在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

#座間9人殺害事件 #白石隆浩 #死刑 ~「楽をして生活したい」=人間解体9回キツイ・キタナイ・キケン重労働。

検察側、白石被告に死刑求刑 座間の9人殺害公判:朝日新聞デジタル

2020年11月26日
 神奈川県座間市のアパートで2017年、15~26歳の男女9人の遺体が見つかった事件で、強盗・強制性交殺人などの罪に問われた白石隆浩被告(30)に対する裁判員裁判の第23回公判が26日午前、東京地裁立川支部で始まった。検察側は論告で、「前代未聞の猟奇的な殺人で極めて悪質だ」と述べ、死刑を求刑した。

 

2017年、9名連続殺人死体損壊事件。

同じ神奈川県ではあるが、まったく無関係の殺人事件が2019年にもあった。

 

海岸に女性遺体、両足切断の可能性 神奈川県警が捜査:朝日新聞デジタル

2019年6月27日
 27日午前8時半ごろ、神奈川県平塚市高浜台付近の海岸で、近くで働いている男性(42)から「波打ち際に足のない女性が漂っている」と119番通報があった。女性は病院に搬送されたが、死亡が確認された。捜査関係者などによると、遺体は死後それほど時間は経過していないとみられるが、両足とも太ももから下の部分がなく、切断された可能性があるという。県警は事件に巻き込まれた疑いがあるとみて調べている。
 県警によると、女性は成人とみられ、衣服を身につけていなかった。うつぶせの状態で見つかったという。現場はJR平塚駅の南約1・5キロの砂浜。

 

両足だけ切断の遺体。「両足だけ」なのが気になって、某SNSに感想を書いた。

 

※予断と偏見※足の切断でもう限界だったんだろう。最初に首、じゃなかった時点で最初から無理だった。 | mixiユーザー(id:545566)の日記

2019年06月28日12:27

何の事実も知らない。予断と偏見で書く。
遺体の切断は、怨恨の爆発という場合もあるけれど、だいたいは「運びやすいように」、つまりは死体の隠蔽=犯罪の隠蔽が目的だ。
バラバラにして、運んで、埋める。
しかし、今回は、両足だけ。中途半端である。

バラバラにするなら、両足、両手、首、胴体、となるが、胴体が難物だ。内臓が入っているからだ。切ったら噴き出してくる。準備しておかないと、収拾がつかなくなる。
つまり、心の底から鬼畜にならない限り、死体はバラバラに出来ない。

おそらく、絞殺。
バラバラにしようと思ったが、両足を切った時点で、あまりのおぞましさに、精神的に限界を超え、もうギブアップだったんだろう。

そもそも、切るとすれば、心理的に、最初は、首になるはずだ。
首だけ切って隠しても、事件の隠蔽にはなるからだ。

今回のように、両足から、というのはあんまりないだろう。
おそらく、彼女の「顔」を見続けることが出来なかったんだと思う。
顔を見ることができない。その時点で、最初から殺しは無理だったのだ。

以上、予断と偏見である。事実は知らない。間違ってる部分が多いと思う。

人を殺してはいけない。99.99%人生を損するし、後悔する事になる。 

 

すぐに犯人が逮捕された。

 

海岸の女性遺体、遺棄容疑で夫を逮捕 「両足を切断」:朝日新聞デジタル

2019年6月28日
 神奈川県平塚市の海岸で両足の太ももから下がない女性の遺体が見つかった事件で、県警は28日、川崎市宮前区神木本町5丁目、会社員平(たいら)聖也容疑者(26)を死体遺棄容疑で逮捕し、発表した。遺体は平容疑者の妻で会社員の楓吹(ふぶき)さん(26)で、平容疑者は「スーツケースに入れて遺体を運んだ」と容疑を認めているという。
 捜査1課によると、司法解剖の結果、楓吹さんの死因は首を絞められたことによる窒息死とみられ、足は鋭利な刃物で切られていた。平容疑者は楓吹さんの殺害についてもほのめかし、「他人を見るような妻の目に耐えられなかった」と説明しているという。「妻の両足を切断した」と話しているといい、県警は平容疑者が自宅で楓吹さんを殺害し、遺体を切断したとみて、殺人や死体損壊容疑でも調べる方針。
 平容疑者は27日未明、楓吹さんの遺体を平塚市高浜台の海に遺棄した疑いがある。同日夜川崎市の高津署に自首した。捜査関係者によると、「海までタクシーで行き、沖まで泳いで遺体を流した」と話しているという。

 

予想通りだった。

 

※予断と偏見※《妻の目》〜両足を切断したのではない。首を切断できなかったのだ。 | mixiユーザー(id:545566)の日記

2019年06月28日21:37

事実は知らない。予断と偏見で書く。

勝手に書いたが、だいたいは当たっていたようだ。

死体が見つかっただけで、捜査も始まってないのに、いきなり自首したのも、なんとなく、分かる気がする。
おそらく、ずっと眠れないで、ずっとネットとテレビで、遺体発見のニュース速報を待っていたんだと思う。

