在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

東日本大震災10年~朝日新聞「謝謝台湾」VSフジテレビFNN「ハングク、コマッスムニダ」

日本の漫画家から「謝謝台湾」 震災10年、現地で催し:朝日新聞デジタル

2021年3月11日
 東日本大震災から10年が経つのに合わせ、当時、台湾から受けた支援に感謝する催しが台湾各地で続いている。日本台湾交流協会(大使館に相当)は10日から台北市のギャラリーで、日本人漫画家ら80人余りが色紙に描いた感謝のメッセージなどを展示。台湾在住の日本人らが、謝意を刻んだ石碑も建立した。
 台湾の呉釗燮(ウーチャオシエ)外交部長(外相)は10日、日本台湾交流協会のイベントのオープニング式典に出席し、「台湾が地震や困難に直面したとき、日本もずっと台湾のことを気にかけてきてくれた。世界のどんな国々も、台日のような関係を築いてはいない。今後10年も同じように互いに助け合っていきたい」とあいさつした。
 式典には、震災直後に宮城県で被災者の救助にあたった台湾の救助隊員らも出席。同協会の泉裕泰・台北事務所代表(大使に相当)から記念品を贈られた。
 27人の同僚と被災地で活動した台北市救助隊の劉奎佑さん(43)は「津波のため住居と道路の見分けがつかない状態で、現場にいた日本の警官が『多くの住民がまだ行方不明なんです』と助けを求めてきたことが忘れられない。犠牲になった全ての人々を忘れてはいけないと思う」と語った。
 ギャラリーには、日本の人気漫画家80人余りが漫画のキャラクターと「謝謝台湾(ありがとう台湾)」などのメッセージを描いた色紙のほか、デザイナーの故高田賢三さんの呼びかけに応じて、台湾の人々が作った「起き上がりこぼし」が並ぶ。
 台湾からは震災後、官民合わせて計250億円超の義援金のほか、多くの支援物資が届けられた。
 台湾に住む日本人の有志は今月、こうした台湾の支援に感謝の気持ちを示そうと、台北郊外の淡水駅近くに「日台・心の絆」と題した記念碑を設置した。「謝謝台湾 私たちは忘れない」といった言葉が刻まれている。(台北=石田耕一郎)

 

震災10年…忘れてはならない隣国の支援

FNNプライムオンライン

2021年3月11日 木曜
東日本大震災から10年という大きな節目を迎えた2021年3月11日。多くの人が未曾有の大災害を振り返り、未来に思いを馳せたことだろう。筆者は宮城県出身で、この間、被災地の取材を続けてきた。この日が来るたびに震災がもたらした悲劇・教訓を後世のために繋いでいかなければならないと強く思う。だがもう一つ、この節目で私たちが決して忘れてはならない事がある。発災当時に世界中から寄せられた手厚い支援の数々だ。
最も早く被災地に駆けつけたのは韓国の救助隊だった
2021年3月11日午後2時46分、韓国ソウル市内の日本大使館の施設で、一人の男性が被災者に黙祷を捧げた。男性の名は李東星(イ・ドンソン)さん。発災当時韓国から被災地に入った、100人を超える救助隊の隊長を務めた。
震災後の国際支援と言えば、急遽空母を派遣するなど「トモダチ作戦」として大規模な人的・物的支援を展開してくれた同盟国アメリカと、200億円以上という破格の義援金を寄せてくれた台湾を真っ先に思い浮かべる人は多いだろう。
隣国韓国は、それに比べあまり話題に上ることはなかった。さらに、震災発生半年後の2011年9月、韓国・全州で開かれたサッカーの試合で、「日本の大地震をお祝います」(※「お祝いします」と書こうとして間違えたとみられる)と書かれた横断幕が一部の心無い韓国人サポーターによってスタンドに掲げられた。
震災を揶揄・中傷するような、にわかには信じがたい行為だ。この蛮行は日本で大きく報じられたため、韓国に対して「負の記憶」を持っている人は多いのではないだろうか。津波で家を失い、大切な人を失い、今も苦しむ被災地の人々の気持ちを考えれば当然のことだ。
しかし、諸外国から被災地に派遣された国際救助隊のうち、最も早かったのは、実は李隊長が率いる韓国の救助隊だった。震災後2カ月間で23の国と地域から人的派遣の支援を受けた日本。派遣された方々は救助・捜索活動や医療支援、がれきの撤去など多岐にわたって活動し、その存在は多くの被災者を勇気づけ、励ますものだった。
李隊長率いる韓国隊は震災翌日の12日に世界で最も早く被災地入りし、宮城県仙台市多賀城市などで行方不明者の捜索活動にあたった。当時、韓国から派遣された救助隊は吹雪が舞い込むテントで寝泊まりし、救助活動に当たったという。総勢107人の韓国隊は12日間被災地で活動し、18人の遺体を発見、収容してくれた。あれから10年、在韓日本大使館は、きょうソウルで「東日本大震災から10年 感謝と復興」という式典を開催し、李隊長に感謝状を贈った。
李さんは当時を振り返り、「私たちは当時、あらゆることが落ち着いていない災害現場で活動した。日本の皆さんはあの日の苦痛、惨事から立ち直り、復興を遂げるために多くの努力をして困難を克服してきたと思う」と述べ、被災地に思いを寄せた。
関係が悪化しても韓国からの支援を忘れてはならない
そもそも、震災直後の韓国国内はどんなムードだったのだろうか。当時の話を韓国人の友人に聞いてみると、街中には「頑張れ日本」「日本の痛みを分かち合おう」といった日本を応援するメッセージが掲げられ、至る所で募金活動が行われていたという。多くの人が日本のいち早い復興を祈っていたのだ。実際、日本赤十字社に寄せられた韓国からの寄付は、少なくとも29億円を超える。アメリカや前述の台湾などの陰に隠れがちだが、その額は決して少なくない。
震災発生後、韓国国内の至るところで日本を応援するメッセージが掲げられた
慰安婦問題やいわゆる徴用工問題などで、過去最悪と言われている日韓関係。ただ、10年前のあの日、いち早く手を差し伸べてくれた隣国があったことを私たちは忘れてはいけないだろう。
ふるさとの復興を後押ししてくれた韓国の迅速な支援は、被災地出身の筆者にとっては感謝以外の何物でもない。
(執筆:FNNソウル支局 熱海吉和)

 

台湾だって、琉球だって、朝鮮だって、同じ時期に、同じように、統治された。

台湾の対日感情、琉球の対日感情、朝鮮の対日感情、朝鮮だけ極端に異なる理由が、日本側にのみある、という理屈は説明が難しいだろう。

 

琉球沖縄戦で火の海にされたが、朝鮮は大東亜戦争の戦火はほとんどなかった。

琉球反日感情が韓国の反日感情より激しいのならば納得できるが、サカサマなのは説明が付かない。

 

朝日新聞が台湾への感謝を書き、

フジサンケイグループが韓国からの支援も忘れるなと書く。

この「ねじれ」が日本の責任だというのは無理がある。

 

植民地時代の2倍、70年を超える、韓国の反日教育に、いったい、何の意味があったのか? 

 

半島の韓国人の、ある意味、娯楽に堕している反日言動で、真っ先にトバッチリを食らうのが、日本に住むノンポリ在日韓国人だ。 

韓流ドラマも、K-POPも、慰安婦と徴用工で、ビジネスチャンスを大きく失った。儲け損なった。

災害救援の意味すら歪んでいく。

韓国自身にも、いったい、どんなメリットがあったのか?