在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

#天皇誕生日 天皇陛下御綸言~「沖縄&平和連呼=辺野古御苦言」「外国人労働者入管法=移民御賛成」~安倍政権1勝1敗。

天皇陛下お誕生日に際し(平成30年) - 宮内庁 

昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

 

特別に「沖縄」という蛮地にこだわっていただいている大御心には、感謝いたしております。化外の土人としては、身に余る光栄、ではある。

 

ではあるが、あんまり琉球「だけ」重視するのも、マズいのではないか? 

陛下の臣民の95%以上は、ヤマトに住むヤマトンチュなのだ。

ヤマトがメイン、琉球はオマケ、であるべきだろう。

そして、今回の御綸言では、広島、長崎、原爆という御言葉が無かった。

大東亜戦争という「くくり」でも、悲惨な目にあったのは、琉球だけではない。 

 

そして,戦後60年サイパン島を,戦後70年にパラオペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

 

挙げられたのは、全て、南方の地である。

トータルで、マクロで見ると、今上天皇は、常に、「南方」に御心を注がれていたように思われる。逆に、「北方」への目がやや乏しかった。

 

しかし、エスニシティを保持して140万人も生き残った琉球人はまだ全然マシなのだ。われわれはなんとか生きていける。

それより、アイヌである。

その場しのぎで生き永らえた琉球人なんかより、偉大なる北方の勇者・アイヌの方が筆舌に尽くしがたい残酷にして苦難の歴史を背負っている。とても比較にならない。

もはや、民族としての復興が困難な数にまで減ったアイヌに対して、琉球に勝る御愛情を、陛下から御一言いただければ、ありがたかったように思う。

 

そして、朝鮮半島の地名は、ついに出なかった。

21世紀一発目の綸言には、連発してたんだが、

 

天皇陛下お誕生日に際し(平成13年) - 宮内庁

私自身としては,桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。

 

まあ、昨今の日韓関係(笑)を鑑みるに、出したくとも出せなかったとは思うが。

ついに、おそらく聖上ご本人はご希望されていただろう、御訪韓はかなわなかった。 

当分は無理だろう。

 

安倍ちゃん支持者としては、

「ことさら、沖縄、沖縄、と連呼しやがって、辺野古へのイヤミか?」

とムカついたかもしれないが(笑)、

 

後半で、安倍ちゃんへのアシストを決められた。

 

そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

 

御翻訳すれば、

「日本だって、戦前まで、ブラジルなど南米を中心に、さんざん日本人を移民として送り出していたんだから、21世紀に、外国人移民を受け入れるのもしょうがなくね?

てか、朝鮮だって、満州だって、移民目的で手を出したでしょ? 今さら日本だけ単一民族!移民拒否!って、無理じゃね?」

ということなのだが(笑)、

まあ、安倍ちゃん支持者としては、1勝1敗、ということで、ご納得いただきたい。

 

天皇陛下万歳