在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

好物(ただし酒以外)を腹一杯食って、今日中に最寄りの警察署へ~新橋の3人に謹賀新年。

詳しいことは何も判ってない。

だから、大きく間違ってるかもしれない。

しかし、思いっきり《予断》と《偏見》で書く。

 

繁華街でトラブル、男性死亡 2人組逃走、東京・新橋 - 産経ニュース

1日午後10時25分ごろ、東京都港区新橋2丁目の路上で、飲食店案内所の従業員とみられる50代ぐらいの男性が、2人組の男らとトラブルになった。男性は胸ぐらをつかまれた後に、意識を失い搬送先の病院で死亡が確認された。2人は倒れた男性を置いて現場から逃走し、警視庁愛宕署は傷害致死容疑で行方を追っている。
 愛宕署によると、男性は店先のごみ箱が蹴られた音に気付き、付近を歩いていた2人に注意したとみられる。男性は心臓に持病があるといい、詳しい死因を調べている。
 逃げた2人はいずれも20代前半ぐらいで、身長約170センチ。1人は黒いスーツ姿で、もう1人は黒いダウンジャケットを着ていた。現場はJR新橋駅から西に約200メートルの繁華街。

 

 まず、いきなり本題から外れるが、もうこういう書き方はヤメにすべきではないか?

 

なんだ?「飲食店案内所」って?

 

そこでは、新橋の美味しいレストランやリーズナブルな寿司屋を紹介してくれるのか?

 

よくニュースで、若い女性が事件に巻き込まれたときに、彼女の職業が「飲食店店員」だったりする。

具体的には、どういう食い物屋か? 彼女は、マクドナルドのバイトか? フレンチのソムリエか? ファミレスのウェートレスか? 蕎麦屋の出前か?

 

私は「マスコミ批判」が嫌いだ。

誤解の無いようにもう一度書くと、「マスコミが嫌い」じゃない。「マスコミ批判」が嫌いだ。正確に言えば「マスコミ批判をする連中」が嫌いだ。

「マスコミ批判をする連中」が、マスコミより正しかったことなんて、倫理的に優れていたことなんて、隕石にぶつかるくらいの確率しかない。

 

それでも、マスコミに問題がないわけじゃない。その一つはこういう、誰のためなのか?サッパリ判らない「配慮」である。

事件の被害者なら、まだわからんでもないが、事件の加害者でも「飲食店店員」と書いたりする。

そんな「配慮」をしても、そういう事件に興味があって読む人間は、その飲食店が、おそらく、かなりの確率で、「人肉料理」のお店であることなんて、みんな知ってるのである。

 

さて、本題。

 

私は幸運な男だ。神や仏は信じてないが、神や仏に感謝する。

 

この私と、「新橋の2人組」の間に、違いなんて何にも無い。

 

夜の繁華街、しかも新年、明日も休み、そして20代、悪友と浮かれ気分でハシゴして大酒を喰らって、千鳥足で路上を歩けば、ゴミ袋に悪さをする可能性は、ゼロなわけがない。

ホントなら、99%、それだけで済んでいた。

終電乗って家に帰って寝るだけである。

 

しかし、たまたま、風俗紹介所のオジサンが、元旦営業で頑張っていて、当たり前の話だが、注意してきた。

「スンマセン」と謝って、逃げれば、良かった。それだけの話だった。

 

それが、相手はおっさん1人、こっちは2人。

酒で気が大きくなって、ダチの前でカッコ悪いところは見せられない、そして、バカな、本当にバカな見栄を張る。

そして、たまたま、オジサンは心臓に持病を持っていた。

 

オジサンは、200%いや10000%悪くない。悪いのは、2人組である。

 

しかしだ。・・・人間の運命ってのは一体何なんだろう?

 

このニュースで、悪酔い2人組を「人殺し!」「重罰に処せ!」などとクソミソに叩いてる人がいる。

申し訳ないが、私は、そういう正義のカタマリみたいな人と、友人になることはおそらくできないと思う。

「オレは特別」「奴らは特殊」と思ってる人間こそが、他人と同じバカをする。

 

こういう事件で、それでもなお、平気で他人の罪を叩く人が、徒党を組んで、酒を飲んだら、かなりの確率で、

「ゴミ出しの日を守ってねえーぞ!」と言いながらゴミ袋を蹴るし、

「オレをダレだと思ってるんだ?」と言いながら相手の胸ぐらをつかむ、

と思うからだ。

私は、その場にいたくない。だから、友人にはなれない。

 

私ソックリの、私の身代わりの、新橋の2人組に、私から言えることは、ほとんどない。

 

かろうじて、言えるとすれば、

焼肉でも、寿司でも、有り金はたいて、今日中に、好物を腹一杯食うこと。

ただし、好きかもしれないが、酒だけはもう止めた方がいい。これから一生。

親や奥さんや恋人には、ちゃんと謝ること。

そして、2人そろって、最寄りの警察署に行くことだ。

それしか言えないし、おそらく、それしかないと思う。

 

あ、これから反省と贖罪の日々が待っている、なんてウス甘い考えは捨てた方がいいだろう。 そんなカッコイイもんじゃない。

この2人組に待っている未来は、反省ではなく後悔と自己憐憫の、贖罪ではなく責任転嫁と自己正当化の、長い長い夜である。

 

そして、一番大事なことが最後になったが、被害者の冥福を心からお祈り申し上げたい。それ以上言える言葉を私は持たない。

 

私は、本当に、幸福な男である。神か、仏か、知らないが、感謝しかない。

 

あけまして、おめでそう、ございます。

本年も、皆様にとって、良い年でありますように。