彼は両足を切断したのではない。首を切断できなかったのだ。

「他人を見るような妻の目に耐えられなかった」

妻の目を、妻の顔を、見続けない限り、妻の首は切れない。
それが出来なかった。
妻の目に耐えられなかった。
その時点ですでに「負け」だった。

 

私の予断と偏見がたまたま当たったのは、川崎妻殺し夫が私に近いからだ。

近いからこそ「首を切断しなかったのは出来なかったのだ。死体の顔(彼は目と表現したが)をマトモに見られなかったのだろう」と彼の心情を想像できた。

 

時代劇の斬首刑のシーンだって、罪人の顔を紙で覆い、執行人は罪人の顔(眼)を見ないで済むようにする。眼は生命力であり、眼力には呪力がある。見るだけで呪いをかけることができる。だから死者の目は閉じさせる。

 

偶像破壊の一神教VS偶像崇拝の漢字(その2)~消去されたムハンマドの「顔」VS処刑されたキツネと仏の「首」。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

妻の目もマトモににらみ返せない、弱いアンタに人殺しなんか無理なんだから、最初からやるべきじゃなかった。弱い私は弱い愚か者がよく解かる。

 

同じ人殺しでも、心情が想像できる人殺しもいるが、想像ができない人殺しもいる。

 

犯行の2カ月「すごく楽な生活」 座間9人殺害公判で白石被告 - 産経ニュース

2020.11.24
 神奈川県座間市のアパートで平成29年、男女9人が殺害された事件で、強盗強制性交殺人などの罪に問われた無職、白石隆浩被告(30)の裁判員裁判の第21回公判が24日、東京地裁立川支部(矢野直邦裁判長)で開かれた。白石被告は殺害や遺体の解体を繰り返した約2カ月間を振り返り「すごく楽で、自分の快楽をずっと追い求めたような生活だった」と述べた。
 白石被告は29年8月下旬に最初の被害者を殺害してから10月末に逮捕されるまで、犯行を繰り返す傍ら、新たな女性に出会うためのやりとりをSNS(会員制交流サイト)で進めていたとされる。
 被告人質問では「誰かに会うとき以外は布団の上で携帯(電話)をいじっていた」「1日8時間、物を運ぶ倉庫内のアルバイトより楽だった」などと述懐。「証拠の処分をしなきゃとか、今やり取りしている人は金になりそうかとかを考えていた」とし、被害者の気持ちを考えることは「なかった」と淡々と述べた。犯行は自身を養ってくれる女性に出会うまで続けるつもりだったという。
 また2人目の被害者までは「本当に殺していいか迷った」ものの、以降は「罪の意識が薄くなった」と説明。ただ、逮捕後に捜査員と部屋に残していた頭部の遺体を確認した際、初めて「ちょっとまずいことをしたなと思った。同じ人間という生き物をこんな状態にしてしまった」と気付いたと明かした。 

 

川崎妻殺しの心情は想像がついたが、座間9人殺しの心情は想像もつかない。

 

座間9人殺しの動機に不思議はない。世の中にあふれる凡百の犯罪と同じく、金銭欲と性欲だ。オレオレ詐欺や電車の痴漢と変わらない。

 

動機は解かるが、その手段に結びつかない。

 

「協力した女性に対する恨みは……」座間9人殺害事件・白石被告が法廷で声を荒らげた瞬間 | 文春オンライン

 一貫して「楽をして生活したい」と語っている白石被告

 

 「楽をして生活したい」という動機は解かるが、その手段が2か月で9人殺しである。

 

9人の人間を殺す。それだけなら、難しくはない。

相模原障害者施設殺傷事件はたった一晩で死者19人・負傷者26人である。手段は刃物だ。

 

老人・病人がモノに見える病院・介護施設~横浜看護師殺人20名VS相模原障害者殺人19名VSオウム真理教殺人29名。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

京都アニメーション放火殺人事件は死者36人・負傷者34人。たった1日というか一瞬の出来事だ。作業はガソリン運搬とライター1個だ。

 

#京アニ 観念論~放火殺人事件の本質は「アニメ」にはない。 #京都アニメーション #山本寛 #ヤマカン - 在日琉球人の王政復古日記

 

#京アニ 唯物論~放火殺人事件の本質は「ガソリン」にこそある。 #京都アニメーション #山本寛 #ヤマカン - 在日琉球人の王政復古日記

 

