Breakfast at Tiffany's (9/9) Movie CLIP - Kissing in the Rain (1961) HD
日本人でも、誰でも名前ぐらいは聞いたことがある映画。
「ティファニーで朝食を / Breakfast at Tiffany's」(1961年)。
どこかで聞いたことあるでしょ?
流れる曲は「ムーン・リバー / Moon River」。
どうだ、この美しさ。ハリウッド黄金期の底力である。
女性映画と言えば、まず最初に、藤純子「緋牡丹博徒」、梶芽衣子「銀蝶渡り鳥」、池玲子「不良姐御伝猪の鹿お蝶」なんかがポンと頭に浮かぶ、東映ボンクラ小僧としては(馬鹿)、ハッキリいって、こういう映画は苦手だが(笑)、まあ文句の付けようがない。
しかし、こんな奇跡的に美しい映画にも、21世紀から振り返ると、汚点と呼んでもいい、どうしようもなく鈍感で、無残で、醜いシーンがある。
それはなにも「ティファニーで朝食を」だけではない。
ヴィヴィアン・リー&クラーク・ゲーブルの天下の名作「風と共に去りぬ」が、黒人奴隷制度を、無批判に、半ば肯定的に描いていたり、
ドイツの天才女性映画作家レニ・リーフェンシュタールが、その才能をフルに発揮して、見事な宣伝映画を撮ってしまったり(ただしナチスの)、
吉永小百合の出世作・日活「キューポラのある街」が、自分の親友一家を、心からの善意で、二度と戻れぬ「この世の地獄」へ突き落す結果になっていたり。
《在日コリアン映画列伝》日活「キューポラのある街」(1962)吉永小百合VS「Triumph des Willens」(1934)VS「風と共に去りぬ」(1939) - 在日琉球人の王政復古日記
過去の映画というのは、過去であるという、それだけで、危険なのだ。
そして、全ての映画は、時間が立てば、100%、必ず、「過去の映画」になる。例外はない。
だから、全ての映画は危険なのだ。
どんな分野にも「時代の限界」というモノがある。
たとえば、日本人の皆さんは、戦国武将・織田信長が好きだが、今から見れば、彼は私利私欲で大量の人間を虐殺した殺人鬼である。
もちろん、今の倫理観で「戦争をやめろ!人を殺すな!」と抗議しても、
織田信長は「はあ?」と答えるだろう(笑)。
それが「時代の限界」だ。
こんなにキュート(うわ、キュートだってよ、このボンクラが(笑))な「ティファニーで朝食を」にも、そういう「時代の限界」はある。
これも映画、と言っても、かなり格落ちだが
「ドラゴン/ブルース・リー物語 / Dragon: The Bruce Lee Story」(1993年)
で、アジア人・ブルース・リーが、白人女性と、映画館で「ティファニーで朝食を」を見るシーンである。
Dragon: The Bruce Lee Story (5/10) Movie CLIP - Breakfast at Tiffany's (1993) HD
白人少女は、当時の白人社会の、当然の反応として、スクリーンの中の、出っ歯で、両目が吊り上がり、醜く滑稽な日系人=オリエンタル(東洋人)を笑うのだ。当たり前で、これはコメディ・シーンだからだ。笑わせるために作っているのである。
しかし、彼女は、隣の青年も、スクリーンと同じオリエンタル(東洋人)=支那人であることに気が付く。
白人に、日本人(大和民族)も支那人(漢民族)も、区別はない。
極東アジアのオリエンタルは全部一緒だ。そういう意味で平等である(笑)。
この「ティファニーで朝食を」に登場するジャパニーズ(日系人)こそ、
こういう人種差別表現の分野では、典型例の「有名人」、白人俳優ミッキー・ルーニー演じる「ミスター・ユニオシ / Mr. Yunioshi」だ。
日本の大晦日お笑い番組で黒塗りメイク 怒りと反発も - BBCニュース
2018年01月5日
日本で大晦日に放送されたテレビ番組で、お笑い芸人が米俳優エディー・マーフィーに扮するため黒塗りメイクをしたことを受けて、人種差別や文化的配慮が足りないとの非難が相次いでいる。
日本テレビの番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」では、有名なお笑い芸人の浜田雅功氏がエディー・マーフィー主演の映画「ビバリーヒルズ・コップ」 を再現しようと、黒塗りの顔で登場した。
顔を黒く塗り黒人を風刺するいわゆる「ブラックフェイス」は、きわめて侮辱的な風習だと広く受け止められている。
この数日間で、番組への抗議の声が増え続けている。
米国出身の黒人作家兼コラムニストで日本在住13年のバイエ ・マクニール氏は、ツイッターでこの番組の問題を指摘。黒人は、「笑いのオチや小道具」ではないと主張した。
