あの高倉健だって「悪魔の手毬唄」で金田一耕助を演じたことがある。
ミステリにネタバレは禁物だが、いくらなんでも今さら、横溝正史の金田一耕助モノの有名作品で、「あらすじも犯人もトリックも結末も知りません!バラさないでください!」なんていう人はほとんどいないと思われる。
ミステリ好きな人はすでに内容を知ってるし、今さら内容を知らない人はそもそも興味がないんだから、これから見ることもないだろう。
というわけで、それが目的ではないが、ネタバレありで書く。ご注意、ご容赦。
横溝正史の金田一耕助ミステリと、靖国神社との関連、イスラムの名誉殺人との相違、などなど、書いてきた。興味があればご参照。
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イスラム&ヒンドゥー&ヤジディー(Yazidi)「名誉殺人事件」VS横溝正史&金田一耕助「本陣殺人事件」 - 在日琉球人の王政復古日記
長編ミステリ・探偵小説の、映画化・単発ドラマ化には、必ず関門がある。
それは紙に書いた小説と映像作品の情報量の差だ。
連続ドラマにするなら別だが、2~3時間の尺だと、どうしても放り込める情報量に制限がある。
長編小説の場合、映画化・ドラマ化の際に、情報を削る必要が出てきやすい。
登場人物を減らしたり、結構重要なエピソードをまるまる削ったり、そのせいで、トリックや結末や犯人まで改変せざるをえない場合も出てくる。
また、削るのが必ず「改悪」というわけでもない。
というのも、もともと原作に問題がある場合もある。特に連載小説の場合、頭から最後までトータルで推敲して書いてるわけじゃないので、名作と呼ばれる作品でも「この登場人物、影薄い」とか「このエピソード、こんなページ数、必要か?」みたいな、水膨れしたエピソード、冗長な部分があったりする。そういう作品は、映像化するときに、その欠点を削って、原作よりもスッキリして判りやすくなる、なんてこともあったりする。
まれに短編小説を映画化・ドラマ化するときには、逆に、ネタが足りなくて膨らませることもある。荒業だと、別個の2つの短編をニコイチにしたり(笑)、いろいろ大変だ。
さらに、大昔だと、原作無視が当たり前だった時代もある。
山の御大・片岡千恵蔵の金田一シリーズ(東横映画~東映)なんて、主演の御大や監督どころか、脚本家すら原作を読まずに(笑)、題名と登場人物の名前だけ拝借して、最初から最後まで、犯人もストーリーも原作と全く違う、みたいな乱暴な映画もあった。
見ての通り、よれよれの袴と下駄ではなく、ダンディなスーツ姿で拳銃まで持っている(笑)。金田一耕助というより、明智小五郎か多羅尾伴内である。
高倉金田一も、細かいことは気にしない東映らしく(笑)、千恵蔵金田一同様、原作をほとんど無視した完全オリジナルである。
【追悼】高倉健映画列伝(東映任侠以前)~仁侠映画と学生運動。 - 在日琉球人の王政復古日記
健さん主演作で、見たことがある中では、これが一番古いはず。当然主人公・金田一耕助役。
え?健さんが金田一? ボサボサ頭をゴリゴリかくの? とお思いかも知れないが、当時の横溝モノ・金田一モノは、原作なんてほとんど名前だけで、話の筋もキャラクターも全然別物。健さん金田一もモダンなスーツ姿で、外車を乗り回し、女性秘書まで連れてる。全く明智小五郎みたいなもんだ。原作とは、殺される人間も違うし、犯人も全く別。まあ横溝ファンは別にして、健さんの異色作という価値くらいかな。
由良家は全く登場しない。どころか青池リカも出てこない。彼女はすでに死亡している。犯人は青池だが男性である。といっても青池源治郎とは全くの別キャラだ。
別所千恵子に該当する別名の歌手が、キンキラキンのステージ衣装で、オーケストラをバックに、鬼首村手毬唄を歌ったりする(笑)。ホントだ。
なんで、こんな乱暴なことになっているのか?
といえば「東映だから」の一言で説明はつくのだが(笑)、
もう少しマジメに考察すると、それは時代の要請でもある。
千恵蔵金田一が1947年~1956年。高倉金田一が1961年。
時代は戦後高度経済成長の前である。
このブログでは、映画に限らず、あらゆる話題で「戦後高度経済成長」がキーワードである。
大東亜戦争は日本の根本を変えていない。大東亜戦争の前と後で日本社会は大して変化していないのだ。本当に日本を変えた革命は戦後高度経済成長の方だった。そして次の変化がバブル崩壊である。
なぜ、千恵蔵金田一や高倉金田一が、よれよれの袴と下駄ではなく、モダンなスーツ姿で外車を乗り回すのか?
それは、1950年代の観客が、そういう「モダン日本」を見たいからだ。
当時の日本はまだまだ獄門島や八つ墓村や鬼首村が「実在」していたのである。
人々は、そういう古臭い「現実」がイヤで、やっとこさ、都会に出てきた。
それなのに、わざわざスクリーンで「過去の自分たち」を見たくはない。
そして時代は流れ、戦後高度経済成長が始まり、終わる。
観客も、映画同様、モダンなスーツを着て、国産車を運転できるようになった。
自分たちもモダンになった。そうなると、気持ちも反転して、戦後高度経済成長が叩き潰して、もはや都会には実在しない「レトロ日本」、よれよれの袴と下駄の金田一が見たくなる。
それが、1976年の市川崑&石坂浩二「犬神家の一族」の大ヒットだ。
正確には、1975年のATG&中尾彬「本陣殺人事件」が、その過渡期で、中尾金田一はスーツは脱いだが、まだ袴姿には至らず、ヒッピー姿にとどまった。
ただし、これは予算の関係で、戦前のセットや衣装が揃えられず、やむなく話を現在に持ってきたのが大きい。
もし、ATGじゃなく、大手映画会社なら、よれよれの袴と下駄の中尾金田一になったかもしれない。
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#悪魔が来りて笛を吹く (東映1979年)~フルートを捨てて愛欲を選んだダメ脚本を支持する! #横溝正史 #金田一耕助 #獄門島 - 在日琉球人の王政復古日記
に続く。