在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

ヴォーカルもメロディーも良い。しかし、この「歌詞」に感動できるのか? #m-flo #LISA / come again


m-flo / come again

 

いきなり、このブログには、全く場違いなオシャレな音楽。

おいおい、2018年は路線変更か(笑)?

 

m-flo、USJカウントダウンでLISA復活!今春発売の新曲お披露目 (音楽ナタリー) - Yahoo!ニュース

2018/1/1(月)
m-floが昨日12月31日に行われた大阪・ユニバーサル・スタジオ・ジャパンカウントダウンイベント「ユニバーサル・カウントダウン・パーティ2018」に出演し、およそ15年ぶりに正式メンバーとして復帰したLISAを交えた3名でのパフォーマンスを披露した。

 

最初に書く。信じて欲しいが、嫌がらせや誹謗中傷では全くない。

しかし、前々から、解けない疑問があったので、良い機会に。

 

私は音楽全般がからっきしダメ。

どうしようもない野暮天で、趣味も最悪だ。

 

しかし、この曲を始めて聞いた時、軽いショックを受けた。

 

このグループの皆さん、音楽の技術は凄い(んだと思う)。
ヴォーカルやメロディーの美しさは判る(気はする)。

しかし、「歌詞」は、これで、いいのか?

 

普段こういうジャンルは聞かない。何かの偶然で聞いた。
メロディーの美しさが際立ってるだけに、歌詞の内容の、あまりの「薄っぺらさ」との間の落差に、ものすごい違和感があって、逆に記憶に残った。

 

歌詞は「浮気性の男を捨てて、街でイイ男見つけるわ。」というだけの話。
それ以上でもそれ以下でもない。

 

もちろん、古今東西、全ての流行歌なんて、煎じ詰めれば、「浮気性の男を捨てて、街で新しいオトコ見つけるわ。」レベルの話ではある(笑)。

ではある、ではあるが、それを、言葉のマジック、表現のテクニックで、なんとかするのがプロの仕事ではないのか? それを「詩」とか「韻文」と呼ぶ。

たとえば、サンボマスターだの竹原ピストルの歌詞にはそのマジックがあると感じる。


やはり、「サンボだの、ピストルだの、ジャンルが違います」「オシャレなm-floと、そういうダサい連中を一緒にしないでください」と失笑される比較なのか?

 

come againのメロディーの魅力は判る。ヴォーカルも良い。 
しかし、この歌詞に感動できるのか? どう解釈すれば感動できるのか? 

 

それとも、この、薄っぺらさ、内容の無さ、こそが逆にイケてるのか?

「平成のJ-POPは雰囲気で聞くもんです、歌詞なんていちいち気にしません」と笑われれば、最底辺のボンクラに返す言葉はないんだが。

 

新年早々、音楽が判ってない時代遅れの野暮な疑問で申し訳ない。