在日琉球人の王政復古日記

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殺人なんか考えなかった #オウム真理教 末端信者VS死刑と民族浄化の #余命三年時事日記 #懲戒請求

「ひかりの輪」が国を提訴 観察処分の取り消し求め:朝日新聞デジタル

2018年5月21日
 オウム真理教の後継団体「アレフ」から分派した「ひかりの輪」(上祐史浩代表)が、団体規制法に基づく観察処分が1月に更新されたことを不服として、国を相手に取り消しを求める訴訟を起こしていたことが分かった。訴状では「オウム真理教から精神的、物理的に脱却した」などと主張している。第1回口頭弁論は22日に東京地裁で開かれる予定で、国は請求の棄却を求めるとみられる。
 ひかりの輪は2007年にアレフから分派した後も、公安審査委員会が観察処分の対象にすべきだと判断し、3年ごとに更新されてきた。しかし、15年の更新をめぐっては東京地裁が昨年9月、「松本智津夫麻原彰晃)死刑囚への絶対的帰依を否定するなど性格が相当異なる」などと指摘し、取り消すべきだと判断。国側が控訴する一方、今年1月には改めて観察処分が更新された。今回の提訴は18年に更新された観察処分が対象で、二つの訴訟が同時に続くことになる。
 ひかりの輪は2月23日付の訴状で、松本死刑囚の意思でできた団体ではなく、アレフからの脱会を考える信徒らの相談も受けていると説明。オウム真理教に似た修行があるとしても「一般的な仏教やヨガの修行に過ぎない」としている。
 公安調査庁によると、ひかりの輪は約150人で活動している。同庁は「松本死刑囚からの脱却を強調しているが、依然として影響下にある」と分析している。

 

オウム残党の中では、一番穏健派だとされている「ひかりの輪」。

現実問題として、人間は生物だから「食わねば」「金がなければ」生きていけない。

上祐史浩氏の年齢で、その経歴で、今から全く異なる世俗の生活手段(就職、バイトなど)を見つけるのが非常にしんどいだろう。

よって、生き延びるためにも、類似の宗教団体を主宰して、毎日を何とか食っていくしかない。

 

しかし、上祐史浩氏は頭が良い。そして彼の経験は貴重なもので、死ぬまでに、ナンとか、学術研究のためにも、まだ隠していることをカミングアウトしてもらいたいのだが。

 

オウム真理教的なるモノは、人間が人間である限り、絶対になくならない。

 

宗教の形をとるか、左翼の形をとるか、右翼の形をとるか、企業の形をとるか、その時代に合わせて、「オウム真理教」の《余命》は永遠に続く。

 

偶然?命令?脅迫?洗脳?忖度?~日大闘争~日大アメフト~追悼星百合子東宝「エレキの若大将」~安倍森友加計。 - 在日琉球人の王政復古日記

の続き。

 

日大アメフト部では、内田監督が独裁者で、日大DLは命令を聞くしかなかったのかもしれない。

じゃあ、監督から命令されたら、何でもやるのか?どこまでやれるのか?

 

監督から、コンビニで万引きして来い、と言われたら、万引きするのか?

監督から、近所の女子学生を強姦して来い、と言われたら、強姦するのか?

 

アメフトの反則でも、身体に危険が少ないモノもあるだろう。それならやってしまうかもしれない。

しかしQBへの時間遅れのタックルは、ヘタしたら大怪我、相手は一生車椅子の危険すらある暴力である。

監督は絶対的存在で、万引きは断れないかもしれない。しかしいくら何でも強姦は拒否するだろう。それが人間の限界だ。

監督の命令なら、相手を下半身不随にします、というのは、監督の命令なら、誰でも強姦します、と同じで、もはや人間ではない。

 

日大DLも人間である限り、日大の伝統、たとえ命令、たとえ「脅迫」、いや監督の「洗脳」だったとしても、しょうがない反則と、やってはいけない反則がある。

人間は誰でも洗脳される。

しかし、洗脳されたからって、やって許される範囲を越えたら、本人にも責任はあるのだ。

 

