぎる」のだ。この状況から、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと一緒、なんて(笑)。

 

そして、人間の出産に代替策が無いからこそ、安倍ちゃんの手腕をもってしても、日本の少子化は止められない。

 

こうなったのは、日本国憲法第9条の責任ではないし、朝日新聞日教組朝鮮総連の陰謀でもない。

世の中を便利にした、トヨタソニーユニクロやアマゾン、セブンイレブンマクドナルド、経団連の大企業の責任ではないか。

 

自民党憲法改正草案第24条、夢を見るのは結構だが、

ホンキだとしたら、頭がオカシイのか、現実を無視してるのか、どっちかだ。

 

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