在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

琉球はもう十分。 #アイヌ にこそ慈悲深き大御心を!~在位30年記念式典天皇陛下作詞皇后陛下作曲 #琉歌 #三浦大知


初音ミク 平和の琉歌/サザンオールスターズ

 

この国が平和だと 誰が決めたの 人の涙も渇かぬうちに 

アメリカの傘の下 夢も見ました 民を見捨てたいくさの果てに

蒼いお月様が泣いております 忘れられないこともあります

愛を植えましょう この島へ 傷の癒えない 人々へ
語り継がれてゆくために

 

この国が平和だと 誰が決めたの 汚れ我が身の罪ほろぼしに

人として生きるのを 何故に拒むの 隣り合わせの軍人さんよ

蒼いお月様が泣いております 未だ終わらぬ過去があります

愛を植えましょう この島へ 歌を忘れぬ 人々へ
いつか花咲くその日まで

 

左翼丸出し(笑)。

 

三浦大知 両陛下の琉歌披露へ「全身全霊で歌わせていただきます」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

2019年1月17日
 歌手の三浦大知(31)が2月24日、東京・国立劇場で開催する天皇陛下在位30年記念式典で天皇陛下が作詞皇后さまが作曲された琉歌(沖縄の歌)を披露することが発表された。
 三浦は沖縄県出身で歌唱力とダンスに定評があり、紅白歌合戦にも2年連続で出場している。公式サイトで「天皇陛下御在位三十年を記念して行われる式典の中で天皇皇后両陛下が作詞作曲された『歌声の響』を歌わせていただく事になりました。選んでいただいた事、両陛下の想いから生まれたとても大切な一曲を歌わせていただける事、本当に光栄です。天皇陛下御在位三十年のお祝いの心と感謝をもって、この楽曲に込められた素晴らしさやメッセージが聴いてくださった皆様に届くよう全身全霊で歌わせていただきます。」とコメントを発表した。
 ツイッターなどネット上では「すごいな」「すごいね!なんかもう言葉が出ないよ」「実力の賜物だね」「次元が違うコラボすぎる」「歌唱力が日本代表ってことですよね」と驚きの声があふれた。

 

まさに、「平成の隼人舞」である。

古来、日本の朝廷では、祝時において、九州南部に盤踞する異族・隼人に夷狄の舞いを舞わせていた。野蛮が持つ生命力で邪気を祓う意味合いがあったのだろう。

その再来とも言うべき、琉球人の誉れ(汗)である。

 

音楽は完全に門外漢で、カン違いもあると思うが、わかりやすく書けば、

「琉歌」というのは、「琉球のミュージック」ではないと思う。つまり「琉球フォークソング=民謡=曲」ではない。

琉歌は「琉球定型詩」つまり日本の和歌「五七五七七」に該当する。

ちなみに琉歌は「八八八六」となる。

日本人と琉球人では体感リズムが異なるのだ。

もちろん定型詩だから「リズム=節」はある。しかし「曲」があるとは言いにくい。

例えば、和歌に「曲」があるのか?、と言われたら、困るだろう。同じである。

 

聖上御製の詩は興味深いが、皇后陛下の曲に付いては、それほどオリジナリティは期待できないだろう。定型詩の節には古典ゆえに「縛り」があるからだ。

 

まあ定型があればこそ破型もある。サザンの桑田のように型破りに作れないこともない。

 

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毎度毎度思うのだが、もちろん、化外の土人として、陛下の慈悲深き大御心の有難さに感涙如河ではある。

ではあるが、モノには限度がある。

畏れ多いが、聖上におかれましては、余りに南蛮属地・琉球への依怙贔屓が過ぎる、と諫言申し上げ奉りたい。

 

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日本は、北海道から九州まで伸び、その地に1億2千万のヤマトンチュが住む。

これが日本である。彼ら彼女らが、陛下の赤子、臣民なのだ。

一天万乗の君として、東西南北、貴賤を問わず、全ての民草に遍く、分け隔てなく、皇恩を賜るのが大前提だ。

 

しかし、畏れ多いことながら、今上陛下に置かれましては、蛮地琉球、異民族琉球人にお心を傾け過ぎである。

 

確かに、先の大戦において、琉球にも惨禍はあった。そこにお心痛まれるのは有り難いが、惨禍があったのは、何も、琉球に限らない。

広島も長崎も原爆を投下され、東京も大空襲を受けた。日本国中が火の海であった。

 

ヤマトの君主として、蛮人の小島にお心を奪われ、日本人が亡くなった広島長崎を軽視していいのだろうか? 