こっちは、余命三年時事日記の弁護士懲戒請求騒動によく似た構造だ。

 

ブログの呼びかけで大量の懲戒請求 弁護士が提訴へ | NHKニュース

2018/5/16
東京の弁護士が、特定のブログの呼びかけで身に覚えのない懲戒請求を大量に受け、業務を妨害されたとして、賠償を求める訴えを起こす方針を明らかにしました。

 

政治思想は自由である。

誰が書いてるかも不明なブログに心酔して=洗脳されて、ネットに在日朝鮮人への罵詈雑言を書くこともあるだろう。それは言論の自由だ。

 

しかし、現実世界で、常軌を逸した内容ののべ13000通にも渡る大量の懲戒請求を出すことは、弁護士への威力業務妨害だし、損害賠償訴訟を起こされるのは当たり前なのである。

 

何をやっても、洗脳されてました、で済めば、警察は要らない。

実は、余命信者のアクションの中では、懲戒請求が一番マシなのだ。

他のアクションは、法律上はともかく、倫理的には、さらにヒドイ。

 

※事前にご注意するが、下記の余命三年時事日記はムチャクチャ読みにくい。読者を考慮していないところにも、彼らの精神状態が現れている。

 

1317 読売新聞告発状 – 余命三年時事日記

 

そもそも、余命信者は、検察に対して、相手を、いかなる罪名で告発したか?

 

刑法第81条(外患誘致)  外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。

 

外患誘致罪のには死刑しかない。

つまりは、余命信者は、検察=国家に「相手を死刑にしろ」と要求している。

他の解釈は不可能だ。

 

洗脳されました、はイイけどさ(笑)、いくら洗脳でも、会ったこともない、名前も知らなかった他人に「死刑!」「死ね!」と要求するのが許されるのかね?

 

首相官邸に指揮権発動を希望するメールを大量に出すことは、

 

1601 すべて順調。予定通りである。 – 余命三年時事日記

 

「相手を死刑にしろ」「人間を殺せ」という要求なのである。

 

さらに、正気を疑う妄想を連発する。

死刑ですらなく、路上での一般人大量虐殺である。実行者は自衛隊である。

 

近い将来、予備自衛官補の忍者部隊(笑)が結成されて、在日韓国人や、安倍首相に反対するリベラル派や左翼の日本人を、何万人もの人間を、粛清する=「コソボ方式」「クリミア方式」と呼ぶらしい大量殺戮を、余命本人と余命信者は今か今かと待ち望んでいる。

 

138 余命時事放談会① – 余命三年時事日記

 

226 この日何の引きになる日 7月9日 – 余命三年時事日記

 

もはや保守思想でも愛国者でも何でもなく、オウム真理教であり、イスラエル強硬派やイスラム過激派であり、ナチスであり、ポルポトであり、サイコパスであり、精神異常者であり、人殺しであり、「人間として終っている」。

 

懲戒請求を出した1000人近い余命信者の皆さんは、人間を殺すことが平気なのだ。人間を殺したいのである。それが美しい日本人らしい(笑)。ハッキリ狂ってる。 

 

余命信者は、何でもイイから、まずは、予備自衛官の皆さんに謝れ(笑)。

 

そもそも、余命信者の皆さんは、予備自衛官を、いったい何だと、どんな人間だと、思っているのか(笑)?

予備自衛官を、命令されたら、女子供を含めた民間人を平気で殺す精神異常者の集団、だとでも思っているのだろうか?

