在日琉球人の王政復古日記

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#白い巨塔 #華麗なる一族 #不毛地帯 大阪3連敗~戦後高度経済成長「大阪VS東京」戦争。


華麗なる一族 予告編 映画 佐分利信 仲代達矢 京マチ子 北大路欣也 山崎豊子 山本薩夫

 

大阪人のカン違い~商業ブルジョア「細雪」から、吉本興業&山口組「岸和田少年愚連隊」へ。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

本来の大阪はお笑いヨシモトではない~上品で軟弱な大阪~文楽人形浄瑠璃~宝塚歌劇~「またも負けたか八連隊」。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

映画やテレビドラマになった「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」。

初期の山崎豊子作品は、関西を舞台にしているものが多い。

 

白い巨塔は、浪速大学医学部。 
華麗なる一族は、阪神銀行
不毛地帯は、近畿商事。

 

出てくる組織の名前からして、関西丸出しである。 

これら3作品は、関西を描いただけでなく、同時に、いやそれ以上に、戦後高度経済成長の「前」と「後」の分水嶺を描いた作品なのだ。

首都東京への一極集中と、天下の台所・大阪の地盤沈下

つまり戦後高度経済成長とは、大阪/関西が敗北していく歴史でもある。

この3作品に共通するテーマは、関西が東京に敗北する直前、関西が輝いていた「最期の栄光の日々」なのだ。

 

3作品とも、話の背景は、関西VS東京の戦いである。

白い巨塔は「浪速大学医学部 対 東都大学医学部」。
華麗なる一族は「阪神財閥 対 大蔵省」。
不毛地帯は「近畿商事 対 東京商事」。

 

そして、この3つの戦いにおいて、表面上は、3つとも、主人公である関西が東京に勝利する。 

しかし、3つとも、結果的には、マクロで見れば、実質的な勝利を収めたのはライバルの東京側なのだ。関西は敗北したのである。

 

白い巨塔」に関してはこちらを。

 

大阪が東京に敗北した日~映画「白い巨塔」(1966)~橋下維新の大阪都構想はナニに負けたのか? - 在日琉球人の王政復古日記

 

判り易いのは「華麗なる一族」。
主人公の万俵財閥阪神銀行は、あらゆる権謀術数を駆使して、小銀行・阪神銀行による、大銀行・大同銀行の下剋上吸収合併に成功して勝利する。
しかしラスト、今度は東京の大蔵省が、その万俵財閥を、さらに大きな銀行・富国銀行に吸収合併させる陰謀を画策していることを暗示してドラマは終わる。
おそらく将来、東京(大蔵省)が、関西(万俵財閥)を潰してしまうことを予感させる。

 

不毛地帯」は少々判りにくい。 
もともと繊維商社だった近畿商事が、防衛庁次期戦闘機入札を巡って、航空機に強い総合商社・東京商事に戦いを挑む。
暗闘の末、主人公側の近畿商事は、ライバル東京商事に勝利する。
しかしそれは、繊維=民需=関西の商売規模では、航空機=官需=東京の商売の規模には、太刀打ちできない時代が到来したことを意味している。
近畿商事は、繊維専門をやめ、関西の企業であることを捨て、航空機を売り、東京へ進出することで、東京商事に勝つ。
関西(近畿商事)は、自分自身が「東京の企業」に変貌したからこそ、東京(東京商事)に勝利できたわけだ。すでに「大阪の近畿商事」は存在しない。つまり「土地としての関西」の負けなのである。

 

経済の逆転は、文化・風俗の逆転をもたらす。

戦後高度経済成長の前・後から、

神戸の山口組が、大阪を制覇し、全国制覇に乗り出し、カタギでも知ってる日本最大のヤクザにのし上がる。

大阪の吉本興業松竹芸能のお笑いが、東京に進出し、テレビやラジオから標準語ではない大阪弁の話芸が全国に流れるようになる。

 

上方漫才だって、黎明期の横山エンタツ花菱アチャコから、完成者の夢路いとし・喜味こいしまで、柔らかい上品さが身上で、下品やドタバタを売りにしていたわけでは全然ない。

しかし、横山やすし的暴れん坊が大当たりして、そのトレンドが島田紳助ダウンタウンにつながっていく。

 

それまでの、お上品で、ある意味軟弱ですらあった、文楽人形浄瑠璃、宝塚少女歌劇、「またも負けたか八連隊」だった大阪が、コテコテ下品な吉本興業とイケイケ武闘派の山口組の大阪になっていく。

東京や他の地域の人々がそう誤解するのはしょうがないのだが、そのイメージが逆輸入されて、大阪人自体が「和事・薄口・上品」な文化を忘れて、「わてら昔からコテコテだっせ!」と自慢するようになってしまうのだ。

 

それこそが、関が原より明治維新よりも決定的だった、日本の大きな曲がり角「戦後高度経済成長」という分水嶺なのだ。

 

北の国から田中邦衛が60年代に出演した数々の映画を見れば、その転換点がよくわかる。

 

田中邦衛60年代映画地獄巡り(その1)~東宝「若大将」VSフジテレビ俳優座「若者たち」VS東映「網走番外地」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

田中邦衛60年代映画地獄巡り(その2)~東宝「若大将」VSフジテレビ俳優座「若者たち」VS東映「網走番外地」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

もう一つ大きかったのは、大阪が東京より西にあったことである。


大阪と同じく、ヤクザなイメージがあるのが、青森や新潟ではなく、福岡や広島なのは偶然ではない。

もともと西日本と東日本は文化が大きく異なる。右翼思想ですら地域差がある。

 

あゝ上野駅VS無法松の一生~東北・維新・法華経VS九州・復古・神道~東西右翼思想対決。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

西南日本は元からヤクザ的なのだ。

誤解の無いように言えば、大阪がヤクザなのではなく、西南日本全域にヤクザ的気質が元からあるのだ。

それは、西日本が東日本に比べて、気候が温暖で、稲作に適応し、また、支那大陸朝鮮半島に近く、交易が盛んだったことが要因である。

 

江戸時代までは、支那朝鮮は文化的先進地域なわけで、そこに近い西国は、東国より、上品なイメージになる。日本史のほとんどはそうである。 

しかし明治以降、価値観は逆転し、支那朝鮮は後進地域になった。つまり下品になった。
その下品な朝鮮半島支那大陸からの移民も、距離が近く、また工業の発展していた西日本の大都市圏、大阪、広島、福岡に定着し易かった。彼らアジア移民のイメージが明治以降の西日本のイメージにかなりの影響を与えたわけだ。

もちろん、この「遅れた野蛮国からのアジア移民」には、大阪大正区を中心に住み着いた、われわれ琉球人も含まれる(笑)。

 

あと、西日本には昔から被差別部落も多かった。

彼らが江戸時代までは個別に独占経営していた手工業が、近代工業化の波に潰され、急速に貧困化したことも、東西のイメージの逆転に影響しただろう。

 

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明治維新以降、ここで、ようやく、大阪人と琉球土人が出会うことになる。

 

大阪は、被差別部落も多く、朝鮮人も多いだが、同時に、ヤマト最大の琉球人居住区がある街でもある。

松井一郎大阪府知事のおひざ元には、土人の末裔がウヨウヨ、じゃなくてサヨサヨ(笑)してるのだ。

橋下さんを支持し、日本維新の会に投票した、大正区土人の皆さんは、土人と呼ばれて、いまさら文句を言う資格はない、というわけだ(笑)。

  

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