在位式典にて、琉球を特別視し、広島長崎を無視するは、御英慮と言い難し。

 

先の大戦の結果、日本は琉球アメリカに下げ渡した。

そして、それは日本政府の決定というだけではなく、先帝・昭和天皇も、琉球アメリカ軍政を、明確に、積極的に、肯定している。

その過去を、皇室として、お気になされているのかも知れないが、政治は非情なるモノなのだ。

 

昭和天皇沖縄メッセージ~尖閣沖縄が日本なら、朝鮮も日本。~ #ウーマンラッシュアワー #村本大輔 #朝生 - 在日琉球人の王政復古日記

 

日本列島が生きるか・死ぬか、独立できるか・できないか、の土壇場で、琉球守って日本を捨てるは愚の骨頂である。

自宅が火事になって、妻子を救わず、握手会で撮ったアイドルとの2ショット写真を持って避難するのは狂人だろう。

本丸を守るために、出城は捨てる。日本を守るために、琉球は切る。これぞ国家総覧者として、当然の判断であった。

 

昭和天皇琉球放棄に恨み言を言う連中もいるだろうが、そういう連中は、日本人だろうが、琉球人だろうが、

満洲は日本の生命線」と叫んで、真珠湾に突っ込んで、日本を丸ごと失った、どこかの国の軍人たちと同じ、モノゴトの優先順位を理解できない馬鹿なんだから、無視すればいいのである。

 

もちろん、広島長崎の民は陛下と同じ大和民族、しかし琉球は異民族。

大和民族の被害は自己責任・自業自得の面があるが、日本の国策に無関係な異民族を巻き込んだのは悪かった、という慈悲深き大御心は有り難いのだが、

 

異民族の被害だって、なにも琉球人だけが唯一該当するわけではない。

お馴染み(笑)の朝鮮人だって、日本の国策に被害を受けている。

 

ただし、朝鮮人は、日本統治の被害を針小棒大に語り、利益=近代化を故意に無視する悪癖がある。

琉球人だって、沖縄戦アメリカ軍政期、米軍基地に関しては、日本を批判するが、戦前沖縄県のインフラ整備や教育制度を「古き良き琉球を破壊した悪魔の所業なり!」と批判する人はほとんどいない。

 

日本の琉球統治には、闇もあれば、光もあるのだ。

日本の朝鮮統治にも、闇もあれば、光もあるのだ。

この2つの歴史的評価はほとんど同じはずなのであり、一方が近代化の恩恵を受け、もう一方がこの世の地獄、なんて意見になるのは、どちらかに変なバイアスがかかっている証拠である。

 

さらに、平成も終わりになって、日本と韓国の関係は悪化の一途をたどり、天皇陛下の御心内は、朝鮮半島の人々への「お詫びのお気持ち」は溢れんばかりだと思うけれども、現状でそのカミングアウトは不可能であろう。

 

しかし、日本の国策に巻き込まれた異民族は、琉球人と朝鮮人だけではない。

琉球人よりも朝鮮人よりも悲惨を極め、戦争でもないのに生活に困窮し、近代化の恩恵をほとんど受けなかった民族がいる。

 

北方の偉大なる勇者・アイヌ、である。

 

近代化や補助金というアメ玉をしゃぶらされて、自尊心というキンタマを無くしてしまった、琉球人の私にとって、戦って戦って戦い抜いた偉大なる「アイヌ」は、おのれの恥を思い出す、身を斬られる3文字だ。

シャモ=和人との圧倒的戦力差に屈したアイヌは敗者かもしれないが、ヤマトに土下座して尻尾を振った琉球人は敗者ですらない。「敗者という栄誉」すらおこがましい。

アイヌが受けた悲惨苦難に比べれば、琉球人の歴史なんて極楽である。

 

琉球人は140万匹もいる。出生率もヤマトンチュより高い。

琉球諸島という住処もある。エスニシティな文化も継承している。

琉球人は、なんとか、生き残っていけるだろう。

 

しかし、アイヌは数万人しかいない。北海道も彼らだけの居住地ではない。

エスニシティな文化を継承が危ぶまれている。

このままでは、アイヌは滅亡・消滅の淵にいる。

 

日本人は琉球を語り過ぎなのだ。

日本人は朝鮮を語り過ぎなのだ。

日本人が語るべきは、考えるべきは、政治的・歴史的責任を感じるべきは、黙して語らぬまま、消えゆくアイヌたちなのである。

 

畏れ多いことながら、天皇陛下に言上奉る。

化外の南蛮・琉球人にご親愛賜るは見に余る光栄。

しかし、最優先に御慈愛を受けるべきは、140万琉球人に断じて非ず。

 

令和の御世におかれましては、蝦夷地にて、苦難の歴史を歩み、もはや数万人を切った(アイヌ衰亡に関してはその責任は99.9%日本にある)、アイヌにこそ、日本民族=和人=シャモの「族長」として、最優先で、暖かき御慈悲を賜りますよう、伏して、伏して、御願い奉ります。