在日琉球人の王政復古日記

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【 #枝野寝ろ 】2011年大震災原発事故・菅直人首相&枝野官房長官VS2020年コロナ・安倍首相&菅義偉首相

今見てるSNStwitterではなく、【あなた自身の当時の記憶】を思い起こそう。

 

2020年菅(スガ)首相「ガースーです」コロナVS2011年菅(カン)首相「死んだっていいんだ。俺も行く」大震災&原発事故。 - 在日琉球人の王政復古日記

  

大震災時の枝野氏「不眠不休」が判明 「4日間は1~2時間うたた寝程度」: J-CAST ニュース【全文表示】

2013年01月25日
2011年3月11日の東日本大震災直後から数日間「不眠不休で対応に努めた」と一時は賞賛された当時の官房長官枝野幸男氏の睡眠時間が分かった。「1~2時間うたた寝した程度」だったそうだ。
枝野幸男さんとの語らい」と題する2013年1月24日付のブロゴスの記事中で、民主党参議院議員・山根隆治氏が明かした。
「もっとスゴイ人」は福山哲郎参議院議員
枝野寝ろ!」「枝野寝て」――2011年3月11日に起こった東日本大震災の直後、ネットでは枝野氏の連日の対応が「不眠不休」状態で心配だと話題になり、こんな応援メッセージが相次いで寄せられていた。
山根氏の記事によると、1月20日に枝野氏と同席した際に3.11当時の睡眠時間を尋ねたところ、
「椅子に座って4日間は1~2時間うたた寝した程度」
と言われた。
これだけでも驚きだが、枝野氏の話では「もっとスゴイ人がいた」。それは当時副官房長官をしていた福山哲郎参議院議員で、いつも枝野氏を起こしていたというから、さらに睡眠時間が少なかったことが伺える。
そこで後日、山根氏は福山氏にも水を向けた。やはり答えは「4日間は全く寝ていなかった」。「頭はまわっていたの?」と畳み掛けたら、「所々の記憶が消えている」と笑っていたそうだ。

 

「びっくり!」といった感想がツイッター
これまで、枝野氏の不眠不休時間は109時間(4.3日)とネットで噂されてきたが、公表はされていなかった。そのため、「ああ、本当にあの時は内閣官房は寝てなかったのか」「びっくり!」といった感想がツイッターで寄せられている。
枝野氏は震災直後から4日間、何かあるとすぐに会見に立ち、事態の報告と記者の質問対応に努めた。それがあまりにも昼夜を問わなかったため、多くの人が感心すると同時に、「働きすぎだよ大丈夫か…」などと健康状態を心配した。
ツイッターでは「#edano_nero」というハッシュタグがつくられ、海外のユーザーの間にも「#sleepforjapan_edano」と形をかえて広まった。
ただ、2年弱を経て、ツイッターでは当時と異なる反応も出ている。
「『所々の記憶が消えている』 なんて都合がいい…」
「まるで枝野だけが仕事をしていたようだな。民主党ではそうだったかも知れないけど」
こんな冷ややかな見方もないではない。

 

【衆院選】立憲民主党・枝野幸男代表街頭演説詳報 「枝野寝ろ」ならぬ「枝野立て」の声に押され決断(1/3ページ) - 産経ニュース

2017.10.4
 立憲民主党枝野幸男代表は4日夕、JR中野駅前で、同党結成に参加した長妻昭厚生労働相らとともに街頭演説会に臨んだ。
 枝野氏といえば、旧民主党政権の官房長官として東日本大震災東京電力福島第1原発事故に対応した際、昼夜を問わず記者会見に臨む姿に、インターネット上で「枝野寝ろ」という呼びかけが広がったことで知られる。
 枝野氏は演説で、新党結成について「1週間前は全く考えていなかった」と述べ、「枝野寝ろ」ならぬ「枝野立て」の声に押されて決断したことを明かした。詳報は次の通り。

 

「#枝野寝ろ」その裏で家族を襲ったデマ。妻はパスポート片手に選挙区を回った

2019年11月17日
(略)
#枝野寝ろ」夫へのエールの裏側で…
2011年3月11日、当時の民主党政権で夫は官房長官を務めていた。
地震津波、そして福島第一原子力発電所での事故。予断を許さない状況が続いた。10日間、自宅である議員宿舎に帰ってくることはなかったという。
テレビのむこうで青い防災服に身を包み記者会見に立ち続ける夫の姿を、見守り続けた。
双子の息子たちは当時5歳、何が起きているのか知る由もない。
#枝野寝ろ」。エールを送るハッシュタグと共にSNSには不眠不休で対応にあたる夫を気遣う言葉が溢れていた。
だが、その裏で不確かな情報や不安ゆえか、心ない言葉を投げかけられる機会も増えていった。
震災の発生後、知り合いからはこんな電話がかかってきた。
「いま、あなたどこにいるの?」
自宅で子どもと一緒に過ごしていると伝えると、思わぬ一言が返ってきた。
「本当は違うところにいるんでしょう?」
不安で居ても立ってもいられない人たちからは、「自分たちは家族で逃げようと思っている」といった連絡が次から次へと寄せられた。
「夫は私たち家族にも、記者会見の内容と同じことを言っている。自分たちもここにいるんだから安心して」
気付けば1日に何十通も寄せられるメールに、いまは落ち着いた行動をとるように返信し続けていた。
「他の人に枝野が言っていることは間違いではないんだと裏付けしないといけなかった。それは、自分自身にとっては大きなストレスになっていましたね」
震災後、思いもよらぬデマの被害に
本では、震災後に家族に関するデマが流布されたことも明かした。枝野家には震災後、思わぬ誹謗中傷がつきまとった。
枝野の妻と子どもはシンガポールに行っていた
事実無根だったが、選挙区である地元・大宮を中心にデマが広まっていた。ある政治家は和子さんたちがシンガポールに逃げていたという嘘の情報を発信し続けた。
「夫は政治家で、目立つこともありますが、家族である私たちもこんな被害に遭うのかと驚きました」
知り合いからは「枝野さん、脱出していたんでしょう?」と声をかけられた。ある支援者からは自宅を訪問した際に、「もう、うちには来なくていいから」と言われてしまった。
「まさに心を折られる体験です。そんなの言ったもん勝ちじゃないですか」
大宮の事務所には、いつでも有権者に閲覧してもらえるよう息子2人のパスポートを置き、自分はパスポートを片手に選挙区を回った。
しかし、確かな証拠を見せ、否定しても、デマはそれを上回るスピードで拡散していく。その光景に、歯がゆさばかりが募った。
いまの時代、嘘やデマに踊らされ、誰かの人生が踏みにじられることが増えているのではないか。そんな不安を口にする。
嘘をついた者勝ちになりつつある。それが不安です。噂話や明らかな嘘があたかも本当のことのように出回って、しかも被害にあった人の多くは反論できる術もない」
「どうしたらいいのか、まだ答えは出ていません。それでも、私は一度ちゃんと真実を伝えたかったんです」
(略)

 

尊皇「御動座上奏」「悠仁親王殿下死守」愛国「死んだっていいんだ。俺も行く」~原発事故VS旧民主党菅直人宰相。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

2014-12-31《質問》東京「被爆」や否や?→《回答》悠仁親王殿下「御在京」限り、帝都安泰なり。 - 在日琉球人の王政復古日記