このハワイ焼けした太った中年が、石原裕次郎、と言われると、ちょっと違う。
ホントの石原裕次郎は、やはり、日活時代のこっちだろう。
石原プロ元専務・小林正彦さん死去 「西部警察」手がけ…炊き出しも発案 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
2016.11.4
小林さんは、1965年に同プロに入社。卓越した経営手腕で石原裕次郎さんを支え、人気ドラマ「西部警察」の制作などにも携わり、同プロの名物、炊き出しも発案。2011年に健康上の理由から専務を退任した。
石原プロ退社にはいろいろゴタゴタがあったそうだが(まあ、あの業界なんだから、あって当たり前だろうけど)、それはともかく、昭和のアイドル・映画スタア・石原裕次郎を支え続けた大番頭であることに間違いはない。ご冥福をお祈りします。
関連していろいろ記事も出たが、あの天下の裕次郎を、テレビドラマの「西部警察」や「太陽にほえろ」だけで語られるのは、ちょっと違うんじゃなかろうか。
テレビということだけじゃなく、どっちのドラマも実質的な「主役」じゃなく、ほとんど「トリ」というか「特別出演」に近いものだった。
まあ「日活」と言っても、実質的に潰れてずいぶん経つから、平成の皆さんには、ナンのこっちゃ?の世界だろう。
《在日コリアン映画列伝》日活「キューポラのある街」(1962)吉永小百合VS「Triumph des Willens」(1934)VS「風と共に去りぬ」(1939) - 在日琉球人の王政復古日記
その前に、私のブログ全体が、平成の皆さんには、ナンのこっちゃ?なモノが多いと思うが(笑)、これでも、わかりやすく書いてるつもりではある。
「ワカラン人放っときますよ。義務教育やないんやからね(c)大空テント」ということで、話を先に進めたい。
私も任侠映画で洗礼を受けた東映ボンクラ小僧なので、日活は守備範囲外。
同じ日活でも、好きなのは小林旭「渡り鳥」シリーズ(←ワカラン人放っときますよ)なんで、裕次郎はあんまり見てない。
atg「祭りの準備」(1975年)原田芳雄VS日活「南国土佐を後にして」(1959年)小林旭、ペギー葉山。 - 在日琉球人の王政復古日記
ライアン・ゴズリング=日活無国籍アクション~ラ・ラ・ランド=東京流れ者(渡哲也/鈴木清順)~ドライヴ=ギターを持った渡り鳥(小林旭) - 在日琉球人の王政復古日記
とはいっても、裕次郎の真骨頂は、テレビではなく、映画であることは間違いない。
裕次郎映画というと、これまた「幕末太陽傳」だの「黒部の太陽」だの名作・大作が語られやすいが、「幕末太陽傳」は、裕次郎の映画というより、フランキー堺の映画だし、「黒部の太陽」も、裕次郎の魅力爆発って映画じゃない。
やっぱり、裕次郎の魅力は、毎年何本も量産されたプログラムピクチャーにあると思う。
日活映画を、平成の皆さんにわかりやすく言うと、ジャニーズなのだ。
裕次郎やアキラは、誤解を恐れず言うと、キムタクだ(笑)。
裕次郎は昭和を代表する優れたアイドル、ポップアイコンだった。良い意味で、役者というよりアイドルなのである。演技よりも、見栄えであり、歌唱力なのだ。歌う映画俳優、というより、アクションもできるアイドル歌手、と言った方がいいかもしれない。
しかし、その魅力はやはり日本限定であり、広げても香港あたりが限界だ。
欧米、特にアメリカ人には伝わらないだろう。それは「肌の色」ではない。人種の問題ではなく、彼にはもう一つ問題があるのだ。
これに関しては、アメリカ大統領選挙やBABYMETALやももクロにからむ話なので(はあ?)、長くなる。次回に回したい。
トランプ支持ヒルビリー #HILLBILLY #石原裕次郎 #SU-METAL #BABYMETAL #百田夏菜子 #ももいろクローバーZ #橋本奈々未 #乃木坂46 - 在日琉球人の王政復古日記
(優劣ではなく)個人的に思い出せる裕次郎映画を列挙してみたい。
★「俺は待ってるぜ」(1957年)★
ほーら、カッコイイでしょ。
裕次郎はブラジルへ移民した兄からの便りを待っている。彼もまた兄の後を追って、日本を捨て、ブラジルに移民するつもりなのだ。
琉球でも先ごろ「世界のウチナーンチュ大会」とかいう、海外移民のイベントがあったが、
沖縄魂熱く継承 ウチナーンチュ大会、1万5395人集い閉幕 (琉球新報) - Yahoo!ニュース
