万引き捜査の署員、中学生に「少年院ぶちこむ」 (読売新聞) - Yahoo!ニュース
2017/8/10(木)
警視庁高井戸署員が2015年12月、万引き事件の捜査で、当時中学生の少年2人に対し、「認めないと逮捕するぞ」などの暴言を吐いていたことがわかった。
同庁は、署員2人を注意処分とし、少年の両親に謝罪した。
少年から申し立てを受けた東京弁護士会は10日、人権侵害があったとして、高井戸署に警告した。
同庁幹部によると、15年12月、スーパーで起きた万引きで、同署の警部補と巡査部長が、同級生に万引きを強要した疑いがあるとして、中学生の少年2人を任意で取り調べた。
少年らは事件への関与を否定したが、警部補らは黙秘権を告知せず、「高校に行けなくしてやる」「鑑別でも少年院でもぶちこむしかない」などと強い口調で迫ったという。少年の1人が取り調べをICレコーダーで録音していた。最終的に、少年らの万引きへの関与は認められなかったという。
予断と偏見。
これは、良くないことである。ハッキリ間違いだ。
しかし、我々は、予断と偏見なしには、外部の情報を受け取ることはできない。
イレズミだらけの悪羅悪羅系ファッションのお兄さんが集団で歩いていたら、私はその道を避ける。
これは予断と偏見である。
お兄さんたちだって本当は優しい性格かもしれない。外見で判断するのは間違いだ。
しかし、とりあえず最初は、第一歩は、今まで蓄積してきた経験と情報に照らし合わせて、予断と偏見で判断する。自分の安全が最優先だからだ。
そのうえで、もし、悪羅悪羅兄さんたちが優しい性格だったと判明したら、「あなた達を外見で判断して、偏狭な私が悪かった」と、心の中で詫びる。
ニュースも同じで、「誰かが死んで、警察は会社の上司を逮捕した」という内容を読めば、私は、殺人事件なんだな、容疑者が逮捕されたんだな、と、とりあえず、判断する。
しかし、これも予断と偏見である。
だって、真実は、警察の誤認逮捕かもしれない。被害者の家族が殺したのかもしれない。いやいや死亡原因は殺人ではなく、自殺か事故死かもしれない。そもそもニュース自体が間違いで、誰も死んでいないのかもしれない。
しかし、そこまで疑い出したら、私は、外部情報を何も判断できなくなる。
人間は原理的に予断と偏見を排除できない。厳密に言えばそれは悪だ。
しかし「私の判断は常に予断と偏見だ。だから常に新しい情報を補充して吟味して結論を変更する準備をしておこう」という態度が、避けられない予断と偏見の悪をなんとか軽減する。
始末に負えない悪=馬鹿は、「予断と偏見で判断する」ことではなく、「私だけは予断と偏見を排除できている。だから判断は変えない」という思い込みだ。
こういうタイプの人間は、往々にして、通常よりも悪質な予断と偏見のカタマリであることが多い(笑)。
というわけで、万引き?容疑の少年と脅迫?容疑の警官のニュースである。
この事件は、少年が悪いのか?警官が悪いのか?それとも彼ら以外の誰かが悪いのか?
「他の少年に万引きを強要した疑いで、少年が警察の事情聴取を受けた」
これだけのニュースならば、私は、悪羅悪羅兄さんの場合と同じパターンで判断するだろう。
とりあえず最初は、第一歩は、「万引きだけでも悪いことなのに、他人に犯罪を強要するなんて、自分で万引きするより下劣だな」という予断と偏見を持つ。
そのうえで、
A.本当に万引き強要した下劣の悪ガキを、警察が取り調べた。
B.本当は強要なんかしてない無実の少年を、警察が取り調べた。
という、大きく2つの可能性を考える。
C.このニュース自体が新聞のウソで、実際にはそんな事件はなかった。
とはさすがに考えない。
Cを想定しないのも予断と偏見であるが、この場合、私は自分の常識と経験を優先する。
しかし、今回は「警官が取り調べで脅迫した」らしい。
こうなると、さらに複雑で、
D.ヤクザな無法警官が、万引き強要の悪ガキを、違法に脅迫した。
E.ヤクザな無法警官が、無実の少年を、違法に脅迫した。
F.マジメな順法警官が、万引き強要の悪ガキを、普通に取り調べただけなのに、「脅迫した」という誤解が生じた。
G.マジメな順法警官が、無実の少年を、普通に取り調べただけなのに、「脅迫した」という誤解が生じた。
の4パターンくらいに増える。
今回、警察上層部が謝罪しているので、FとGの可能性は、とりあえず、排除する。
ただし、あくまでも、とりあえず、だ。警察上層部の判断が間違ってる可能性も常にあるからだ。
しかし、それを言い出せば、Cと同じで、私はこの事件を全く判断できなくなる。
となれば、DとEである。
さて、ここで、Dが正しいのか?Eが正しいのか?は、当事者には唯一にして最重要の問題だろうが、申し訳ないが、私は、事件の真相が具体的にどっちなのか?という話からは、ちょっと離れて考える。
まず、
E.ヤクザな無法警官が、無実の少年を、違法に脅迫した。
これで、少年が悪い、警官は悪くない、という人は、さすがにいないだろう。
となれば、残るはDである。
D.ヤクザな無法警官が、万引き強要の悪ガキを、違法に脅迫した。
はたして、万引き強要の悪ガキが悪いのか? ヤクザな無法警官が悪いのか?
