在日琉球人の王政復古日記

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《新左翼映画列伝》東映 #女囚さそり #田村正和 VS《反左翼映画列伝》大映 #眠狂四郎 #市川雷蔵


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予告編「女囚さそり 701号怨み節」 1973年

 

田村正和主演『眠狂四郎』約半世紀ぶり復活「大事な作品」 (オリコン) - Yahoo!ニュース

2017/6/2(金)
 俳優の田村正和(73)が、フジテレビ系ドラマスペシャル『眠狂四郎 The Final』(放送日未定)に主演することがわかった。1956年から『週刊新潮』で連載がスタートした柴田錬三郎氏の豪剣小説をもとに、72年~73年に連続ドラマで主人公・眠狂四郎を演じた田村が、フジテレビ系の制作では、約半世紀ぶりに同役に挑むこととなった。

 

不思議な俳優さんである。

 

血筋・血統は文句なし。日本一の時代劇映画役者・阪東妻三郎の御曹司。 

顔も、御存じの通り、折り紙付きのイケメン。

演技力も普通にあるし、主役を張れるだけの色気もスタア性もある。

テレビには恵まれ、古畑任三郎みたいな当たり役もある。

デビューも、日本映画がまだまだ元気だった時代。

 

しかし、なぜなんだか、どうしてなんだか、映画に恵まれなかった人なのだ。

これだけネームバリューがあるのに、親父さんの代からの映画業界の人なのに、なんと、映画の代表作が1本も無い。

 

テレビドラマのファンは古畑任三郎をはじめとしてたくさんいるだろうが、じゃあ「田村正和の映画」と言われると、田村正和ファンも言葉に詰まるのではないか?

まさか「ラストラブ」を出すのは勇気がいるだろうし(笑)。

 

彼が出演した数少ない映画で、私の守備範囲で言えば、やはり東映「女囚さそり701号怨み節」(1973年)だろう。

 

主演・梶芽衣子、ワキに田村正和細川俊之のダブル・イケメン、という贅沢なキャスティング。

梶芽衣子は警官殺しと脱獄を繰り返す死刑囚。

細川俊之は拷問が当たり前の公安上がりの陰湿な鬼警部。

田村正和新左翼過激派崩れの落ちぶれ果てたヌード小屋の証明係。

 

もう時代てんこ盛りの反体制左翼映画である(笑)。

 

平成の皆さんは、左翼映画と言われると、「正義の左翼がカッコよく活躍して、悪い悪い保守を叩きのめす」みたいな映画をイメージするかもしれないが、70年代の「女囚さそり」あたりになると全然違う。出てくる左翼は基本的に負け犬犯罪者なのだ。

 

もちろん、1950、60年代の左翼映画ならば、出てくる左翼は、社会正義に燃え、社会の不正を正し、政治の腐敗に怒る「善人」である。

 

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しかし70年代となると、出てくる左翼は、挫折した落伍者、負け犬、犯罪者ばかりになる。

日本の左翼は一度も政治権力を握っていない。つまりずっと反体制だ。反逆=左翼なのだ。つまり社会秩序の破壊=犯罪こそ「左翼である証明」になる。

だからこそ、同じ反体制犯罪者であるヤクザ映画に、アウトロー映画に、左翼青年たちは熱狂したのだ。

 

70年代。戦後高度経済成長も終わるが、安保闘争も左翼側の全面敗北に終わる。

中核派VS革マル派内ゲバは、全国に死体をまき散らしながら熾烈を極め、

1972年、連合赤軍あさま山荘事件、リンチ大量殺人事件。

1973年、日本赤軍日航よど号ハイジャック事件

1974年、東アジア反日武装戦線三菱重工爆破殺人事件。

左翼革命思想が最期の断末魔を迎えた時代。

 

この内、東アジア反日武装戦線の「さそり」グループは、ほぼ間違いなく東映映画「女囚さそり」からのネーミングであろう。

東映ピンキーバイオレンス映画が、現実のテロ組織に影響を与えたのだ。

 

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政治の季節は確実に終わった。負け犬左翼青年たちは、東映の小汚い映画館で、女囚さそりの歌う「恨み節」に涙したのである(笑)←笑うな(笑)。

 


梶 芽衣子 - 怨み節 (1973) MEIKO KAJI - URAMI BUSHI

 