第6回世界のウチナーンチュ大会(同実行委員会主催)は30日、閉会式とグランドフィナーレを那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で行い、閉幕した。閉会式には海外、国内、県内参加者を合わせて1万5395人が参加。共に歌い、踊ってウチナーンチュ同士の絆を深め、5年後の再会を誓った。閉会式では、本大会が終了した10月30日を「世界のウチナーンチュの日」に制定することが宣言された。今後は世界中のウチナーンチュがウチナーンチュであることを誇り、祝う日となる。
貧しかったのは、当時のアメリカ軍政下の琉球だけでなく、当時の日本もまた「ブラジル移民」が人生の選択肢の一つとしてあり得た時代なのだ。
当時の移民とは「海外へ流出する日本人」のことであり、平成のような「日本に来る外国人」の話ではなかった。サカサマだったのだ。
それは、ほぼ同時期の、在日朝鮮人社会における北朝鮮帰還運動と、経済的背景はほとんど同じだった。
まさか、その後の日本から、自動車や電化製品や精密機械や、マンガやアニメが、世界中へじゃんじゃん輸出できるなんて、まだ予想されてなかった時代である。
★「あいつと私」(1961年)★
日活に咲いた一輪の花・芦川いづみ。
清楚・清純を絵に描いたような女優さんである。つまり私の守備範囲外だ(笑)。
見てわかるように、目も鼻も口も際立った個性はまるでないが(笑)、全体として非の打ち所がない美しさ。その美しさも控えめで、過剰じゃないところが素晴らしい。アイドルの王道だ。
彼女に比べると、小百合ですら、美しさが「過剰」である。
日活裕次郎映画の政治的特徴として(アキラもそうだが)、左翼要素がまるでない。アンチ左翼なのだ。
「あいつと私」でも、当時の世相で、全学連安保闘争のデモシーンが出てくるんだが、その描き方に感情移入はまるでなく、冷淡な、というより、批判的な描写になっている。左翼デモ学生が、同志であるはずの女子学生を強姦した(当時、実際にそういう不祥事は普通にあった)という描写もある。
かといって、日活の観客はブルジョアではない。当時も大多数である貧乏人である。
そして、高学歴・大手企業サラリーマン・自営業者的な東宝の観客よりも、さらに低所得の中卒高卒・零細企業・個人商店の勤労者階層だろう。
しかし、東映のように反逆・暴力・革命の極左かつ極右なアナキズム路線ではなく、
松竹のように庶民こそが正しい!もっと社会福祉を!という社会党的・朝日新聞的路線でもなく、
「あーあオレもブルジョアになりてーなあ」とぼんやり憧れた素朴な民衆なのだ。
戦後経済高度成長を支えた、大学なんて夢の話で、中卒高卒で就職のため夜行列車に乗って東京大阪にやって来た地方出身の少年少女たち=金の卵が、実家への仕送りの余り、少ない所持金から出したチケット代で観た銀幕。それが日活だった。
何の根拠もなく、すごく乱暴な仮説(ですらない)なんだが、当時の創価学会員って、東宝でもなく、東映でもなく、日活が好きだたんじゃなかろうか?と思っている(笑)。
なにも裕次郎が池田大作っぽいとか、日活は法華経臭いとか、そういうことではない。法華経臭いでいうならば、「日蓮大聖人と蒙古大襲来」の大映の方がよっぽど日蓮LOVEである(笑)。
ちなみに、東宝が親米保守だとすれば、大映は反米というか非米保守だろう。
当時の貧乏な創価学会員の世界観に一番マッチしたのは、若大将や社長シリーズの東宝でもなく、高倉健・鶴田浩二の任侠東映でもなく、裕次郎とアキラのムード・アクション日活だったのではないか?と思うのだ。
ラブゲーム東宝「社長、駅前、若大将、無責任」VS純愛松竹「寅さん」VS売春東映「トラック野郎、まむしの兄弟、不良番長」 - 在日琉球人の王政復古日記
ここを読んでいる(いるのか?)親の代からの学会員さんがいらっしゃれば、お父さんお母さん・お祖父さんお祖母さんに、好きだった映画や俳優を聞いてみてほしい。もし当たってたらホメてね(馬鹿)。
★「銀座の恋の物語」(1962年)★
他もそうだが、まず、1961年に「銀座の恋の物語」というデュエット曲が発売されて、それから1962年に映画「銀座の恋の物語」が公開されている。
まず歌があり、歌がヒットしたから、映画も作られたわけで、日活がアイドル映画だという一つの理由である。
この映画は50年前の銀座を見るための「考古学」映画である。
当時、日本で最もオシャレな街だった銀座には、路面電車が通り、芸者を乗せた人力車が走っていた。表通りも路面は粗雑でガタガタであり、一歩路地に入れば水たまりだらけの道に日本家屋が並ぶ住宅街であった。
日本一の銀座でコレということは、東京の他の街はさらに劣るし、地方は問題外。
