在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

《クリスマス映画列伝》共和党「素晴らしき哉、人生!」(1946年)VS民主党「三十四丁目の奇蹟」(1947年)

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IN GOD WE TRUST((我ら神を信ず)

 

メリー・クリスマス! \(^o^)/ 

 

イイ子にしてましたか? 

皆さんのおウチにも、真っ赤なサタンさんがやって来ましたか(^^)?

 

あ、サタンじゃねえや、サンタだ。 

 

ま、細かいことはともかく(馬鹿)、「クリスマス映画」というのはたくさんある。

ベストテン企画で、クリスマス映画といえば「ダイ・ハード」、みたいな話になるんだが、もちろん「ダイ・ハード」は傑作ではあるが、個人的には宗教色・政治色が際立ったものを「クリスマス映画」と呼びたい。

 

もちろん、クリスマス映画といっても、観てない映画、どころか、知らない映画も山ほどあるし、観たのに忘れてしまった(汗)クリスマス映画もたくさんあるのだが、思いつくままご紹介したい。

正月休みのヒマ潰しの参考になれば幸いである。

 

共和党映画「素晴らしき哉、人生! / It's a Wonderful Life」(1946年アメリカ)


素晴らしき哉、人生! - Trailer

 

民主党映画「三十四丁目の奇蹟 / Miracle on 34th Street」(1947年アメリカ)


三十四丁目の奇蹟 (字幕版)

  

まずは、定番中の定番、クリスマス映画の双璧、東西両横綱

 

アメリカ人なら誰でも、この2本だけは観たことがある、というくらいの国民的映画。年末恒例、アメリカ版「紅白歌合戦」みたいな季節の風物詩である。

映画好きを自称するならこの2本はマストアイテムだし、そうでなくとも、とりあえず義務教育、みたいな映画だ。

 

製作公開もほぼ同じ。終戦直後。日本も琉球も焼け野原だった時代。

大西洋の向こうのナチスドイツと、太平洋の向こうの大日本帝国を、両方同時に叩き潰しながら、国内ではこんな映画も作れてしまう、この余裕(笑)。

 

こんな無茶苦茶な相手に、大和魂だけで勝てると思ってた、というのは、ある意味スゴイことである。

国際連盟5大国にまで登りつめても、突如1億人(植民地含む)丸ごとが冷静な判断を失って、国家と生命と財産を丁半バクチに賭けてしまう(しかも、すでに盆ゴザの上ではサイコロは「丁」とハッキリ出てるのに、テンパって「半」に全額)という錯乱事態は起こり得るのだ。

 

一度やったんだから、またやりかねないのだ。

日本人がやったんだから、他の国もやりかねないのだ。

 

この2本の映画の共通点は、もちろんクリスマス、そして主人公がニューヨーク州に住むビジネスパーソンであることだ。両方ともビジネスとクリスマスの物語なのである。

共通点もあるが(あるからこそ)、この2本は好対照でもある。

それぞれ、アメリカ人の2つのライフスタイル、政治的立場を代表しているのだ。

 

素晴らしき哉、人生!」は、共和党、保守派の価値観を体現する映画、

三十四丁目の奇蹟」は、民主党、リベラル派の価値観を体現する映画、

なのだ。

 

素晴らしき哉、人生!」の主人公は、ニューヨーク州郊外の田舎町に住む独立自営業者。

主人公の家族や親類が出て来る。弟がいて、叔父がいて、美しい妻は専業主婦。子供は4人もいる。しかし子供たちに特別なキャラ付けはなく、ただの記号的存在。

死が二人を別つまで夫婦に離婚はない。家族は不変の存在である。

ビジネスに危機が訪れても、解決するのは個人の力だ。主人公自身の根性と能力と財産と「信仰」であり、町の仲間たちの応援である。そこに政府や公共機関は出てこない。

素晴らしき哉、人生!」は、政府に頼らない自力更生の物語だ。まさに共和党的生き方だ。

  

