在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

#西部邁 ~江藤淳と同じ愛妻家。韓国・朝鮮を語らず。天皇・靖国に情熱薄く。反米にしてヨーロッパ崇拝。

評論家の西部邁さんが死去 多摩川で自殺か:朝日新聞デジタル

2018年1月21日
 21日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布5丁目の多摩川で、評論家の西部(にしべ)邁(すすむ)さん(78)の長男から、「父親が川に入った」と110番通報があった。警視庁と消防が男性を救出したが、約2時間後に搬送先の病院で死亡が確認された。
 田園調布署によると、男性は西部さんだった。同日未明に家族が「父親がいない」と110番通報していた。行方を捜しているなかで、多摩川で長男が見つけ、通報したという。河川敷に遺書が残されていたといい、署は自殺の可能性があるとみている。

 

話をまとめてるヒマはない。

思い付くままに。

さらに加筆・修正するかも。

 

保守思想家の自裁

まず、江藤淳を思い出した。

 

江藤淳も、戦後昭和の保守派の論客であり、西部邁の先輩格に当たる。

江藤も、奥さんを失ってから1年後に自殺した。

あんな聡明な人が妻の後追いなんて、と当時の論壇は驚きの声だった。

西部も、奥さんを失ってから4年後だ。

相当大きな、いやおそらく一番の原因だと思う。

 

晩年病気を患ったことを苦にしていたらしいが、もしも奥さんが生きていたら、いくら苦しくても自分だけ勝手に死ぬ選択はしなかっただろう。

というか、その病気自体が、奥さんを失った心身のストレスからだったのではないか。

 

愛妻家の寿命は、奥さんの寿命に正比例する。

 

なんで、2018年1月21日なのか? 日付に意味があったのか?

なんで、こんな寒い真冬の多摩川で入水なのか? 

なんで、別の季節、他の方法ではなかったのか?

西部であっても、人間の自殺は衝動的なものであり、合理的な理由はないのかもしれないが、なぜ今、なぜ多摩川、というのが気になる。

 

そしてもちろん、彼も思い出した。

 

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#三島由紀夫 楯の会、ナチス突撃隊、鉄兜団前線兵士同盟、社民党国旗団黒赤金、共産党赤色戦線戦士同盟。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

西部は保守派の論客と呼ぶと大雑把すぎる。

現在の日本で保守派と言うと親米派になってしまうからだ。

西部は保守かつ反米であった。

 

親米戦前派VS親米戦後派VS反米戦前派VS反米戦後派~憲法改正、安全保障は「4つ巴」の戦い。 - 在日琉球人の王政復古日記

よって組み合わせは4つ。

A.「親米派・戦前(戦前肯定)派」・・・親米戦前派。

B.「親米派・戦後(戦前否定)派」・・・親米戦後派。

C.「反米(非米)派・戦前(戦前肯定)派」・・・反米戦前派。

D.「反米(非米)派・戦後(戦前否定)派」・・・反米戦後派。

 

A.親米戦前派の代表例は、産経新聞、安倍ちゃん、百田さん、櫻井さん。

B.親米戦後派の代表例は、日本経済新聞、ダンディ村田、北岡氏、瑠麗たん

C.反米戦前派の代表例は、小林よしのり氏、西部邁氏。

D.反米戦後派の代表例は、いわゆる左翼。朝日、毎日。SEALDs。

 

西部は、日本の保守業界の中では、異端派、少数派、反主流派だった。

 

ただし、反米だからといって、ドメスティックな日本バンザイではない。

神道など日本文化の要素、漢学漢籍の要素はほとんど感じなかった。

彼の言論は、いつもいつも、ギリシャ、ローマ、イギリスなど、ヨーロッパの話ばっかりだった。ある意味「ヨーロッパかぶれ」と言っても良かった。

語源の話が得意だったが、ギリシャ語、ラテン語、英語が中心で、漢字の話や四書五経の話題が出て来ることはなかった。

 

全部の本を読んでるわけじゃないし、テレビも熱心に見ていたわけじゃないから、間違っていたら、ご指摘いただきたいが、

 

西部は、平成において、保守派と言いながら反米だったのも珍しいが、

保守と言いながら、韓国、朝鮮に関しては、ほとんど発言してないと思う。

つまり、保守派の定番である、韓国批判、朝鮮批判、を見たことがない。

意図的に避けていたのではないか? 

と言っても、「在日」じゃないよ(笑)。

おそらく、言論が「卑しくなる」のを嫌ったように思う。

 

また、意外かもしれないが、天皇制や靖国神社に関しての言論も印象が薄い。

ファンの人なら記憶を探ってもらいたいが、西部が天皇靖国を熱く語ったシーンを見たことがあっただろうか?

もちろん天皇靖国を語らなかったわけではない。しかし、他の保守論客に比べてかなり少ないはずだ。しかも冷静で感情のこもらない語り方だった。

よくいる三文保守ゴロみたいに「被災地をご訪問される両陛下の真摯なお姿に感動して涙が止まらない」とか「皇室がある限り日本は大丈夫だ」みたいなエモーショナルな話をしたことはほとんどないと思う。

西部は、もちろん天皇制を重視はしていたが、感情として、好きだったのか?敬愛していたのか?はかなり怪しいと思う。

西部は、何回くらい靖国神社に参拝したことがあるのだろうか? 行ったにしても一種の義務的な行為ではなかったか?

 

保守派の重鎮ではあったが、元60年安保の闘士だ。

保守にもつながり、左翼ともつながった人だ。

お別れ会なんかやったら、顔触れが凄そうだ。

 

しかし、これからの日本の保守論壇はどうなるのか?

まさか、代表格が「櫻井よしこ」になったりするのか(悪寒)。

あんな、学問的業績が何もない、中身が空っぽで、薄っぺらい、本の表紙に顔写真を載せたがるナルシストお婆ちゃんが保守の代表って、冗談でもひどすぎる。貧血で失神しそうになるくらいの人材不足、無残な状況である。

 

代わりになる人が思いつかない。

あっちで奥さんと再会されんことを祈る。

 

※追記 うっかりしていた。

小林旭 1938年生。
西部邁 1939年生。

奇遇にも、同世代である。そして「戦った青春の日々」も全く同じだ。

渡り鳥シリーズ 1960年代。
60年安保闘争 1960年代。

アキラの「渡り鳥」と、ススムの60年安保闘争は、時代的に完全に重なる。

しかし「渡り鳥」を見ても、学生運動新左翼思想の影は全く見えない。

 

日活マイト・ガイ小林旭「渡り鳥」~元妻は美空ひばり、仲人は山口組三代目(笑)~西部邁&60年安保と同級生。 - 在日琉球人の王政復古日記