偶像破壊の一神教VS偶像崇拝の漢字(その1)~韓国人チョン・スンホの廃仏毀釈。 - 在日琉球人の王政復古日記
偶像破壊の一神教VS偶像崇拝の漢字(その2)~消去されたムハンマドの「顔」VS処刑されたキツネと仏の「首」。 - 在日琉球人の王政復古日記
偶像破壊の一神教VS偶像崇拝の漢字(その3)~「首」の霊力VS「道」から何かがやってくる。 #白川静 #BABYMETAL - 在日琉球人の王政復古日記
偶像破壊の一神教VS偶像崇拝の漢字(その4)~漢字VSキリスト教~大乗仏教VSアレキサンダー大王。 - 在日琉球人の王政復古日記
の続き。
しかし、キリスト教もイスラムも、大乗仏教のように完全に漢字化することができなかった。だから漢字文化圏で広まらなかった。
それは、いろんな理由や偶然があったかもしれないが、ひょっとしたら、キリスト教やイスラムのような一神教は、そもそも、根本的に、漢字との「相性」「食い合わせ」が非常に悪いのではないか?と思っている。
もし無理やり漢字化したら、 キリスト教やイスラムは、キリスト教やイスラムではなくなるのではないか?一神教ではなくなるのではないか?
というのも漢字には、文字そのものに霊力が宿っているからだ。
文字の数だけ霊力があれば、八百万の神、アニミズム、汎神論、多神教、漢字の宇宙には、大小善悪さまざまな蛮神・邪鬼が棲み付いていることになる。どうしてもクリアな「神VS人間」の一神教にならない。
山川草木悉皆成仏、草木国土悉皆成仏、一切衆生悉皆成仏と大乗仏教は唱えるが、こんなもんは、インドの釈迦の発想ではない。ありとあらゆるモノに仏性が宿るなんて大安売り状態ならば(笑)、釈迦が解脱するのにあんなに苦闘する必要もなかった。
万物に仏性が宿るとは、万物に霊力があるということだ。釈迦の思想ではなく、漢字の思想なのである。
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一神教は、単なる記号であり霊力の宿らない道具としてのアルファベットじゃないと、信仰が成立しないのではないか?
おそらく漢字同様に万物に霊力が宿っていた楔形文字やヒエログラフが滅び去った後、万物の霊力が失われたアルファベットの世界になって、やっと一神教の天下になったのではないか?
アニミズムを大前提とした文字・漢字を選んだ、漢字の思想が骨肉に染み込んだ、支那人=漢民族、そして日本人、あと琉球人も(笑)、キリスト教やイスラムの唯一絶対の神の教義をなかなかに吞み込みづらいのではなかろうか?
逆に、大乗仏教の漢字経典を、アルファベットに翻訳しても、漢字文化圏でない欧米や中東の人々は、なかなか大乗仏教に帰依することが難しいのではないか?
大乗仏教の醍醐味は漢字だからこそ成立する、英訳したら魅力を失うのではないか?
そこで面白い存在が韓国人だ。
韓国は東アジアでは例外的にキリスト教が優勢である。
アジアのキリスト教国といえばフィリピンがあるが、あそこはカトリックが圧倒的で、ラテンアメリカ同様、土着文化と混交している。カトリックはギリシャローマ的な教会芸術に見るように、多神教的要素に寛容というかズブズブな部分がある。
韓国でも、天主教(カトリック)は健在だが、もっと大きいのは偶像崇拝を徹底的に拒否する改新教(プロテスタント)だ。
朝鮮半島の近代化は日本によってもたらされる。
日本は拒否したい、しかし近代化は進めたい。
そういう朝鮮人の心情が「日本じゃない近代=キリスト教」へ向かっていった。
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そして韓国という国は、いや朝鮮民族は、アルファベットであるハングル専用を選び、漢字を捨てたのである。
そもそも、漢字と一神教が食い合わせが悪いのではないか?、どっちかを選んだら、もう一方は諦めるしかない、不倶戴天・二律背反・二者択一の関係ではないか?、という私の仮説(というか妄想)は、漢民族や日本ではごく少数派のキリスト教が、同じ支那文明圏のはずの韓国では圧倒的優勢である、この不思議な現象を説明しやすい。
漢字を捨てるような心情だからこそ、キリスト教と相性が良くなったのか?
キリスト教を信仰するうえで、漢字が邪魔になったのか?
おそらく、この2つは同時並行的に進んだのだろう。
ただし、韓国人は、漢字は捨てたのに、ハングルに固執し過ぎである。
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同じように漢字を捨てたベトナム人は「アルファベットは素晴らしい!」なんていう国民感情はないだろう。
しかし韓国人は、単なる記号に過ぎないハングルに必要以上の過大評価をする。つまりハングルを、漢字の如く霊力の宿る文字として崇拝してるのである。そういう意味では心情的に漢字文化圏から抜け出せていない。
これは明らかに正統なキリスト教信仰とは相容れない、衝突する要素である。
将来、韓国人は、ハングルを捨てて、キリスト教を選ぶのか?
釈迦の思想が漢字のせいで大乗仏教に変形したように、ハングルに固執して韓国キリスト教がどんどんワールドスタンダードなキリスト教から逸脱していくのか?
なんだか、後者の可能性が強いと思うが(笑)、興味深い現象である。
というわけで、福島県のキツネの首から、こういうことを思いつきましたとさ。