しかし座間9人殺しは、殺しただけじゃなく、死体損壊が加わる。


皆さんも自分の胸部や腹部を触ってみて欲しい。
胸部は硬い硬いあばら骨で覆われている。こんなのをノコギリで切るのは大変な作業である。手足はもっと硬い。
腹部はブヨブヨと大量の内臓がつまってる。切ったら内圧でドバっと噴き出してくる。
キッチンで豚肉1キロを料理するだけでも大変なのに、平均50キロもの骨付き肉を解体するのだ。しかも専用施設もない狭いアパートである。
死体の解体というのは、3K(キツイ、キタナイ、キケン)の重労働なのだ。それも2か月で9回。

 

狭い部屋に死体9体。確実に臭うし、腐れば、もっと臭う。

 

座間9人殺害事件 白石被告は、17歳女子高生の「解体した内臓を買い物袋に入れた」 | 文春オンライン

防犯カメラに映っていた時間帯の後も、ドラッグストアとコンビニで食料品を買っている。クリエイトS・Dでは、カップ焼きそば2つ、ローソンではペペロンチーノ、スモークチキンサラダ、にんにく43グラム、明治チョコレートなど。これらは食事用に購入している。検察官に「(遺体の)臭いがあったと思うが」と聞かれたが、「Gさんの頃には慣れていました。食欲も減退していません」と答えた。

 

座間の人殺しは2か月間、死体の転がる同じ部屋で寝起きして、コンビニで買ってきたメシを食っている。食欲も減らなかったらしい。

 

それだけの3K重労働のくせに、トータルで大した金銭を奪取したわけじゃない。

ノコギリ、消臭剤、ジップロック、死体処理のコストだって馬鹿にならない。

 「楽をして生活したい」と言いながら、とてつもない働き損である。

 

楽したい、金銭欲と言いながら、性欲、そして本人は自覚してないんだろうが、殺人嗜好、死体損壊嗜好が勝っていたのだ。

経済合理性は全く無いし、怠け者には絶対できない仕事である。そして死臭漂う部屋でペペロンチーノを食う。

 

私もミステリや犯罪実録本を読むから、大量殺人鬼の理屈は知っている。

大量殺人鬼の理屈は解かるが、心情は全く理解不能である。

 

理屈は解かるが、心情は全く理解不能、というのなら、加害者同様に、申し訳ないが、個人的には、被害者の理屈(だけ)は理解できるが、心情は理解が難しい。

 

「被害者は自殺志願だった」。それは私にも判る。私だって何十年も生きてきて自殺を想像しなかったわけじゃない。

「死にたい、とtwitterで書いたが、実際には死にたくなかった」。私にもよく解る。理屈も判るし、心情も判る。

「誰か私の話を聞いて欲しい」。これも判る。今この瞬間、こうやってブログを書いているのは、誰かに私の意見を読んで欲しいからだ。

 

でも、実際にオフラインであかの他人と会う必要が、その心情が判らない。

 

私の意見はオンラインで他人に伝えられる。

少ないながら(笑)相手からの反応もたまには来る。読んでくれて、反応してくれて、本当にありがたいことである。

他人からの反応が少ないのは、他人にとって面白い内容が書けない私の才能の欠如であって私が悪い。自業自得だ。

 

他人がオンラインで私の話を読んでくれた。これ以上の何を望むのか? 

オンラインなら、コロナ感染の危険もない。

オンラインなら、殺人鬼に殺される危険もない。

オフラインで会わなくてもイイじゃないか。なんで、生身の他人と会いたいのか?その心情が判らない。

 

私はかなりの人間嫌いである。

 

寂しいという感情を持ったことが、幼少期を除いて、あんまりない。

人間に対して、寂しさよりは、鬱陶しさ・邪魔臭さの方がはるかに苦手である。

あかの他人であろうが、知人友人であろうが、オフラインの接触は必要最小限で構わない。

 

他人だけでなく、自分自身も嫌いだ。本当にイヤでイヤでたまらない。

今年体調を崩してからはますます人間嫌いになった。自分でも異常だと自覚はある。

 

政治とは人間と人間の関係である。無人島のロビンソン・クルーソーに政治はない。

なのに、人間嫌いのクセに、政治という腐臭の肥溜めには心惹かれて止まない。

私は、私を理屈では理解できるが、私の心情は全く理解できない(笑)。

 

キリスト教なんか信じられない。永遠不滅の神=他者なんて信じられない。

久遠実成の本仏を唱える法華経だの、広大無辺の慈悲を下す阿弥陀如来の浄土信仰だの、同じく信じられない。

同じ仏教なら大乗仏教よりも、犀の角のごとく孤独を説く小乗=上座部の方が信じられる。

 

孤独死=無縁死=無縁仏~ #上西小百合 「他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」=釈迦「犀の角のようにただ独り歩め」 - 在日琉球人の王政復古日記

 

なのに私は、人間と人間の関係性=仁を主張する支那孔子を、他人が存在しないと成立しない儒教を、奉じている。自分でも不思議だ(笑)。

 

私は、私を理屈では理解できるが、私の心情は全く理解できない(笑)。

自分でも異常だと自覚はある。