在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

100日後に死ねないわれわれ~ #100ワニ #100日後に死ぬワニ #100日間生きたワニ #電車男 #カメラを止めるな!

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生きる。」のではない。

死ねない、、、」のだ。

  

SNSから盛り上がった、二次展開のエンタメ作品と言えば、これを思い出す。

 


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いきなり、DAICON FILMを持ってきたのは、この「プロジェクト」の本質を、オタク文化を、よく「解ってる」センスの良い人が携わっていたということだ。

「解ってる」人が「運転」してくれた。

電車男」という作品は本当に幸運だった。

この電車に「乗車した」ファンたちも幸運だった。

今でも、良い思い出だけが残っているだろう。

 

宗教は、最初、「個人」を救うモノでは無かった。

 

雨を降らせてください。雨を止めてください。収穫を増やしてください。 来年も豊作でありますように。人々は天に神に祈った。

宗教は「共同体」のためにあった。

 

しかし、いくらムラの収穫が増えても、このオレの病気は治らない。苦しみ抜いて死んでいく。家族は、一族は、ムラは、王国は、幸せになっても、このオレは全然幸せじゃない。都市文明が生まれて、そういう個人が増える。

そこで、共同体ではなく、個人を救済する宗教が生まれる。

釈迦の仏教が典型だ。

ユダヤ共同体ではなく、個人の悔い改めを説いたナザレのイエスもこっちだ。

「共同体の儒教」と「個人の老荘思想」の対立も、この構造である。

 

近代になって、

資本主義社会となる。商売を当てて、大金持ちになる人が出て来る。

ナショナリズムが出て来る。同じ言葉を喋る同胞のために闘う人が出て来る。

共産主義も出て来る。同じ境遇の労働者同志のために生きる人が出て来る。

 

大富豪になって死ぬ。民族独立のために死ぬ。労働運動の果て殺される。

もちろん、金持ちや、ナショナリストや、革命家の中には、「オレは見事に生きたんだ。オレの人生に意味はあった」と満足しながら死んでいく人もいた。

 

しかし、「金を儲けても、民族自立しても、革命が起きても、このオレは死病に罹って、苦しい。死にそうだ。金とか、民族とか、共産主義とか、このオレが死んだら、このオレにとって、何の意味があるの?」と気付いてしまう人もいる。

 

こういう気持ちを「実存主義」という。

 

人類全体を歴史的に俯瞰的に眺めるマルクス主義の後に、人類じゃない!歴史じゃない!世界じゃない!他の誰でもない!この私なんだ!という実存主義が出て来る。 

 

「100ワニ」も、実存主義の物語だった。

 

「100ワニ」は私の物語だった、のに、生きるか死ぬかの100日目に、101日目以降の人生に必要なお金、商売の宣伝がドカドカ出てきた。

100日目に死んだワニくんには、101日目のお金なんか無意味なのに。

実存主義の物語に資本主義がしゃしゃり出る。

読者がドン引きするのも当たり前だった。

 

「100ワニ」プロジェクトには、「何が電車男の心臓部なのか?」を理解してOPにDAICON FILMを思い付くような、センスの良いマーケッターが参加していなかったのだろう。

『「100日後に死ぬワニ」? 「死」なんてネガティブなフレーズの入ってるプロジェクトには投資できないよ』と言い出すセンスの無いスポンサーに対して、

『そうですね。ポジティブな「100日間生きたワニ」に改題した方がイイですよね。原作者も賛成しますよ」と安請け合いするマーケッターがいたのだろう。

で、原作者は、金銭的にお世話になってるマーケッターが作品をどんどん変質させていくことに抗議できなかった。

原作者も、ファンも、商売人も、不運だった。

 

生きる。」は美しい。

しかし、我々の99%は「生きる。」のではない。

確率的には今日死ぬかもしれないが、大多数は今日も「死ねない、、、」のだ。

 

我々は、今日「死ねない、、、」。だから今晩のメシ代が必要になる。

明日も「死ねない、、、」。だから来月の家賃も必要になる。

 

今、この瞬間を「生きる。」ワニくんに、資本主義は必要ない。

しかし、なかなか「死ねない、、、」我々は、しばらくの間、かなり長期間、資本主義を生きねばならない。資本主義が必要なら、共産主義も出て来る。

 

死ねない、、、」我々は、どう見ても、醜い。

「100ワニ」グッズを宣伝する商売人と同じくらい、醜い。

 

映画『100日間生きたワニ』公式サイト

[ 監督・脚本 ] 上田慎一郎

 

 嗚呼、これが偶然だとすれば、神の配慮か。いや悪意か。

 

カメラを止めるな!」という映画がある。大傑作だ。

上田慎一郎は天下を取った。

生れてきた意味、映画人生を選んだ意味、努力してきた意味は、確かにあった。100万人に1人くらいの、幸運な人生である。

 

しかし、それでも、成功の瞬間で、絶頂の瞬間で、人生は終わってくれない。

上田慎一郎も、われわれと同じく、「死ねない、、、」。

今晩のメシ代も、来月の家賃も、稼がないといけない。

 

カメラを止めるな!」に対する、最も感動した的確な批評はこれだった。

 

『カメラを止めるな!』、熱狂に役者陣も困惑「早く忘れなければ」 | ORICON NEWS

2018-08-10
(略)
大沢真一郎カメラを止めるな!』に出てた人だと、この後も言われるでしょうから。逆に大きすぎるハードルになっていますね。役者としては、なるべく早く忘れないといけないことだと思います。
(略) 

 

映画ではいい加減なプロデューサー役だったが(笑)、さすがに本人は「判っている」。部外者ながら安心した。

 

カメラを止めるな!」の関係者も、「祭り」が終わった後の長い長い人生を生きなければならない。みんな、「死ねない、、、」のだ。

 

「100ワニ」の原作者も、映画監督も、作品の出来が良ければイイ、では済まない。作品を金に換えなければ、長い長い「101日目」を生きていけない。

誰でも、恩や義理のしがらみに縛られて生きている。やりたくない仕事もやらねばならない。

信頼できる人が連れて来るビジネスパートナーも信頼できる人間かどうか、保証はない。「こいつ、何も解ってねえよ」とうんざりする人間も後から後から入ってくる。

プロジェクトは膨れ上がり、個人の感情では止められない。

 

これだけ評判の悪いプロジェクトでも、映画を作るという計画は中止できない。投資は回収しないと食っていけないからだ。

他人事ではない。全ての日本人の目の前で、同じようなプロジェクト「オリンピック」が止まらない。

真珠湾も、ガダルカナルも、インパールも、転がり出した物語は、結末が地獄でも、止められない。

 

「100ワニ」に感動して「かけがいのない1日1日を大切に生きる」と心に誓ったはずのファンが、二度と戻らない貴重な時間を浪費して、twtterやSNSや映画レビューサイトに「100ワニは最低のクソ映画でした」と書き殴る。これが人生最後の書き込みかも知れないのに。

 

100日目で死んだワニくんは、不幸でも、幸運でも、ない。 

 

生きる。」とは「死ねない、、、」でもあるからだ。

 

100日後も生きる我々も、不幸でも、幸運でも、ない。

 

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