三十四丁目の奇蹟」の主人公は、大都市ニューヨークど真ん中のマンハッタンの高級百貨店でバリバリ働くキャリアウーマン。

夫とは離婚して、娘が一人のシングルマザー。たった2人でその他親類縁者は出てこない。ただし、その娘はちゃんとキャラを持った映画の重要人物である。

一度破たんした家族に、新しい男性が加わって、新しい家族が再生する話である。

ビジネスにトラブルが発生したら裁判所に訴える。最後は「とある政府機関」がどんでん返しの切り札として登場する。

政府や公共機関こそが、ビジネスの対立を解決する必要不可欠の第三者なのだ。「三十四丁目の奇蹟」は、政府や裁判所の存在を重視する、まさに民主党的生き方だ。

 

三十四丁目の奇蹟」には、リメイク版「34丁目の奇跡」(1994年)もある。出来は多少は落ちるが、カラーなんで、平成の皆さんにはこっちの方がオススメかも。

 

34丁目の奇跡 / Miracle on 34th Street」(1994年アメリカ)


www.youtube.com

 

1947年版も、1994年版も、アメリカ人が大好きな「法廷劇」である。

サンタ・クロースは本当の存在するのか?」

「目の前のこの老人が、サンタ・クロースだという証拠はあるのか?」

前代未聞の裁判が始まる。 

最初からサンタを信じる主人公側が圧倒的に不利だ。しかし最後は、何でもない普通の「政府機関」が逆転の切り札になる。

 

1947年版は郵便局。

サンタ宛の郵便物はちゃんとこの老人に届く。つまり郵便局=政府がサンタを自称する老人がホンモノのサンタであると認識している。よってこの老人は本物のサンタである。

 

1994年版は造幣局

1ドル札には「IN GOD WE TRUST((我ら神を信ず)」を刻印されている。アメリカ政府は神を信じる。ゆえにサンタも実在する。

 

ハッキリ言って、どっちも無理スジ過ぎる司法判断である(笑)。

人民はサンタを望む。ゆえに司法も人民に従い、サンタの実在を認める。

日本人は、こういう話を、最近、どっかで、聞いたことがなかったか? 

韓国である(笑)。

慰安婦も、徴用工も、対馬の仏像も、日韓軍事協力も、朴槿恵姐さんも、国民の感情によって、司法判断もヒックリ返る。政府決定も正反対に曲がる。

 

しかし、国民情緒法ポピュリズムは、韓国だけの話ではない。

ファンタジーとはいえ、宗教的信条なんかのコアな部分では、アメリカ人もそういう合理性を度外視した価値観があるのだ。

 

日本人だって同じである。

1932年(昭和7年)、天皇陛下が大命降下した犬養首相が海軍青年将校に惨殺される。しかし五・一五事件の「義挙?」に興奮した日本国民から、司法に対して大量の助命嘆願が殺到した。

そして軍事法廷も国民情緒に流され、首相暗殺というナアナアに済ませては絶対にヤバい大罪を軽微な刑罰で終らせたことが、陸軍皇道派をその気にさせて二・二六事件を誘発したのだ。

そして、誰も合理的判断を言い出せなくなり、国民情緒に踊り狂って、日本は、転がるように、自分から、真珠湾に突っ込んでいく。

 

その真珠湾が、「素晴らしき哉、人生!」のラストにつながる。

映画には少年時代に主人公に命を救われた弟が登場する。最後の最後、弟が街に戻ってくるのだが、それまで彼はいったいどこで何をしていたのか? 

弟はアメリカ海軍パイロットであり、1945年まで、どこの国かまでは知らないが(笑)、「敵の飛行機」をじゃんじゃん撃墜しまくった、「敵の船」を沈めまくった、「敵国」を爆撃しまくった、「太平洋の英雄」として凱旋するのである。

映画では、「もしも」主人公が弟の命を助けなかったら、その後の世の中はどうなっていたか?という回想シーンがある。ただし映画ではアメリカの田舎町の出来事しか出てこない。

しかし、「もしも」弟が少年時代に死んでいたら、どこかの国の何人かの兵士は、この弟に殺されず、靖国神社に祀られず、この弟のように故郷に戻れたのだ。

 

アメリカ人にとっては、なんてことはない、映画の本筋に関係ない、脚本を変更しても大した問題の無いエピソードが、この非の打ち所のない、文句の付けようがない完璧な王道映画に、日本人限定で複雑な感情をもたらす。

これもまた外国映画の醍醐味でもある。