在日琉球人の王政復古日記

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#悪魔が来りて笛を吹く (東映1979年)西田敏行~フルートを捨てて「最期の情交」を選んだ改変を支持する! #横溝正史 #金田一耕助


植村泰一 黄金のフルート (1979)

 

「片岡千恵蔵、高倉健」から「中尾彬、石坂浩二、長谷川博己、池松壮亮」へ #横溝正史 #金田一耕助 #獄門島 - 在日琉球人の王政復古日記

 

#獄門島 (NHK-BS/2016年)長谷川博己VS(東宝1977年)市川崑&石坂浩二 #横溝正史 #金田一耕助 #黒蘭姫 #殺人鬼 #百日紅の下にて - 在日琉球人の王政復古日記

 

NHK「獄門島」のラストシーンの電報を信ずるならば、次回作はこれだ。

 


悪魔が来りて笛を吹く 予告篇

 

西田敏行金田一耕助、「悪魔が来りて笛を吹く東映1979年。

 

ハッキリ言って、横溝金田一の映像作品の中でも、ほとんど話題にならない、不人気な作品で、評価もかなり低い。

横溝ファンから批判されている点は、いちいちごもっとも、と首肯できる。

ダメ映画だとわかってる。わかってるけど、でも、どうしても好きなんだよなあ(笑)、この映画。

  

この映画が、ミステリファンから何より批判されるのが、悪魔が来りて笛を吹く」のメイントリックともいうべき「フルート演奏」がまるまるカットされていることだ。さらに「火炎太鼓」の露見シーンもカットされている。

他の作品で例えるなら、「獄門島」から釣り鐘が消え、「犬神家の一族」から白い仮面が消え、「悪魔の手毬歌」から手毬唄が消えたようなものである。

 

他にも欠点はいろいろある。

とにかくセットがしょぼい。手抜きもいいところだ。東映も苦しかった時期で、予算が無かったのだろう。

そして撮影も雑だ。

話題にもされてない映画なんで、誰も指摘してない(と思う)が、明らかな「演技ミス」をリテイク無しでそのまま使っている。

映画の中盤、等々力警部の夏八木勲が、電話を受けてメモを取り、そのメモを部下に渡して捜査を指示するのだが、そこで夏八木勲が明らかにメモを破るのを失敗しているのである。部下は紙の切れ端だけを受け取って部屋を出ていく。

夏八木勲の表情にも「ありゃ、失敗した。リテイクだ」と書いてあるのだが(笑)、ナニがあったのか知らないが、そのまま本編で使っている。

OKを出した監督の明らかな怠慢である。やっつけ仕事だ。

 

そして、いくら東映とはいえ、いくら闇市とはいえ、梅宮辰夫は横溝の世界から明らかに浮いている(笑)。不良番長の配役は必要だったのだろうか? 

東映ボンクラ小僧として、山本麟一は好きだが、役者の「格」からいって、捜査対象からは除外である(笑)。

金田一耕助役の西田敏行も、イメージに合わない!と不評である。でも、彼はそんなに間違ったキャストじゃないと思うが。

 

ただし、女優陣は、豪華な東宝市川作品と比べて、確かにネームバリューは劣るが、総じてドンピシャのキャスティングだったと思う。

 

なんといっても、鰐淵晴子@椿秋子は、これ以上ない絶品の適役である。 

 

斉藤とも子@椿美禰子も、妖艶な母親に似ず、清楚で「美人過ぎない」設定にぴったり合っている。大根(笑)なところも逆にイイ! あ、重要な点だから追記しておくが、私はロリコンではない。

 

終盤、娘の斉藤とも子に禁忌の秘め事を見られてしまった、

鰐淵晴子のセリフが、もう、タマラナイ (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<)

 

美禰子さん、あなたにはわからないでしょうけど、

私の体の中には《虫》がいるの。

何十匹も、何万匹も、いつもザワザワと動き回っているの。

お父様(夫の椿子爵)に「治してください」って、お願いしたわ。

でも、、、ダメだった。

あの方は、デリケートで、お優しくて、立派な方だったけれど、

いろんな意味で《お弱かった》の。

 

もう、このセリフだけで、ドンブリ飯3杯は軽い(馬鹿)。

ただし、私は変態ではない。

 

他にも、二木てるみ@お種、村松英子@新宮華子、池波志乃@菊江、などなど椿邸の女性たちはまさにイメージ通り。端役ながら、浜木綿子@下宿の女将、中村玉緒@旅館の女将、京唄子@場末の娼婦、もよろしい。

 

そして、欠点が多々あるのに嫌いになれず、この映画が好きな理由は、犯人を1人でなく2人にした「改変」である。

小夜子を自殺させずに、事件に登場させたのは、見事な脚本だったと思う。

兄と妹、2人を残したこと。そして兄と妹の出生の秘密を「逆」にしたこと。

これで、全ての不幸の元凶である「母」を追い詰める、クライマックスの悲劇性とカタルシスが格段に増した。

そして、最後の最後、ささやかで、狂おしく、そして悲しい「最期の情交」も表現できた。

 

実は、原作では、犯人の男は、自分の愛する女性の母親を謀殺し、実の母親も毒殺している。結構、平気で人を殺す冷血で残虐な殺人鬼なのだ。

しかし、映画では、どちらの女性も追い詰められた上での自殺だ。映画の犯人たちは、復讐鬼ではあるが、人殺しが平気な殺人鬼ではない。

原作の犯人より、映画の犯人の方が、より同情できるキャラである。 

 

しかし、この「犯人は2人」という改変が、逆算的に、「フルート演奏」のトリックを無効にしてしまったわけだ。あれは犯人が1人じゃないとなかなか成立しない理屈である。

そういう意味では、石坂金田一「獄門島」と同じで、犯人の人数を改変するのは、映画としてはアリかもしれないが、ミステリとしては破たんしてしまう危険が大きいのだ。

 

「フルート演奏」トリックを優先して、犯人を1人にするか?

「最期の情交」の描写を優先して、犯人を2人にするか?

ミステリとしては前者が圧倒的に正しい。後者は間違ってる。

だが、物語としては、演出としては、後者を取りたい。私も後者を是とする。

 

さて、NHKの長谷川金田一悪魔が来たりて笛を吹く」は、おそらく原作通りだとは思うが、「フルート演奏」や「火炎太鼓」をどう演出するのか? 

戦争のトラウマの次は、どんなトラウマが出てくるのか? 楽しみである。

 

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