私は、悪意だと思っていた。冗談だと思っていた。悪ノリだと思っていた。
私は音楽がまったくの門外漢なんで、小山田圭吾さんも、ゴンドウトモヒコさんも、まったく知らない。ファンでもないし、アンチでもない。
詳細は判らないが、どういうシチュエーションであっても、
何も悪い事をしてないティーンエイジャーの障害者に対して、
からかいや悪口や、百歩譲って殴っても、時効や赦しはあるかもしれない。
しかし、ウンコとオナニーだけは、情状酌量の余地を感じない。
女性蔑視発言だけで #森喜朗 元首相はクビ。障害者いじめウンコ&オナニー&暴行傷害で #小山田圭吾 さんOKは無茶でしょ? - 在日琉球人の王政復古日記
小山田圭吾さんも、ゴンドウトモヒコさんも、「小山田圭吾さんが過去にやった犯罪の深刻さ・取り返しのつかなさ」を全く理解できていないと思う。
男子中学生や高校生は乱暴で馬鹿だ。
障碍者に、からかいや悪口はやってしまうだろう。殴る馬鹿もいるだろう。
馬鹿は「ごめんなさい」で許してもいい。
しかし、ウンコとオナニーは馬鹿じゃない。鬼畜である。魂が腐っている。
「ごめんなさい」では済まない話だ。
障碍者にウンコを無理やり食わせた人間は、復讐で殺されても、文句は言えない。ほとんど、認知症運転過失致死事件の被告並みの罪を犯した、と思ってもらわないと困る。
「偉いよ小山田くん。受け止める。いい音出してこう!!!!!」
何が「偉い」のか? マジメに説明が聞きたい。
バンド仲間が「受け止めて」何の意味があるのか?
「いい音」を出したら、許されるのか? 誰が許すのか? 音楽の神か?
そして、障碍者にウンコを喰わせた人間を弁護する言葉が、
「◯◯喰らえ」。
これが、偶然なら、不注意なら、ウッカリなら、悪意でなければ、冗談でなければ、悪ノリでなければ、神の奇跡だ。
他人から「こいつ、障碍者をセカンドレイプして嘲笑してやがる」と【誤解】されても、しょうがないと感じてもらわないと困る。それが日本語の普通の理解である。
「◯◯喰らえ」ツイートは削除された。
つまり、悪意でも冗談でも悪ノリでも無かったらしい。
マジメに不注意だったのか?
だとしたら、日本語で作詞する・歌う音楽家とは思えない。
[先日の削除したツィートに関して]
— ゴンドウトモヒコ (@gondotomohiko) 2021年7月18日
余計な一言のために油に火を注ぐようなことをして大変申し訳ありませんでした。
いじめ、暴力に関しては断固反対です。
謝罪文を支持し過去を払拭できる活動を一メンバーとして非力ながらも協力していきたいと思います。
この2発目も、日本語として、相当ヤバい。
「油に火を注ぐ」ってナニ? 「火に油を注ぐ」の反対の意味か?
「払拭」ってナニ?
「払拭」とは「ぬぐいさる」ことだ。「失敗を取り返す」ことだ。
エラーした野球選手が次の打席でヒットを打てば「払拭」だ。
失敗を「払拭」することはできる。しかし、罪を「払拭」してはいけない。
罪を「ぬぐいさる」のは、罪を「無かったことにする」という意味になる。
罪は「払拭」するのではなく、「つぐなう」「あがなう」ものだ。死ぬまで「忘却」してはいけないのである。
「偉いよ」「受け止める」「◯◯喰らえ」「払拭」「油に火を注ぐ」
私も無学文盲だが、ゴンドウトモヒコさんの言葉遣いも、かなり特殊だと思う。
障碍者に無理やりウンコを喰わせた罪を「つぐなう」「あがなう」音楽活動。
言うのは簡単だが、不可能とは言わないが、気が遠くなるくらい困難な道のりである。
もしも、障碍者に無理やりウンコを喰わせた罪を「払拭」できる歌が、この世にある、というのなら、それこそ神の奇跡である。死ぬまでに一度は聴いてみたいものだ。