マクニール氏はツイッターで、「#ブラックフェイスで出演する日本の人へ。黒人だというのは、オチや小道具じゃないんだ。ジョークが必要? もっと腕のいい作家を雇って。黒人キャラが必要なら、日本語を話す黒人俳優を雇って。何人かいるから! でもお願いだから、#日本でブラックフェイス止めて。カッコ悪いよ」と書いた。
白人がイエローフェイスを演じて、白人を笑わせ、
日本人がブラックフェイスを演じて、日本人を笑わせる。
そう、これは「お笑い」なのだ。
茂木健一郎が批判し、
ウーマンラッシュアワーが「実験」した、
「政治ネタのお笑い」
というのは、実は「これ」なのだ。
しかし、政治ネタを馬鹿にし否定していたはずの松本人志が企画してるであろう「ガキ使」の方が、政治ネタで炎上するとは、ブーメランというか、皮肉というか、因果というか。
個人的趣味としては、私も、茂木健一郎と同じで、モンティ・パイソンからビル・マーまで、英米の政治ネタのお笑いは大好きだ。
だから、茂木健一郎の言わんとすることは判るし、否定はしないが、
しかし、茂木健一郎はあまりにも「能天気すぎる」とも思っている。
権力者である安倍ちゃんをおちょくるのも政治ネタだが、
身体障害者、精神障害者、少数民族、アウトカーストをおちょくるのも政治ネタなのだ。
政治ネタが恐ろしいのは、
権力に歯向かう「下から上へ」の笑いだからではない。
弱者を嘲笑する「上から下へ」の笑いも含むからだ。
というか、歴史的にも、量的にも、「上から下へ」の方が主流なのである。
「笑い」は常に「弱者」の敵であり、民主主義は「笑い」の敵だ~動物や障害者を嬲り殺して楽しんできた人間の歴史。 - 在日琉球人の王政復古日記
お笑い政治論争(1) #茂木健一郎 の腰砕け #松本人志 の脅迫~日本人はモンティ・パイソンで笑えるか? - 在日琉球人の王政復古日記
お笑い政治論争(2) #茂木健一郎 の欧米崇拝 #松本人志 の映画野球批評 #爆笑問題 のハッタリ。 - 在日琉球人の王政復古日記
お笑い政治論争(3) #ウーマンラッシュアワー は、皇室を、震災被災者を、パラリンピックを、笑えるか? - 在日琉球人の王政復古日記
お笑い政治論争(4)テレビOK #ウーマンラッシュアワー VSテレビNG #鳥肌実 - 在日琉球人の王政復古日記
お笑い政治論争(5) #ウーマンラッシュアワー VS日本語ラップの始祖川上音二郎、壮士節演歌師添田唖蝉坊。 - 在日琉球人の王政復古日記
お笑いは、人権に反する。当たり前の話だ。
なぜなら、お笑いはイジメやリンチであり、イジメやリンチはお笑いだからだ。
お笑いを無制限に許せば、身体障害者を見世物にし、精神障害者を野犬と戦わせ、被差別階層にツバを吐き、気分次第で黒人奴隷を木に吊るす、近代以前の人間社会に逆戻りである。
※追記 「近代以前」、どころか、「類人猿」に逆戻りだ。
ボノボは善人より「いじめっ子」が好き? 研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
2018年1月8日
交尾好きでのんき、協調性があることなどから、類人猿における「ヒッピー」と評されることもあるボノボ。だが人類と違い、「いじめっ子」を好む可能性があるとの研究結果がこのほど発表された。
(略)
研究チームは、ボノボにとって、粗暴な行為は社会的な地位や優位性の証しと受け止められている可能性があるとし、意地の悪い者を見方につけることは有益であるとの理由でこうしたキャラクターを好んでいる可能性があると指摘。強固な同盟関係を築くことで、餌や交配相手を見つけやすくなり、また自身がいじめの対象となるリスクも減らすことができると述べている。
だからとって、差別は許さない!と、人権思想を極限まで推し進めれば、人間からお笑いが消える。
ジョージ・オーウェルが「1984」で描いた未来である。
アイドルは人権思想【と】闘う。 - 在日琉球人の王政復古日記
ダウンタウンのブラックフェイスを
「差別だ!」「許さない!」と糾弾する人たちに、私は賛同しない。
同時に、
「うるせーよ(笑)」「表現の自由だろ(笑)」と笑う人たちにも、私は賛同しない。
どっちも陣営も、よくもまあ、そんなに簡単に、単純に、「正しい結論」が出せるものだと感心する(笑)。
何万年かは知らないが、人類誕生以来まったく未解決のこの難問に、「正解」(あるのか?)が出せるほど、私は天才ではない。
迷いつつ、ダウンタウンに爆笑し、
悩みつつ、弱者イジメに怒り狂う、
しかない。
百姓天国~タリバンが支配する土人国家・日本~金髪白人も黒く染めるなら、黒人の肌は黄色く塗るのか? - 在日琉球人の王政復古日記