2017年5月、NATO首脳会議「奥様たち」の集合写真。
髪の毛も、肌も、体の線も、完全武装。トルコのエルドアン大統領の奥さんエミネ女史(イスラム教徒で、当然、反同性愛者かつアンチ・フェミニスト)。
その後ろが、ルクセンブルクのグザビエ・ベッテル首相(男性)の「夫」ゴーティエ・デストネ(男性)。
イスラム保守派女性と同性愛者男性の集合写真。カオスの世界である(笑)。
「宮中晩餐会の同性パートナー出席、反対」自民・竹下氏 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
2017/11/23(木)
自民党の竹下亘総務会長は23日、天皇、皇后両陛下が国賓を迎えて開く宮中晩餐(ばんさん)会をめぐり、「(国賓の)パートナーが同性だった場合、私は(晩餐会への出席には)反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」と述べた。岐阜市内で開かれた党支部パーティーの講演で語った。
竹下氏は講演で、まず異性間の事実婚に言及。オランド前仏大統領が来日した際、事実婚相手の女性を宮中晩餐会に伴ったことについて、「奥さんではないパートナーだという女性が天皇、皇后両陛下と並んで座るわけだから、どう対応しようかと宮内庁は悩んだ」と指摘した。
そのうえで同性同士のケースに触れ、「そのパートナーが同性だった場合、どう対応するか。日本国として必ず近い将来、突きつけられる課題ではないか」と述べた。
すでに、つい昨日、突きつけられている。
ルクセンブルク大公招き、両陛下ご主催晩餐会 - 産経ニュース
2017.11.27
外交関係樹立90年に当たり、国賓として来日したルクセンブルクのアンリ大公を招き、天皇、皇后両陛下が主催される宮中晩餐(ばんさん)会が27日夜、皇居・宮殿で開かれた。皇太子ご夫妻をはじめ皇族方がご陪席。大公に同行する長女のアレクサンドラ王女も出席した。
今回は大公殿下だったが、殿下のお国の首相グザビエ・ベッテル(男性)は同性愛者であり、彼が来日したら、隣で微笑んでいるのは、ゴーティエ・デストネ(男性)なのだ。
日本の外務省は、河野太郎さんは、大公殿下に対して「殿下は異性愛者だから宮中晩餐会OKだったけれど、首相はホモだから宮中晩餐会NGね」と事前説明するのだろうか?
大使の同性パートナー、これまでも参加不可 宮中行事 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
2017/11/25(土)
同性パートナーが、天皇、皇后両陛下主催の宮中晩餐(ばんさん)会に出席するのは反対――という、自民党の竹下亘総務会長の発言に24日、反発が相次ぎ、竹下氏は反省を表明した。だが、これまでも駐日外国大使の同性パートナーは「配偶者」と認められず、宮中行事などに参加できなかった。
宮中行事などに参加できなかったのは、デンマークの前駐日大使のパートナーだ。2011~15年に赴任したアナス・カーステン・ダムスゴー前大使は同性婚をしていた。大使館関係者によると、異性の配偶者なら出席できる行事に、パートナーを同伴することはかなわなかったという。
外務省によると、大使などの同性パートナーは03年から、外交関係に関するウィーン条約の定める「外交官の家族」として対応している。ただ、日本は同性婚や同性パートナーシップといった制度がないため、「配偶者」とは認めず、「23歳未満の子ども」と同じ扱いにしている。このため、夫妻で招かれる天皇誕生日の祝賀レセプションなど、外務省主催行事で招待状を送っていない。
どうも、日本政府は、昔から、同性愛者を、拒否してたようだ。
よくも、まあ、問題にならなかったものだ。
今までは無事に済んでも、いつか問題が欧米に知られるだろう。
「ジャパンのエンペラーの同性愛への態度は、ロシアのプーチンや、イランの宗教指導者や、アフリカの独裁者や、東欧のネオナチや、イスラム国とよく似ている」
と世界に宣伝してくれる。竹下亘さんは素晴らしい尊皇家であり愛国者だ。
もちろん、世界には、同性愛を蛇蝎のように嫌い、目の敵にする人がいる。
日本にはあんまりいないが、キリスト教圏やイスラム圏には、ホンキで憎悪と殺意を抱えて、同性愛撲滅のために活動している人もいる。
キリスト教圏やイスラム圏の彼ら彼女らは、過激で、実際に事件を起こすから厄介ではあるが、心の底から真剣でホンキだからこそ、ある意味「罪」は軽いのかもしれない。思想信条の自由は誰にでもある。
しかし、竹下亘さんは、1日24時間のうち、いったい何時間くらい同性愛という事象を頭に浮かべてるだろうか?
