在日琉球人の王政復古日記

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《在日コリアン映画列伝》 #井筒和幸 生涯最高傑作「パッチギ!」VS大失敗作「LOVE&PEACE」(難病編)


パッチギ(予告編)

 


映画「パッチギ! LOVE & PEACE」(監督:井筒和幸/公開0705)予告編

 

もともと、作品ごとに出来・不出来の激しい監督ではあるが、同じ監督の、第1作とその続編とは思えないほど、落差があり過ぎる。

 

第1作「パッチギ!」(2005年)は、大傑作だ。

しかし、続編パッチギ!LOVE&PEACE」(2007年)は大失敗作である。

 

誤解の無いように、最初に言っておくが、続編「パッチギ!LOVE&PEACE」の役者さんたちが悪いのではない。

主演の井坂俊哉も「あの傑作の続編ならば、自分のキャリアを上げるチャンスだ!」と意気込んだと思う。

ヒロインで在日韓国人中村ゆりも「これは私のための映画だ!」と頑張ったと思う。

しかし、あの出来じゃ、彼ら彼女らの頑張りが可哀想である。

 

全部、監督の井筒和幸、そしてプロデューサーの李鳳宇が悪い。

 

第1作「パッチギ!」(2005年)は、ひたすら面白い映画を作ろうとして誕生した、映画職人・井筒和幸の実力以上(笑)が出てしまった傑作だ。

 

しかし、続編パッチギ!LOVE&PEACE」(2007年)は、最初から、自分の政治的主張を訴える、政敵・石原慎太郎を批判する、という左翼思想家井筒和幸卑しい「スケベ根性」から出発している。ロクな映画になるわけがない。

 

ただし、映画としては傑作なんだが、「パッチギ!」は呪われている(笑)。

沢尻エリカ塩谷瞬、高岡奏輔、そして、

 

小出恵介さんが活動停止 未成年と飲酒との週刊誌報道 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

2017/6/8(木)
 俳優の小出恵介さん(33)を無期限活動停止とすると、所属事務所のアミューズが8日、発表した。9日発売の週刊誌で未成年と飲酒し性行為に及んでいたと報道されるという。 

 

何の因果か、「パッチギ!」の主要キャストは、次から次へとスキャンダルを引き起こして、キャリアを台無しにしていく。

桐谷健太真木よう子あたりは、一度、お祓いをしてもらった方がいい(笑)。 

 

※追記

なんと、真木よう子まで呪いが直撃したようだ(笑)。

 

真木よう子 現場騒然「セシルのもくろみ」打ち上げで失踪騒動 (女性自身) - Yahoo!ニュース

2017/9/13(水)
9月4日、フジテレビ湾岸スタジオ内でドラマ『セシルのもくろみ』(フジテレビ系)の打ち上げが行われた。
スタートから何かと話題を呼んでいたこのドラマ。主演の真木よう子(34)が6月28日にツイッターを開設すると、ドラマ開始直前の7月11日に“土下座動画”を投稿。必死のPRは話題を呼んだが、初回視聴率は5.1%と惨敗だった。その後も低迷は続き、9月7日に放送された最終回は4.3%。一度も6%台に届かないまま幕を閉じた。
また8月25日に真木が“コミックマーケットでフォトマガジンを販売する”と宣言して資金集めを始めたところ、批判が殺到。出展を撤回して謝罪し、29日にはツイッターアカウントも削除。同日行われる予定だったドラマ撮影をドタキャンしたとの報道も出ていた。

 

残った桐谷健太ケンドーコバヤシは、今すぐ神社かお寺で厄払いである。

 

さて、「パッチギ!」は、

島田紳助主演「ガキ帝国」(1981年)、ナインティナイン主演岸和田少年愚連隊」(1996年)など「悪ガキ映画」の系譜と、

「のど自慢」(1999年)、「ゲロッパ!」(2003年)など「音楽映画」の系譜、

2つの流れを融合した、井筒映画の集大成である。

おそらくは井筒和幸の生涯最高傑作だ。今後もこれ以上は無理だと思う(笑)。

 

ズバリ「パッチギ!」は井筒和幸の「ゴッドファーザー」であり、

つまり「パッチギ!LOVE&PEACE」はゴッドファーザーPART2」なのだ。

 

LOVE&PEACE」の、「子供たち世代のその後の人生」と「親世代の秘話」が同時並行して描かれる構成は、「ゴッドファーザーPART2」の丸パクリである。

 

そして「LOVE&PEACE」はハッキリ駄作である。

しかも、その原因が、監督の実力のせいではなく、「心底くだらない、避けようと思えば、避けることができた」理由だけに腹立たしい。

 

そしてLOVE&PEACE」の失敗が、さかのぼって傑作「パッチギ!」の価値まで下げている。

「パッチギ!」の最後、淡く瑞々しい恋愛に結ばれた、塩谷瞬演じる松山康介と沢尻エリカ演じるリ・キョンジャの2人は、続編のLOVE&PEACE」では、まるで無かったかのように、バッサリ切られている。

キョンジャの東京引っ越しを機にすぐに別れた設定のようだ。康介の恋愛感情はそんな軽いモノだったのか? 