戦後高度経済成長前夜の日本はこういうインフラだったのである。
★「憎いあンちくしょう」(1962年)★
日活としても珍しい、ロードムービー。
東京-九州間をジープとジャガーで追いかけっこするという、日活特有の荒唐無稽さ全開の映画。
東海道新幹線は1964年開業。東名高速道路は1969年全線開通。
当時の日本は、飛行機は別にして、東京から大阪に行くのに夜行列車で一晩かかり、超距離輸送のトラックも一般道を信号待ちしながら運転していたわけだ。
★「花と竜」(1962年)★
【追悼】高倉健映画列伝(続・東映任侠時代)~花と龍、花と風、日本暗殺秘録、死んで貰います。 - 在日琉球人の王政復古日記
著名な「花と竜/花と龍」は、邦画各社でトップスタアを使って何度も映画化している。
★1954年東映 監督:佐伯清、 玉井金五郎:藤田進、 マン:山根寿子、 お京:島崎雪子、 吉田磯吉:滝沢修。
東映なのに金五郎は黒澤映画な藤田進、そして磯吉が代々木共産党(笑)な滝沢修。
★1962年日活 監督:舛田利雄、 玉井金五郎:石原裕次郎、 マン:浅丘ルリ子、 お京:岩崎加根子 吉田磯吉:芦田伸介。
主演は裕次郎&ルリ子の日活黄金コンビ。
★1965~66年東映 監督:山下耕作、 玉井金五郎:中村錦之助、 マン:佐久間良子、 お京:淡路恵子、 吉田磯吉:月形龍之介。
錦之助に佐久間、磯吉は月形、そして東宝から淡路、という豪華ラインナップ。
★1969年東映 監督:マキノ雅弘、 玉井金五郎:高倉健、 マン:星由里子、 お京:藤純子、 吉田磯吉:若山富三郎。
健さん純子の2トップに、富三郎、マンは東宝若大将のマドンナ澄ちゃんを招聘。
★1970年東映 監督:山下耕作、 玉井金五郎:高倉健 マン:中村玉緒、お京:藤純子 吉田磯吉:片岡千恵蔵。
健さん第2弾、山の御大に、マンは(近年はさんまとテレビで活躍)大映の玉緒。
★1973年大映 監督:加藤泰、 玉井金五郎:渡哲也、 マン:香山美子、 お京:倍賞美津子、 吉田磯吉:なし?
大映と言いながら、大映末期だけあって、監督東映、主演日活、助演松竹、客演東宝、と邦画ごった煮状態(笑)。
各作品の金五郎役を見るだけで、映画スタアの格が判るというものである。
★「太平洋ひとりぼっち」(1963年)★
石原プロモーション第一回作品である。
オレはアイドルじゃない!役者だ!と言いたげな、ほとんど裕次郎しか出てこない一人芝居映画。
監督に東宝系の市川崑を招聘してくるあたり、気合の入り方が違う。おかげで日活らしさが乏しい(笑)。ほとんど例がない大阪弁(方言自体が初めてか?)の裕次郎。
異色作であり意欲作。エンタメとして面白いかどうかはともかく(笑)、見ておいて損はない映画。
★「赤いハンカチ」(1964年)★
脚本としては、裕次郎ムードアクションの中では一番良いように思う。
★「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)★
イヤそれでいいのだ。だってアイドル映画なんだから。
裕次郎=ボギー、ルリ子=イングリッド・バーグマン、である。
芦川いづみがひっそりと咲く「一輪の花」ならば、
浅丘ルリ子は艶やかに咲き誇る「大輪の華」だ。
美しさが浮世離れして過剰。これぞ映画女優である。
テレビの刑事ドラマ「特捜最前線」の二谷英明も日活出身。主役でなく、敵のラスボスや、主人公のライバル・相棒役が多かった。
日活映画はアイドル映画だから、役者が登場した時点で彼が善玉か悪玉かハッキリ判るのだが、二谷英明は、善玉の場合も、悪玉の場合も、どっちもあるので、見ている途中、不安になるところがある(笑)。
特に「赤いハンカチ」は、あの金子信雄が善玉だったりして、ますます困惑する(笑)。
★「嵐の勇者たち」(1969年)★
石原裕次郎 二谷英明 宍戸錠 浜田光夫 岡崎二朗 川地民夫 渡哲也 郷英治 藤竜也 和田浩治 内田良平 浜美枝 吉永小百合 山本陽子 梶芽衣子
とうとう日活も末期。
東宝からジャパニーズ・ボンドガール・浜美枝を引っ張り出して、日活としては男優も女優も主役級をずらり並べたオールスターキャストで臨んだ作品だが、つまりは裕次郎単体では客の来ない時代になっていたということだ。
「裕次郎日活」の終焉、という意味で押さえておいてもいい作品である。
というわけで、重要な作品がポロポロ抜けてるとは思うが、お粗末様。
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