敵役のイケメン細川俊之は、女囚さそり=梶芽衣子を冷酷非情・陰惨無比に痛ぶる、蛇のような鬼警部で、最後の最後の死刑台の対決は、物理法則を超えたアクロバティックなクライマックスを迎える。おそらく左翼最後の怨念が物理法則をネジ曲げたのだ(笑)。

 

ワキの過激派崩れ田村正和は、死刑囚・梶芽衣子と反体制的同志愛に結ばれるのだが、細川俊之のおチンチン熱湯風呂拷問と母親の泣き落としで、とうとう梶芽衣子を裏切り、因果応報、悲惨な最期を迎える。 

 

男は、体制側も反体制側も、どいつもこいつも、クズ。

女一人が、男に頼らず、公共性皆無の、極私的復讐を遂げていく。

「資本VS労働」の左翼が死に絶えた荒野に咲いたのが、

「男VS女」のフェミニズム映画(ただし東映ボンクラ・テイスト)だった。

 

敗北者は、最後に裏切り、惨めに死ぬ。

70年代左翼映画は、左翼の勝利ではなく、左翼の敗北を描く、葬送曲なのだ。

葬送され、埋葬された後、80年代以降、もう左翼映画は作られなくなる。

時代は、キャピタリズム革命=狂乱バブル経済に向かって雪崩れ込んでいく。

 

さて、眠狂四郎となれば、失礼ながら、田村正和よりは、何といっても、大映市川雷蔵である。

 


『眠狂四郎女妖剣』(Sleepy Eyes of Death Sword of Seduction)(1964)予告編

 

田村正和以外の役者さんに古畑任三郎を演じさせても、ファンの皆さんが納得いかないように、

市川雷蔵以外の役者さんに眠狂四郎を演じさせても、時代劇映画好きはなかなか納得できないのだ。

  

大映眠狂四郎」シリーズは1960年代。「女囚さそり」の10年前。

60年安保の全学連は敗北したが、次の70年安保は負けない!

スクリーンの外では、左翼がまだまだ元気だった時代だ。

少なくとも、1966年「眠狂四郎無頼剣」、1967年「眠狂四郎無頼控魔性の肌」は、間違いなく時代の空気に影響された2本だと思う。

 

しかし左翼映画ではない。反対の、反左翼映画・左翼批判映画なのだ。

 

眠狂四郎無頼剣」は、新東宝から大映に来た天知茂が敵役。

ヒル眠狂四郎VSニヒル天知茂のニヒル日本一決定戦である。

 

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この映画、時代劇映画としての出来は素晴らしいのだが、眠狂四郎ファン・雷蔵ファンからすると、眠狂四郎のキャラ造形に致命的欠陥のある映画でもある。

古畑任三郎が「吐け、この野郎!」と言いながら犯人を殴ることがないように(笑)、本来の眠狂四郎はどんな権力者にも頭を下げないニヒル・孤高・無頼の徒のはずなのだが、この映画では簡単に他人に頭を下げたりするのだ。こんなの狂四郎じゃない!と不満が出る演出である。

 

それを除けば、雷蔵狂四郎と互角に渡り合う愛染@天知茂の対決は素晴らしい。

 

この愛染@天知茂は、大阪で反乱を起こした大塩平八郎の門下生。

師匠の大塩を殺した幕府への恨みを晴らすため、大江戸八百八町を火の海にする大規模テロを計画する。

雷蔵狂四郎は「おのれの理想や正義のために、無関係な江戸町民を巻き込むな!」と、テロ阻止に立ち上がる。

これは、どう見ても、その当時、映画館の外で行われていた、新左翼学生運動への批判である。

 

眠狂四郎無頼控魔性の肌」の敵役は、東映仁義なき戦い」や日本テレビ松田優作探偵物語」でご存知(御存じでない人は放置)成田三樹夫

 

成田三樹夫は、マリア像を巡って幕府と渡り合う、隠れ切支丹の秘密結社・黒指党の首領。これも新左翼団体のオマージュだろう。

 

映画は、時代劇であっても、エンタメであっても、いや娯楽時代劇だからこそ、アウトローアクションだからこそ、時代を映す。

大映眠狂四郎」も、東映「女囚さそり」も、時代の産物なのである。

 

いかにも中核派。革命的ユーチューバー(笑)「前進チャンネル - YouTube」~「ヤンキー #中核派 VSオタク #革マル派 」その2 - 在日琉球人の王政復古日記