在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

デタラメ放題 #八幡和郎 ~立憲民主主義(民主制)VS立憲君主制VS専制君主制VS専制民主主義(ファシズム、ポピュリズム)

立憲民主主義とは選挙の結果がすべてという思想だ – アゴラ

八幡和郎
2017年10月25日
立憲民主党という党ができて、立憲主義が話題になっているが、彼らは日本近代政治における立憲主義の意味を知らないらしい。

(略)

そういう意味で、立憲民主主義とは、選挙で誰が過半数を占めたか、それが実現しておなければ、どこが第一党かを尊重するということなのである。
一般的な人気、声の大きい人の意見、アンケートなどによる調査、得票率などといった意見集約方法の結果でなく、唯一、国会の議席の数、とくに過半数を制しているかどうかをもって国民の意思とすることこそ、立憲民主主義なのだ。
日本のマスメディアは、選挙の前から、自公が過半数をとっても議席数が減ったら首相は変われとか、選挙では勝ったかもしれないが、内閣支持率は賛否拮抗している、得票数では半分に達していない、棄権も含めて考えれば有権者の半分をはるかに下回る割合しか与党を支持していないから、内閣が信任されたとはいえず、公約を実施に移すべきでないと言いたい放題だ。
しかし、立憲民主主義とは、そう言う屁理屈をいっさい排して、総選挙の結果をもって国民の意思とし、第一党の党首を首相とし、しばらくは、代えず、公約は実行に移すべきだということなのであり、マスコミや一部野党の変な雑音を排除することこそ護憲であろう。 

 

八幡和郎さんという人はあんまりよく知らない。

蓮舫たんの二重国籍問題で一山当てようと頑張ってたのは読んだけど、蓮舫たんが辞任すると騒動も収束し、あんまり長期間は儲けられなかったようで残念だった。

 

アゴラというところも、執筆陣が玉石混交で、八幡和郎さんをはじめとして、

簡単に書けば、要は「自民党支持」「安倍ちゃん支持」と一言で済むだけの単純な好き嫌いを、長々とハッタリかましジャーゴンで書くだけの藤原かずえさんや、

ひょっとしたら朝日新聞の入社試験に落ちた過去でもあるのか?と思わせる新田哲史さんなど、

池田信夫さんがまだマシな部類、という採石場並みの石ころのオンパレードに、あんまり近づかなくなって久しい。

 

で、yahooにまでご登場で、ウッカリ久々に読んだのだが、なんだこりゃ?

 

「立憲民主主義とは選挙の結果がすべてという思想だ」???

そんなもん「立憲民主主義」ではない。立憲ヌキの単なる「民主主義」だ。

 

選挙で第一党になったらフリーハンドで何をやってもいい。

それは、単なる「民主主義」であり、ヒトラーナチス・ドイツであり、習近平さんの中華人民共和国だ。

ヒトラーは、突撃隊の暴力で票をかき集めて選挙に勝った。勝ちは勝ちだ。

習近平さんは、共産党の生殺与奪の圧力で人民の代表たちを脅して、党と国家の承認を受ける。勝ちは勝ちだ。

「選挙の結果がすべてという思想だ」が正しいのなら、どんな手段でも、暴力でもペテンでも詐欺でもウソでも、勝ったから何をやってもイイのである。

 

それはダメだろう、選挙違反だし、そもそも選挙のシステムがインチキだ、という反論の根拠が、「法」である。

ここでいう「法」とは、国会で作ってる「法」ではなく、

それらの法の背後にある「法」、コモン・ロー≒自然法≒神の法だ。

 

ヒトラーは、ドイツ国民の票を集めて、選挙に勝ったから、何をやってもいい、ということで、ユダヤ人の財産を強奪し、丸裸にしてガス室に送り始めた。

八幡和郎さんの民主主義の定義「選挙の結果がすべてという思想だ」ならば、ヒトラーは正しい。

反対派も、国際世論も、選挙で勝ってないのに、ユダヤ人虐殺を止めてはいけない。止める権利はない。

 

しかし、法の背後の法=コモン・ローはそういうことを認めない。

いくら多数決だからって、51%の多数派が49%の少数派を殺してはいけない。

それはコモン・ローに反するので、いくら国民の過半数の意思でも認められない。

 

その、法の背後の法=コモン・ロー=書かれていない法を、実際に紙に書いた文章が「憲法」ということになる。これが「立憲」だ。

  