汚らわしいホモの連中が、神国・日本にウヨウヨいるなんて我慢できない!見つけ次第皆殺しにしてやりたい!と日ごろから殺意を持っているのだろうか?
イヤ逆にそれなら「いい」のだ。ホンキならば、竹下亘さんを認めてもいい。しかし、おそらくそうではない。
おそらく竹下亘さんは同性愛なんか大して考えたこともない。
たまたま田舎の会合の演説で、話のネタに、なんとなく思いついて、なんとなく発言しただけの話だ。軽い気持ちなのである。
同性愛を、「私は、外交も、皇室も、マジメに考えてますよ」という売名の道具に使っているだけだ。だから、話のネタに出来るのなら、同性愛じゃなくても、何でもよかった。
だからこそ、逆に竹下亘さんは罪深い。
実は、竹下亘さんみたいなタイプが、一番愚かで、一番ウンコなのだ。
なぜなら「ホンキ」じゃないから。
ホンキじゃないからこそ、政治的、文化的、二重に国辱の売国奴である。
かなりリベラルなルクセンブルクのグザビエ・ベッテルだけではなく、
同性愛に批判的な保守的なカトリック国・アイルランドのレオ・バラッカー、
さらに理解がないだろう正教国・セルビアのアナ・ブルナビッチ、
男性も女性も、カミングアウトした同性愛者の政治家や外国首脳は増えている。.
じゃあ、彼ら彼女らが訪日したら、竹下亘さんは自民党政治家として、「オカマ野郎やレズ女を陛下に会わせるな!宮中晩餐会を開くな!」と、外務省や宮内庁に真剣にマジで抗議するのか?
欧米メディアが取り上げてくれて、安倍ちゃんも大喜びだろう(笑)。
「日本の伝統」というのなら、そもそも、日本は歴史的に同性愛に寛容な文化だったのだ。世界有数の同性愛天国だったといってもいい。
当時のインテリ朝鮮人が、日本のセックス文化に、ビックリしている。
日本は「女装」「オネエ」に寛容なだけで、「同性愛」に寛容なわけではない。 #LGBT - 在日琉球人の王政復古日記
「×慰安婦→○慰安夫」朝鮮通信使日韓同性愛論争~申維翰VS雨森芳洲「海游録」。 - 在日琉球人の王政復古日記
というか、そもそも、たかが150年前の明治から始まった宮中晩餐会のどこら辺が「日本の伝統」なのか?
それまでの日本の伝統では、外国使節が天皇に謁見するのを拒否してきたのだ。
江戸時代の朝鮮通信使や琉球謝恩使・慶賀使に応対したのは、徳川家の将軍であり、天皇は朝鮮人や琉球人をスルーしていたし、朝鮮人や琉球人の方でも天皇をスルーしていたのだ。
さらにさかのぼれば、中世には、異国人を京都に入れることすら嫌がった。足利将軍が明国使節と会うのを、公家たちは批判的だったのだ。
京都に入れなくても、平清盛が治天の君・後白河院を福原(今の神戸)に御幸願い、外交使節ですらない宋国商人に会わせたのを「天魔の所業」だと、当時の貴族たちは批判している。おそらく後白河院が天皇を退位した上皇法皇だからなんとか許されたのであり、現役の天皇だったら、貴族たちは大反対しただろう。
天皇が外国人に謁見した事例は、推古天皇の隋国使節くらいまでさかのぼる。ただし、隋国使節は「天皇に嫁さんがいた」と明記しているので、女性である推古天皇の実在性が怪しくなってしまうのだが(笑)。
百歩譲って、天皇が外国人と謁見するにしても、まず、その場に、皇后を臨席させることだけは、日本の伝統として絶対にあり得ない。
天皇だけでなく将軍でも大名でも高級武家クラスならば、家は「表」と「奥」に厳然と区別された。「表」は家長=夫=男の世界、「奥」は文字通り奥さん=女性の世界である。
外交や来客は「表」の管轄であり、女性は「表」に出てこない。大名が将軍に挨拶する大広間に、将軍の奥さんも、大名の奥さんも、同席はしない。男性客も「奥」には入れない。
もちろん男性客が奥さんの親兄弟なら、奥さんの方から非公式に「表」に出ることはあるかもしれないが、血縁者じゃなければ「奥」の女性は顔も見せてはいけないのだ。