どっちがより大きな悪なのか?
そして、一番問題なのは、警官や少年にとって、ではなく、
この事件の真相から離れて、これを読んでる、そこのあなたと、これを書いてる、この私にとって、一番問題なのは、このDなのだ。
Dに対して、2つの考え方がある。
H.品性下劣な卑怯者の悪ガキを懲らしめるためなら、警官が多少の荒っぽい取り調べをしてもしょうがない。いや脅迫してでも罪を暴いて、悪ガキを少年院に放り込むべきだ。
I.たとえ品性下劣な卑怯者の悪ガキが相手だろうが、警官が法律の精神を無視して、違法な取り調べをしてはならない。
Hか?Iか?
あなたが、そして私が、はたして、近代人なのか?、
または、前近代人=土人=百姓なのか?、の分かれ道だ。
言うまでもなく、Iが近代法体系の基礎となる近代思想である。Iが正しいと思った人は近代人だ。欧米先進国標準のモダーンである。
Hが正義だと思う人は、近代法体系を受容していない、できていない、前近代人=土人=百姓である。
敵部族の生首を石造りの魔人像に供えて輪になって踊る、熱帯ジャングルの首狩り族と知的水準、精神構造は同じである。
悪ガキの万引きと、非番警官の万引きに、どっちが「より悪い」はない。同等の犯罪である。
しかし、悪ガキの万引きと、公務の警官の公権力を背景にした違法行為は、悪のレベル、罪の次元が異なる。
悪ガキの万引きより、無法警官の脅迫の方が、はるかに悪である。万引きどころか、人殺しよりも、無法警官の脅迫の方が、はるかに悪である。
これがI=近代思想である。
悪ガキの万引き10回より、警官の脅迫1回の方が、犯罪性が高い。
たとえ、殺人犯を10人見逃しても、冤罪者だけは1人も出さない。
人殺しの暴走より、国家権力の暴走の方が、はるかに危険で恐ろしい。
これがI=近代思想である。
たとえホンモノの人殺しであろうが、警察が黙秘権を告知せずに脅迫してゲロさせた場合、裁判所は違法捜査を理由に人殺しを無罪放免する。
何も悪くないのに、被害者は泣き寝入りだ。
I=近代思想は冷たい。冷静、冷酷、冷血である。
I=近代思想は、怒りや悲しみや憤り、人間の素朴な感情に反する。
それは当たり前で、そもそもI=近代思想は、人間の感情を排除するために設計されている思想なのである。
人間の「感情」ではなく、理性の「勘定」を優先する。それが近代だ。
そして誤解を受けないように言えば、こういうI=近代思想が絶対に正しい!と言ってるのではない。
I=近代思想もしょせんは単なるイデオロギーに過ぎない。I=近代思想が根本的に間違っているのかもしれない。
しかし、I=近代思想に納得できないんだから、そういう人は、たとえ正しかろうが、近代人ではありえない。「正しい土人」であり、「正義の百姓」である、というだけの話だ。
麻薬密売人が悪党だから、取り調べなんか不要。問答無用で殺していい。
麻薬密売人を10人殺せるなら、何の関係もなかった無実な人間を1人くらい間違って殺しても、しょうがない。
フィリピンのドゥテルテ大統領は完全なるH=前近代思想の持ち主である。
だから、ドゥテルテさんの犯罪対策(と呼べるのか?)は、I=近代思想的には、全く許されない。
日本は近代先進国のはずなのだが、
取り調べで脅迫する警官より、万引きする悪ガキに、ムカムカする。
無実な人間を殺すドゥテルテさんのムチャクチャに、スカッとする。
国家権力の危険性や、人間の生き死にを、気持ちイイ/ワルイの感情で判断する、百姓まる出しの日本人も、少なくないのが実情である。
韓国「慰安婦合意VS国民情緒法」=日本「東京裁判VS愛国保守」~近代の損得勘定、前近代=土人=百姓の正義感情。 - 在日琉球人の王政復古日記