八幡和郎さんの「選挙の結果がすべてという思想だ」とは全く正反対に、「民主主義」の暴走を憲法で制限する。それが本来の意味の「立憲民主主義」である。

 

だから、憲法は、内容を問わずとにかく書いてしまえば憲法として成立する、わけではない。

内容がコモン・ローに反していれば、憲法と名乗っても、憲法ではないのだ。

もちろん現実社会では、暴力を背景に、コモン・ローに反するインチキ文書が憲法としてまかり通っている。

中華人民共和国だって憲法はある。コモン・ローに照らせば憲法とは呼べない内容だが、共産党の暴力で無理矢理通用させているわけだ。

 

国民の多数決はユダヤ人を殺したい。しかし、憲法はそんな殺人を認めない。

だからこそ、ヒトラーや大陸支那みたいなインチキ憲法ではなく、限界はあっても、ある程度コモン・ローに準じた憲法を必要とするのである。

 

勝ったら何でもOK、ではない。コモン・ロー≒憲法が制限する。それを「法の支配(rule of law)」と呼ぶ。

 

対して、ルールに従っている限り、何をやってもOK。八幡和郎さんやヒトラーのスタンスを「法治主義(rule by law)」と呼ぶ。

 

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コモン・ロー、法の支配は、孔子儒教で言えば「天(規範)」「礼(システム)」「孝(歴史的慣習)」「仁(倫理)」にかなり近い。

実定法、法治主義は「ルールを決めたんだからとにかく守れ」、こっちは支那文明で言えば、韓非子である。

 

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さて、「民主主義」の反対は何か? 「君主主義(君主制)」だ。

 

君主制とは王様の意思がすべてという思想だ。

選挙の多数決ではなく、王様一人がなんでも決めていい。

気に入らない臣下は気分次第で殺す。気に入った女性は他人の妻でも強姦する。

それはダメだろう。なぜダメか? 王様の気まぐれは、王から乞食まで万人が従うべき神の法=コモン・ローに反するからだ。

いくら王様でもやって良いことと悪いことがある。王権もまた制限を受ける。あらかじめ文書に書いて、王様も臣下も合意形成する。

 

「民主主義」の暴走を憲法で制限する、それが「立憲民主主義」である、

のと同じく、 

「君主主義(君主制)」の暴走を憲法で制限する、それが「立憲君主主義(立憲君主制)」である。

 

じゃあ「立憲君主主義(立憲君主制)」の反対語は何か? 憲法の存在しない「専制君主主義(専制君主制)」である。

八幡和郎さんの「選挙の結果がすべてという思想だ」と同じ発想「王様の意思がすべてという思想だ」というのは、「専制君主主義(専制君主制)」の定義である。

 

逆に言えば、

「立憲民主主義」の反対語は何か? 憲法の存在しない、または憲法がインチキの「専制民主主義」である。

実例は、ナチス・ドイツや、お隣りの大陸支那というわけである。

 

八幡和郎さんの「選挙の結果がすべてという思想だ」は、「立憲民主主義」ではない。「専制民主主義」の定義なのだ。

選挙で勝ったら、人民の支持で革命に勝利したら(革命も、ある意味、一回こっきりの人民の意思確認=選挙である)、憲法の制限ナシに、何をやってもいい。

それが正しいと思ってる八幡和郎さんは「専制民主主義」の信奉者なのだ。毛沢東レーニンと趣味が合うのだろう。

 

そんなことは、総選挙期間に、この漫画家がちゃんと演説していた。

 

小林よしのり氏「枝野氏の方がもっと保守」絶叫応援 - 社会 : 日刊スポーツ

2017年10月14日
 立憲民主党は14日、東京・新宿で街頭演説会を開き、「保守」を自認する漫画家小林よしのり氏や「愛国者」を自認する元政治団体一水会」最高顧問の鈴木邦男氏も駆けつけた。
 小林氏は「なぜ保守のワシが枝野氏を応援するか。それは、希望の党自民党も保守じゃないからだ。枝野氏の方がもっと保守だ」と絶叫。「民主主義は暴走する。安倍(晋三首相)も一応民主主義で選ばれた。暴走をどう止めるか。立憲で防ぐんですよ」と訴えた。

 

八幡和郎さんが正しいのか? 小林よしのりが正しいのか? ではない。

どっちの体制も、過去の世界には存在していたし、今も存在している。

あなたが、どっちの体制の下で生活したいか?という選択なのだ。