 

こういう「第2の南京事件」「平成の関東大震災」的大殺戮を、平気で主張してるくせに、「南京事件関東大震災はウソだ!日本人はそんな残酷なことはできない!」と言い出すのである。

もしも、余命信者の持つ「殺人に関する感受性」が日本人の標準ならば、南京事件も、関東大震災も、想定の範囲内だし、普通にあり得る話だし、何の不思議もない。

 

そして、ヒトラー毛沢東金日成と一緒にされた安倍ちゃんへも謝るべきだ。

余命信者のアイコン・安倍ちゃんだって、いくら枝野さんや辻元さんや朝日新聞が邪魔でも、指揮権発動で絞首刑にしてやる!と興奮するほど憎悪してるわけがない。

 

官邸へメールを出しただけで、人間を殺してくれる内閣総理大臣

余命信者は、安倍ちゃんの人格をも侮辱しているのである。

  

もちろんオウム真理教と余命三年時事日記は大きく異なる。

オウム真理教は、実際に、その手で、人を大量に殺した。

余命三年時事日記は、実際に、その手で、人を大量に殺してはいない。

 

余命三年時事日記は、在日韓国人在日朝鮮人、左翼、リベラル派、新聞社、弁護士、自分たちが気に入らない人間を、大量に殺したい、ただし自分の手は汚さない(方法は、外患有利罪で死刑、または、予備自衛官補殺人部隊による虐殺)、と妄想しているだけで、まだ「やってない」段階である。

 

しかし、末端の信者、末端の読者で比較すると、話は変わってくる。

 

オウム真理教の末端信者は、当時、「教団の邪魔になる外部の人間を殺す」なんてことは教えてもらってないし、そんな計画は知らなかった。

「教団の邪魔になる外部の人間を殺す」ことを計画し実行したのは、トップの麻原彰晃と教団幹部、そして実行部隊だけだ。

 

それに比べて、余命三年時事日記は、その末端の読者=信者こそが、

「新聞者や政治家や著名人や在日コリアンたちを、外患誘致罪で死刑にしてください」という告発状を、段ボール箱何十箱分になるほど、検察に送付し、

「安倍首相は指揮権を発動して、検察を動かし、新聞者や政治家や著名人や在日コリアンたちを外患誘致罪で逮捕してください」というメールを官邸宛に大量に送信したのである。

 

オウム真理教と余命三年時事日記で、

実際にやったことは、比較にならないほど、オウム真理教の方が邪悪だが、

末端信者の「他人を殺したいという欲望」「殺人に対する認識」で比べるなら、余命三年時事日記の方が、オウム真理教よりも、ヒドイのである。

 

オウム真理教の末端信者は、法敵呪殺のマントラを唱えていたわけじゃない。

が、余命三年時事日記の末端信者は、死刑しかない外患誘致罪に賛同していた。

オウム真理教の末端信者たちは「人を殺す」なんて考えてもいなかった。

余命三年時事日記の末端信者たちは「人を殺す」ことを認識して行動した。 

  

なんだか最近のネット世論では、弁護士懲戒請求騒動をやらかした余命信者を「踊らされた馬鹿」だと嘲笑し、逆に、馬鹿ゆえに大目に見てやろうと、彼らの内に秘めた「邪魔な他人を殺したい」という欲望・思想は軽視されている。

 

世間の反応は、余命信者をナメ過ぎてると思う。

彼ら彼女らの「人を殺したい」という思想を、軽視・無視し過ぎである。

 

末端信者で比べたら、オウム真理教の信者より、余命三年時事日記の懲戒請求者(当然、外患誘致罪に賛同)の方が、はるかに狂気であり、はるかに邪悪なのだ。

もちろん「他人を殺したい」という欲望は、実行しない限り、法律には問えない。法律上は無罪である。しかし、倫理的には馬鹿にして笑って済む話ではない。

  

※追記:そういや、まったく違う話題で、このブログを取り上げていた。

 

2015-12-29

「余命三年時事日記」という宗教~ネトウヨVS安倍信者の工作員(笑)戦争~日韓慰安婦合意。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

当時から狂気に満ちていた。そしてとうとう「やらかした」わけだ。