「LOVE&PEACE」のせいで、「パッチギ!」の感動がウソにされている。あの若い2人の恋愛に感動した観客の気持ちは完全に無視されている。

 

実は、「パッチギ!」に語るべき部分はあまりない。

出来が良い映画には「見たら解るので、解説は要らない」というタイプがある。

しかし「LOVE&PEACE」はダメなだけに、逆に語るべきことが多い。

 

LOVE&PEACE」は、大きく3つの部分に分かれる。

A.主人公アンソンと息子チャンスの難病ネタ

B.アンソンの父・ジンソンの戦争ネタ

C.アンソンの妹・キョンジャの芸能ネタ

で、この3つともが問題を抱えている。

 

主人公アンソンと息子チャンスの難病ネタ

 

いきなり核心を突くが(笑)、LOVE&PEACE」は主人公が在日朝鮮人であるべき必然性が、実は「何も無い」。

 

「パッチギ!」は違う。

こっちは、登場人物が在日朝鮮人でなければならない理由がちゃんとある。

それは「この日本で生きていくか?」「(二度と戻れないが)北朝鮮へ帰るか?」の選択である。

 

1960年代の関西には、マイノリティとして、在日朝鮮人だけでなく、被差別部落もいたし、われわれ琉球人もいた。

しかし、被差別部落琉球人が主人公では、この映画は成立しない。

被差別部落は、ここが、この日本が故郷だ。他に帰るべき故郷なんかない。

琉球人は、遠い南に帰るべき故郷は持っているが、別に二度と戻って来れないわけではない。当時はパスポートが必要だったが(笑)、行く船も戻る船も毎日のように出航する。

しかし、在日朝鮮人だけは、戻ったら最後、帰って来れない。一生に一度の、やり直しのきかない選択に迫られたのである。

その緊張感が「パッチギ!」のバックボーンにある。

 

しかし、1970年代の東京に住む「LOVE&PEACE」の在日朝鮮人は、もうすでに故郷へ帰るつもりなんかない。

北朝鮮の真実」を知ってしまっている時代だからだ。もはや「帰るか?帰らないか?」という在日朝鮮人にしかなかった緊張感はない。

 

だから「LOVE&PEACE」の話の推進力は、民族問題と全く関係ない別の話、主人公アンソンの息子チャンスの難病・筋ジストロフィーが「治せるか?治せないか?」である。

しかし、この話に彼ら親子が在日朝鮮人である必要性はどこにもない。

 

筋ジストロフィー」は、朝鮮人特有の病気ではない。差別で引き起こされる病気でもない。貧困が原因で発症する病気でもない。
筋ジストロフィーは、朝鮮人だろうが、日本人だろうが、琉球人だろうが、無差別に発生する病気であり、金持ちだろうが、貧乏人だろうが、どんな高度な治療を受けようが、1970年代でも、現在でも、医学的に治療不能の不治の病だ。

だから息子が筋ジストロフィーになれば、仮に日本人家庭でも映画は成立するし、たとえ大富豪の一族でも同じ悲劇と同じ結末が待っている。彼らがあえて在日朝鮮人である設定の必要はどこにもない。

 

もちろん、息子の病気が筋ジストロフィーではなく、「差別された在日朝鮮人」ゆえに起こるような病気ならば、映画に必然性はでてくる。 

貧困による栄養失調で結核になるとか、

劣悪な居住環境から公害病ぜんそくになるとか、

外国籍のせいで日本人並みの医療サービスを受けられなくて病状が悪化するとか、

それならば在日朝鮮人の映画として成立するだろう。

しかし、この映画の中では、病院内で在日朝鮮人だからという理由で差別なんか何も受けていない。日本人と同じような治療を受けて、でも筋ジストロフィーは民族の差別なく治癒できません、というだけの話である。 

 

じゃあ、なんで、「筋ジストロフィー」なんていう、朝鮮に何の関係もない、差別にも、貧困にも、格差にも関係ない、無関係な病気に設定したのか?
それは、シネカノンのプロデューサー李鳳宇の実話だからだ。なんでも李鳳宇の兄が筋ジストロフィーで死んだらしい。

でも、それは、たまたま李鳳宇一家だけの特殊事情であって、在日朝鮮人に普遍的な事情でもなんでもない。

 

この、差別・貧困・民族には何の関係も無い病気のために奮闘する主人公が在日朝鮮人でなければならない理由は何もない。

主人公と息子の難病ネタの部分は、仮に主人公が日本人でも、映画として普通に成立するのだ。

 

そして、難病ネタにするために、主人公を息子を抱えるような成人男性にしてしまったせいで、前作「パッチギ!」の見せ場だったヤンキー喧嘩アクションが、全く生かせなくなった。

難病の子供を抱えた父親は、バカなケンカなんかしているヒマはないからだ。

しかし、エンタメ映画としてはアクションシーンが必要なので、「LOVE&PEACE」でも、東京朝鮮学校と国土舘(コクドカン)大学応援団が派手なケンカをするが、このケンカ、話の本筋とは全く関係が無い。

ケンカのシーンをバッサリ削っても、話は全く影響なく成立する。つまり「とってつけただけの余計な無駄」なのである。

 

怪獣映画で特撮シーンがウンコなら、他の部分が頑張ってもダメなように、

喧嘩シーンが売りの映画で、喧嘩シーンが死んでしまっては、映画としてダメである。

 

長いので、

《在日コリアン映画列伝》 #井筒和幸 生涯最高傑作「パッチギ!」の呪い(笑) #小出恵介 VS大失敗作「LOVE&PEACE」戦争編。 - 在日琉球人の王政復古日記

へ続く。