「奥」の女性が、しかも皇后が、血縁もない他人、さらには外国人相手に、「表」にしゃしゃり出て、顔面マル出しで接待する、なんていう「天魔の所業」は、明治以降の話であり、日本の伝統ではない。
天皇どころか、将軍だって、そんなことはしない。徳川将軍が、朝鮮人や琉球人に、自分の「奥」を紹介したりはしない。
日本の伝統どころか、アジアの常識にもない。
支那皇帝や朝鮮国王やイスラムのスルタンが、外国使節に、自分の奥さんの顔を見せるなんていう「破廉恥」で「無礼」なことは、よっぽどの変態性欲者でもない限り(笑)、するわけがない。
もちろん、奥さんが好奇心旺盛で「異国人を見てみたいわ」とおねだりすることはあったかもしれないが、その場合も、外国人からは見えないように「奥さんからこっそりノゾキ見」するのがせいぜいだろう。
というか、そもそも、明治以前の日本にやって来た外国人の方だって、夫婦同伴なんてほとんど、いや全く無かったのではないか。
支那や朝鮮や琉球の使節だって、危険な長旅に奥さんを同伴するわけがない。いや、安全であっても奥さんは連れて行かない。前近代のアジアの外交に、奥さんを連れて行く「伝統」なんかないのだ。
ヨーロッパ人だって、結婚してはいけない伴天連にはそもそも奥さんがいないし、商人だって「現地妻」はいただろうが、彼女には港町で家産を守る役目がある。わざわざ家を空っぽにして船に乗せたりはしない。
外交に来た方も、外交を迎えた方も、彼らの奥さんは、何の関係もない。
それが日本の、いやアジアの、いや前近代世界の、本当の伝統である。
だから、当時から宮中晩餐会があったとして、外国人にも同性愛者はいたかも知れないが、奥さんさえ連れて来る風習が無かったんだから、男性パートナーは出席していいのか?なんていう問題は起こりようがない。
さらに百歩譲って、天皇が奥さんを外国人の眼前にさらすとしても、いったい誰をさらすのか? 支那皇帝も朝鮮国王もイスラムのスルタンも、将軍も、もちろん天皇も、奥さんは1人ではなかった。序列はあったにしても、奥さんは複数いたのだ。
外国人の前で、10人も20人も奥さんをずらりと並べるのか? もはや、外交というより、品評会である(笑)。
じゃあ宮中晩餐会とは何なのか? 簡単な話でヨーロッパ王室外交の丸パクリだ(笑)。どこが日本の伝統だ?
ヨーロッパはキリスト教圏だから、王様も原則として一夫一妻。ご両人で外国使節を接待するわけだ。明治政府もこの形式をパクった。
そこで、天皇が公式に複数の奥さんを持っているのが、欧米に対するメンツの上で問題になってしまう。よって明治政府は形式上、天皇皇后両陛下、一夫一妻を採用する。
これが、単なる猿マネではなく、深刻な、いや致命的な問題の遠因となる。
明治天皇は内々に愛妾を囲っていたが、大正天皇はホンキで一夫一妻になってしまう。なってしまうのは、夫婦愛からすれば麗しいのだが、その反作用で、男系男子が産まれ難くなってしまったのだ。
男系男子継承というのは、天皇が複数の奥さんを持ってよい、ぶっちゃけメカケを囲ってもいい、いや男子誕生のために囲うべきだ、というのが大前提にあって、はじめて成立するのである。
高御座VS御帳台~フェミニズムな敬称【皇后陛下】こそ「皇統断絶」と「女系天皇」のステルス時限爆弾。 - 在日琉球人の王政復古日記
宮中晩さん会は日本の伝統ではなくヨーロッパの丸パクリであり、その明治政府の比較的軽いノリで始まった丸パクリが、男系男子継承という、真の意味の皇室の伝統を崩壊の危機に追い込んでしまったのだ。
日本の伝統だの、皇室の在り方だの、そういうことを言うのならば、ホモだのレズだのを出禁にする前に、まずは男系男子継承をダメにした諸悪の根源・宮中晩餐会の廃止が先なのである。