今日は、平成30年6月23日。4月1日ではない。
のはずだ。おそらくそうだ。だと思う。かも知れない。のような気がする。
ちょっと自信がなくなってきた。
【主張】災害時のデマ 卑劣なネット拡散許すな(1/2ページ) - 産経ニュース
2018.6.23
大阪北部地震の発生直後から、ツイッターなどの会員制交流サイト(SNS)を中心に、さまざまな流言、虚報(デマ)が飛び交った。
災害時の混乱に乗じ、根拠のない嘘を広めようとする卑劣な行為を決して許してはならない。
被災地以外でも話題になった「シマウマが脱走した」「京セラドームに亀裂が入った」「電車が脱線した」との投稿はいずれも嘘だった。シマウマや京セラドームの写真を添付するなど、手口は悪質である。
平成23年の東日本大震災や、28年の熊本地震でも、同様のデマが流れた。熊本地震直後には、神奈川県の会社員の男が「動物園からライオンが逃げた」とツイッターで流した。動物園の業務を妨害したとして逮捕されると「悪ふざけでやった」と供述したという。
こうした情報を信じた人がいれば、避難行動にも影響する。震災被害を拡大しかねない、許されない行為であると知るべきだ。
流言の中でも見過ごせないのは「外国人の窃盗・強盗に注意」「テロに注意」といった外国人、在日外国人に対する偏見、差別の助長につながる表現だ。特定の人々を攻撃する行為である。
大正12年の関東大震災では、混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こした」などの流言により、朝鮮半島出身の人々らが殺害され、止めようとした日本人が犠牲になる事件も起きた。
【主張】災害時のデマ 卑劣なネット拡散許すな(2/2ページ) - 産経ニュース
SNSの運営会社も、そうした発言について利用規定を厳格に運用し、チェックを強化してほしい。要請があればデマを削除することなどはもちろん、書き込んだ人間の利用を凍結するなど、毅然(きぜん)とした態度で臨むべきだ。
違法行為は「軽い気持ちだった」などという言い訳は通じない。デジタル教育の場でも、基本的な事項と位置づけたい。
今回、大阪府はホームページに「事実と異なる情報が発信、拡散されている。情報の発信元には注意し十分に確認を」と記載し、冷静な対応を呼びかけている。
情報化社会の今、投稿された内容は真偽にかかわらず瞬時に拡散する。個々の利用者が真偽を確かめないまま引用する行為は、非常時の混乱を加速するのだ。
個人が自由に情報発信できる価値を守りたい。その価値を損なおうとする行為を見極める努力も欠かせない。
産経新聞の社説。
大正12年の関東大震災では、混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こした」などの流言により、朝鮮半島出身の人々らが殺害され、止めようとした日本人が犠牲になる事件も起きた。
念のため、もう一度。
産経新聞の社説。
大正12年の関東大震災では、混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こした」などの流言により、朝鮮半島出身の人々らが殺害され、止めようとした日本人が犠牲になる事件も起きた。
※5分25秒あたりから。
徳川家光の首 The head of Tokugawa Iemitsu
産経は、5年前には、こう主張していたのである。本まで出している。
【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(33)震災後覆った無政府状態 「流言蜚語」による「虐殺」だったのか(1/3ページ) - 産経ニュース
2013.11.17
死者・行方不明者10万5千人、焼失家屋40万戸以上という被害を出した関東大震災直後の首都圏は一時、無政府状態のような混乱に陥った。その中で信じられないような事件が発生する。
憲兵大尉、甘粕(あまかす)正彦による無政府主義者、大杉栄ら絞殺事件もそうだが、震災直後には「朝鮮人虐殺」が起きた。
明治43(1910)年の日韓併合以来、朝鮮人の日本への移入が急速に増える。特に大正時代になると、第一次大戦景気で商工業が発達する日本に職を求めてきたのだ。大震災直前にはその数は8万人を超えていたとされる。
大地震から半日もたたない大正12(1923)年9月1日夕刻あたりから、その朝鮮人が「武器を持って暴動を起こし、井戸に毒を入れてまわるらしい」という「情報」が流れ出した。
最初は横浜だったと言われるが2日には東京にも到達する。その「流言蜚語(ひご)」に惑わされた日本人たちは自警団を結成、朝鮮人と見るや集団で撲殺するなどした。その数は6千人を超える。
と、これまで関東大震災に関する本や教科書などはそう伝えてきた。だが近年になって「虐殺」の理由やその数に疑問を差しはさむ研究も出てきている。
中でも平成21年に発行された工藤美代子氏の『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)はこうした「通説」を真っ向から否定している。
【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(33)震災後覆った無政府状態 「流言蜚語」による「虐殺」だったのか(2/3ページ) - 産経ニュース
まず「虐殺」された人数について、当時の内務省による公表では過剰防衛で殺された(罪のない)無辜(むこ)の朝鮮人は233人だ。これが6千人超とされてきたのは、上海に亡命していた大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」の報道によるところが大きいという。
だがその「特派員」の報告で、虐殺されたとする6419人のうち遺体が発見されなかった人が2889人に上る。しかも発見された遺体も殺害されたのかどうかハッキリしない。とても信頼できる数字ではないと指摘している。
その上で工藤氏はさまざまな資料から、震災当時東京やその周辺に居住していた朝鮮人を約9800人と推測する。
ところが後藤新平内務相による国会答弁によれば、自警団などの動きを見て日本政府が千葉県の習志野陸軍廠舎(しょうしゃ)などに収容・保護した朝鮮人は計6797人に上る。これと確かに殺害されたという233人を引くと残りは2700人あまりだ。
しかも日本人の死者との対比で震災で直接亡くなった朝鮮人も約1900人と推定されるから、虐殺の対象となったのは800人前後と見る。
工藤氏によれば、震災直後何とか東京で発行できた新聞や地方紙に、朝鮮人による集団暴行の事実を示す記事や目撃談が数多く載せられている。だから自警団らはありもしない「流言蜚語」で動いていたわけではないという。その上で、大震災の混乱に乗じ、首都で大暴動を起こす動きがあったことを強く示唆している。
【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(33)震災後覆った無政府状態 「流言蜚語」による「虐殺」だったのか(3/3ページ) - 産経ニュース
大震災から4年半前の大正8(1919)年3月1日、朝鮮で独立を求める「三・一運動」が起きた。これを機に日本の朝鮮総督府は、武力を前面に出さない「文化統治」に転じた。
だが独立を求める動きが鎮静化したわけではない。上海の「亡命政府」を拠点に、在日の一部朝鮮人に日本人の社会主義思想家らが結びつき、日本政府を転覆させ一気に独立を勝ち取ろうという不穏な動きがあった。
彼らはこの年の11月27日に予定されていた摂政宮(皇太子、後の昭和天皇)のご成婚の日に決起しようとしていた。だがその前に大震災が起きたため、急遽(きゅうきょ)その混乱に乗じようとした、との説は根強い。震災直後、政府が戒厳令を敷いたのも、こうした「情報」を得ていたためとも言える。
無辜の朝鮮人まで殺害されたのは不幸なできごとだった。だが、不穏な動きが続出しているとき、人々が懸命に我が身を守ろうとしていたのも事実だ。(皿木喜久)
流言飛語だったのか? 流言飛語じゃなかったのか?
朝鮮人によるテロ計画は、あったのか? 無かったのか?
テロ計画者のどこの誰で具体名は?計画していた証拠はどこにあるのか?
2018年の社説が正しいのか? 2013年の工藤美代子ちゃんが正しいのか?
産経新聞の立場は、どっちなのか?